生長の家の親孝行論 2015・6・7
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親孝行と 書く漢字。その中の”孝”の象形文字の意味は、
“子が老いた親をおんぶしている象形”であると
谷口雅春師は述べている(*1)
これは、親をいたわる、象(かたち)でもあるが、
もう一つの深い意味がある。
それは、“子は親の生命を背負って出現した”という象(かたち)
でもあると師は言う。
いいかえれば、“子の生命”の淵源が親であり、その親の生命の源
が祖先であるわけだ。
だから、この文字は、親子一体、“祖孫一体の愛”を表現する
文字といえそうだ。
谷口師は続いて述べている:
“子が親につかえ、親が子をいつくしむ親子の愛情はその生命の
淵源する一体の実相から来るのである“
私たちの生命は脈々として子孫へ流れていく。
親から子へ、そして子から孫へ。
大生命の大元(おおもと)のところで 親と子は一体である。
そう考えれば親に尽くすことは 自分自身の生命力を生命の本質
により近しいところで、愛という花にして、開花させることに
なるのだろう。
〝新・人間性の解剖“(p・63~4)では谷口師はその考え方
を次のように説明する。
“なぜ、私たちが孝養を尽くさねばならないかというと、
:自分の生命はどこから、発祥したのであるかというと、
これは神様から発祥して、それから祖先を伝わって、
お父さん、お母さんから~こう出てきたのです。
人間の父、母がなかったら、神様の生命が人間として、
また、‘自分’として顕れようと
思ったとて、顕れる状況にはいかないのです。
人間は因(もと)を知ってそれに、感謝しなければならない。
つまり、‘恩を知る’ということがなければならない。
‘恩’とは‘因(もと)’の‘心’と書く。
本を大切にする心は、樹木なら根や幹を大切にする心です。
根や幹を大切にしないと枝葉は枯れてしまいます。
恩を知るということは根を培うことであり、
われわれは祖先、父母、先師などの過去の功績の上に、
しげる枝葉なのですから、その枝葉が茂るためには、
根を培い、肥料を施さなければならない。“
“孝行” の意味は “親を大切にする” のみでなく、
生命の木の末端にある自分を
生み出した大いなる木の幹や根っこに感謝するということ
でもありそうだ。
この樹があるからこそ、枝葉として今自分が生きている。
“その恩を知る”という心から自然に出てくる“感謝”と
その感謝の発露、“愛情行動”が親孝行という。
すべては神、全き善より発祥している~という “一元論”
を説く谷口師の“親の位置づけ”は とても高いものだ。
“汝ら兄弟のうち、最も大なるものは、汝らの父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ。”
と大調和の神示の中でうたわれる。
筆者も学生時代、谷口氏の教えに大いに影響を受け、
感化を受け、多感な青春時代を
アトピーや種々の体の不調や一種の鬱状況を、乗り切った
思い出があるが、今再び、母の介護という形で
介護の本質を谷口師の教えの中に見出そうとして
振り返っている。
文字通り、今年の2月 私は老いた親を背負って歩く
事態を迎えた。
胸骨骨折に続き、翌月、大腿骨骨折、軽い脳梗塞で
よちよち歩きの母、誰かの目と手と足が 24時間必要
となってしまった。
多々迷いはあったものの、施設に当面は入れず、
母と向き合うことを選んだ。
“母から受けた無償の愛を、今度はお返しさせていただく。”~
これは、私の母の介護に向かう大義名分でもある。
それではその“愛”とは何か?
谷口雅春師の著書の中からその意味を探ってみたい ;
“真の愛”が燃え上がるとき、その人は、愛の焔によって
浄められ、強くせられ、鍛えられる。
そして‘自己の幸福’などという‘狭い根性’は消えてしまい、
聖き、高き、広き愛となって、燃え上がり、力と勇気とが
わき出でて来るのである。
”愛の焔によって浄められた力と勇気の前には、いかなる障碍も、
太陽の前の霜のように消えてしまうのである。
もし、あなたの前にたちふさがった障碍が消えないのならば、
あなたの愛がまだ十分燃え上がっていないからである。
相手を愛せよ。 愛するとは‘実相’の完全さをみて、礼拝と
感謝の念を起こすことなのである。“ (*2)
夜もほとんど寝ず、家の中を 娘の名前を呼びながら、
探し、徘徊し 片時も目を離せなくなった母と過ごす長い夜
母の後ろ姿を追い、緊張と睡眠不足でへとへとになってしまう私、
弱音を周囲に 思わず漏らしてしまう弱い自分を省みながら
上記の師の喝を入れる言葉を味わった。
この三行の意味合いを私の状況に置き換えればこうなるだろう。
“愛の焔によって浄められた力と勇気の前には、
あなたの母親のどんな暴言も暴挙も太陽の前の霜のように
消えてしまうのである。
もし、あなたの前に まだ母親が問題を提示していると思うのなら、
それはあなたの愛がまだ十分に燃え上がっていないからである。“
(*1)“幸福を開く鍵”p・149
(*2)“愛はかくして完成す”( p。174)
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