西宮廣田神社由来とわか姫 ~秀真伝えから~ 2015・6・4
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夫が以前西宮に住んでいたので、
インドから年に数度訪れては、
自宅から散歩がてら、廣田神社
に出かけた。
廣田神社の御祭神の由来は
神社入り口にパネルが立って
いて説明されていた。
姑(はは)に秀真伝えを教わって
から、その中の6綾に書かれて
いる内容から、廣田神社の
本当の由来ある神様は
いざなぎ・いざなみの神様
(ご夫婦)の長女にあたる、
若姫であるということを知った。
日本の文化の中で 和歌の歴史
は長い。
和歌があり、俳句が生まれ、言葉
の巧みさを知ることは言霊を
操ることにも通じて、その人の
奥行の深さと素養を知る一端
にもなった。
源氏物語を読めば 和歌の
教養が貴族人の一番、尊重
する資質であり いかに
和歌を通しての心のやりとり
や言葉が尊重されていたか
知れる。
さて、今日は 言霊の重要さ
を現代においても、知りうる、
日本の和歌のルーツとそれに
一番縁の深い 和歌[若]姫の
お話しだ。
ご紹介したい。
まず、原文から引用する
箇所がある。
”それ和歌の本緣について
述(の)べると、古天両神の
長女にます若姫の神は、
三歳になる時父母神の厄年
にあたるなり。
故に三歳になる直前に、
岩(いわ)楠(くす)船(ふね)
に乗せられて、
棄(す)てられ給う。
金折命はこれを拾(ひろ)った
と云(い)って、
廣田(ひろた)に西(にし)殿(どの)
を建(た)て、其の妻の乳(ち)
をもって養育をなすなり。”
かなさくの命 は住吉の神
という別名がある。
浄化の神様であると私はかつて
聞き及んだことがあるが、
その本源には言霊を使って
浄化されていたことが
うかがえる。
その一つに、わか姫を拾って、
養育するにあたり教えられた
和歌のお話しが秀真伝え
6綾に出てくる。
わか姫は いざなぎ、いざなみの
神(御両親)の厄年(やくどし)
を避けて、忌みを避け、小船に
乗せられて川に流された。
それを拾われた神が 金折
(かなさく)の命であった。
廣田という地名の場所に
養育の場を設けて 妻の乳
を与えて若姫を育てた。
それにちなんで、廣田神社
がたてられたとする。
どのように養育されたかと
いえば、
”初めにアワウワを教ゆる。
手を打(う)ちて気を開(ひら)き
眼を細(ほそ)めて笑うなどなり。
三歳の誕生日には初めて食膳
を供え、食を進めて行儀を
教ゆ。
三年の冬至(とをぢ)には
髪(かみ)置(をき)の祝をなす。
正月元旦には初日(はつひ)
餅(もち)を搗(つ)きて、
天地(あわ)の神(かみ)に
供(そな)えて敬(うやま)い
父母(ふぼ)神(がみ)に
礼(れい)をなすなり。”
かいぐりかいぐり
とっとのめ、あわわわ・・・
今でも地方で、あるいは
年の功を奏した祖父母は
こうした古くからある言葉
を口に出して、赤子をあやす。
手をたたいて、順気 を
赤子から導きだし、さらに
ニコニコと笑顔で
あやしたり、赤子や喜んで
いる様子がここに描かれる。
三歳の誕生日、昔は 数え年
であったから、今なら
満2歳に 食膳の祝いをして
大人と同じ固形食を口に
することを始めたのだろう。
同年冬至に 髪の毛の
スタイルを女の子に
ふさわしく整え初めたのだろう。
正月には 餅をついて、
食べたとある。
現代にも残る、餅つきの行事
や鏡餅、雑煮の習慣などは
すでに神代の時代から続き、
古(いにしえ)のルーツに行きつく。
正月が過ぎればモモの節句となる。
”三月三日には桃(もも)の花を
供(そな)えて雛(ひな)神(かみ)を
祭り、五月五日には菖蒲(しょうぶ)
と粽(ちまき)を供(そな)える。
七月七日は木綿(ゆう)・麻(あさ)・
栲(たく)機(はた)を祭り、
九月九日は菊(きく)・
栗(くり)を供え祭るなり。
五年の冬には、男は袴(はかま)・
女(め)は被衣(かつぎ)を着(き)る。”
この綾には、桃の節句をはじめ、
5月5日の節句、現代は七夕と
称している7月7日の節句、
重陽の9月9日の節句がすでに
超古代に存在していることを
伺わせる。
七夕の祭りは中国が起源とする
説があるようだが、この6綾を
読めば超古代の日本に
7月7日には機を織って祭り
祝う風習があったことがわかる。
7・5・3のお祝いにも
触れられている。
三歳の女の子の髪整え、そして
5歳には男子女子が正装をして
祝うことも書かれている。
さて、最もこの綾で重要なこと
は次の点だと思う。
それは、
”言葉を改(あらた)めて常に
阿(あ)倭(わ)歌(うた)を教(おし)ゆなり。
あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しゐたらさやわ
若姫の神は常に葛(かだ)垣(がき)
鼓(うち)の琴(こと)を
弾(ひ)きながら、
阿(あ)倭(わ)歌(うた)を
謡(うた)うなり。
自(おのづ)と音声(おんせい)
の道が開けて
言葉が明らかとなれり。”
あかはなまの歌、 あわの歌を
金折命はわか姫に教え、
姫は琴を弾きながら
謳ったとある。
そして、音声の道が開けて
言葉が明瞭になったという。
それだけではなく、あわの歌
によって、音声の道が開くと
同時に 体の気道も開けた
ということがここに記される。
それは、
”五臓(ごぞう)・六腑(ろっぷ)・
緒(お)(命門(めいもん))を
五音七声に別(わ)け
人身呼吸の気が通りて
左右二十四経に通い
四十八声となる。
身体(からだ)の中の順気が
滞(とどこお)りなく循(めぐ)り、
自(おのづ)と病(やまい)を
知らず長寿を得る法(のり)
なり。
この故をもって住吉(すみえ)
の翁(おきな)は、常に
阿(あ)倭(わ)歌(うた)を
教(おし)ゆなり。”
あかはなま の歌は、
私もインド時代、何か息子
の体に異変が起こるたびに
お唱えした。”左右二十四経
に通い四十八声となる”と
すでに経絡に気を通わせる
ということを古代の神々
は知っていた。
現代の東洋医学でいう
ところの 24の経絡、
左右合わせて48の経絡の
存在が書かれている。
それによって
”順気が滞(とどこお)りなく
循(めぐ)り、自(おのづ)と
病(やまい)を”観ることなく
長生きできる方法である
ことも述べられている。
幼かった息子が
高熱が出た、赤痢になった、
コレラの症状が出た、
デング熱になった、と
異国の地で体調の異変の際は、
すべての状況下、”あわのうた”
で乗り切ったといっても過言ではない。
常識を逸していると思う読者が
いるかもしれないが、その言霊
の威力は 自分自身、家族をもって
証明済みである。
セラピーでも 数回続けて
くださった方には、必ず、
この言霊をお教えする。
生体に気を通しながら、
この言葉を唱えてみる。
すると、生きた言葉になり、
クライアントの方達は気道
が開けるのを実感する。
わか姫の和歌の基盤はこの
あわの歌にあったのかも
しれない。
和歌姫とよばれるように
なったのも、和歌を本領
としてそれを実生活に
役立てられたからだ。
姫は、生長していくにつれ、
和歌の言霊の威力をもって、
稲虫や害虫も駆除されたと
秀真伝えには出ている。
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