意識不明者が眼を開けて、数日間で健康体に向かう! 2018・1・25
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’形而上的癒し’とか、’生命力への回帰’とか、
'自己の本性アートマの反映なる健全なる身心’などと
いう言葉は何と厄介な言葉だろう。
そんなに、難しい事ではない事を、当たり前のことを、
言葉で説明しようとすると、仰々しい言葉に
なりがちなのは残念なことだ。
'百聞は一見にすぎず'、実際の体験は最も説得力を持ち、
腑に落ちるためには手短な方法である。
ここに、自らの体験で”形而上的癒し”の真実性を
証明してくれた女性(アニータ・ムアジャーニ)の
手記(*1)がある。
数回にわたってご紹介しながら、そのユニークな体験を
ご一緒に見ていきたい。
アニータは、癌宣告を受け、或る朝、意識不明に陥る。
緊急に入院した先でわずか数日の間で、医師が奇跡的だ
と驚嘆するほどの回復力を発揮して、自らを癒した。
病院に運ばれたときの彼女の病状はリンパ腫の
ステージⅳだった。
それが、どれほどの重篤な状況だったかは、専門医師に
よってまとめられた彼女の病状レポートを読むと明らかだ。
以下は、癌専門医アメリカ人医師ピーター・コー氏に
よって、後日まとめられたアニータの病院記録調査
報告書(*2)抜粋であるが、引用させていただく。
”私(ピータ・コー医学博士)は,彼女の病歴を綿密に
調査し、彼女の主張が立証できるかどうか確かめるため、
香港に訪れました。
その病状の経過は次の通りです。
*2002年春 ~ 左鎖骨上部に固い腫れものを発見。
4月整体組織検査により、ホジキンリンパ腫(悪性リンパ腫
の一種)でステージはⅡA(初期から中期/自覚症状なし)。
*2005年 ~ 癌はほかのリンパ節に移行。
自覚症状は ‘寝汗、微熱、皮膚のかゆみ’
両肺に胸水がたまり、呼吸困難になり、胸水を
取り除く処置。
*2005年12月下旬 ~ 感染性皮膚潰瘍を引き起こす。
栄養摂取できず、体重減少、疲労感、筋力低下、
腎臓機能低下。
*2006年2月2日 ~ リンパ腫が拡がり、頭部や
首からの静脈還流が弱まったため顔全体、首、
左腕が風船のように膨らむ。
目は腫れ閉じたままの状態になる。
多量の胸水のため,息ができずあえぐ。
緊急に総合病院に入院。
専門医たちが集まり、彼女が生き延びる唯一の
治療法として、MRIとCTで複数の検査を行い、
2リットルの胸水を抜き取り、3つの抗がん剤
を処方され、集中治療室に入れられた。
(スダ注:その際、アニータは臨死体験をする)
*2006年2月3日 ~ 夕方、アニータは目覚める。
ベッドの上に起き上がり、家族に‘自分はもう大丈夫’
だと告げた
*同年2月4日 ~ アニータは、鼻腔栄養チューブを
抜くように医師に要求。
食事をとることを医師に約束。
自宅からiPODを持ってきてくれるように夫に頼む。
*同年2月6日 ~ 医師たちはアニータを集中治療室
から一般病棟に移すことに同意した。
この時点で、彼女の首、顔、の腫れはほとんどひいて
いて、かなり大きくなっていたリンパ腫は柔らかく
なり、頭を動かせるまでになった。”
ここまでが、アニータの入院後の状況であり、
数日で奇跡的回復を見せて、検査が行われた。
ピーター・コー医師はその検査結果を次のように
報告している。
”形成外科医に次の検査と処置が依頼された。
ァ)首のリンパ節生研
ィ)首と腋下にある大きく口を開いた、炎症箇所
への皮膚移植の処置だ。
(ァ)に関しては形成外科医は、リンパ腫を見つける
ことができず、生検の前に超音波検査をすることにして、
同時に皮膚移植をする予定にした。
三度、超音波検査をしたが、腫大化しているリンパ節
はみつからなかった。
*2月27日 医師は、アニータの首のリンパ節から
組織片を摂取したが、癌の痕跡は全く見られなかった。
皮膚病変は皮膚移植をしなくても自然に治癒した。
*3月9日 治療の第二サイクル後(*2)~
