身体を離れて 本当の自分を知る (