抗がん剤ガン剤治療では、7種類の薬を、8サイクル処方
するが、それぞれのサイクルに3週間ずつかかる~
癌専門医はアニータの帰宅を許可した
*3月16日 アニータはジミーズ・キッチンで誕生日を祝う
*3月26日 アニータは結婚式に出席、ダンスを踊り
シャンパンを飲んだ。
それから治療の第三サークルが始まった。
*7月24日 治療第6サークルの跡、PET-CT検査を行う。
その結果、医師たちはアニータは完全に健康だと太鼓判を
押して、2サイクルの治療を残した状態で治療を終了。”
ここで、コー博士の記録の抜粋は終わる。
最後に博士は以上のアニータの経過を精査した上で、次の
ようなコメントを残している。
“彼女の回復ぶりは、間違いなく注目に値するものである。
私自身の経験と数人の同僚の意見にもとづけば、
彼女の劇的な回復は、抗がん剤治療によるものだとは
考えられない。
私たちの知る癌細胞の性質からすれば、非物質的な
何かが癌細胞の遺伝子が現れるスイッチを切ったか、
あるいは、癌細胞の死がおこるような信号を送ったと
推測する。
アニータとの出会いによって、私は、この現象、そして
私たち人類の本質について、さらに学ぶための
きっかけを与えられたと考えている”
ここで、コー博士が言う所の“何がアニータの身体を
死から回復へと方向転換させるスイッチを押したか?”
という問いに、私も注目したい。
その疑問こそ、コー博士が‘謎に包まれている’答えの
ない疑問である。
それは、
① 病院に運ばれた時点で、アニータの臓器は機能不全
に陥っており、それが数日の間で機能回復を始めたと
いう事実はなぜか。
② 病院に運ばれて検査をした時点で癌専門医が
‘患者の家族に告知した’という所見は、言い換えれば、
アニータの死期が近いと知らせたこと。
何が、アニータを 健康に至るまで、回復させたのか。
③ カルテにはレ問題の癌が首、腋の下、胸、腹部まで
身体中に存在していた。
数日後、その大きさは少なくても、7割縮小した事実。
臓器が弱っている状態で 莫大な数の癌細胞が
どのようにしてそれほど短時間に消えたか。
④ 癌による皮膚病変があり、カルテには、栄養状態
が悪く、自然治癒は不可能で形成手術が必要だと
記されていた。
医師たちの所見ではアニータの体力回復、筋力回復
をまってから形成手術を依頼するとあったが、その手術
の計画をする前に、皮膚の傷は自然治癒した。
どうやって?
’何がアニータを①から④のように、回復させたのか?‘
の答えはアニータ自身が知っている。
アニータ自身しか、わかりえないものだ。
なぜなら、その答えは、彼女の臨死体験中、明白な意識
で明確な感覚と感情をもって、体験したことの中にある
からだ。
そして、その答えが 到底 現代医学では解決がつかない
ことであることもアニータは知っている。
一言でいえば、彼女の自著からの言葉を借りれば”悟った”
ということが、奇跡的回復の大きな要因だと本人は語る。
臨死体験をすることは、そうそう多くの人が体験すること
ではない。
また、そのことを体験者はあまり語りたがらない。
それは、臨死体験記には、共通項がいくつもあるにも
かかわらず、意識が肉体に戻った時(息を吹き返した時)
その体験があまりにも”常識的な考えかたから離れ、
日常の言葉”では表現できにくいからだろう。
話しても、唐突すぎて理解されず、変人扱いされて
しまうという現実があるようだ。
アニータは、勇気をもって自己体験を一冊の本にまとめて、
死に面している多くの人達に希望とスピリチュアルな
自分へのアプローチを可能にさせた。
次回からそのアニータ自身の答え、①から④の疑問に
対しての返答、つまり、アニータが臨死体験を通じて
’悟った真実’をご紹介したいと思う。
* ”喜びから人生を生きる!”~臨死体験がおしえてくれたこと~
アニータ・ムァジャーニ著
2013年 株)ナチュラルスピリット
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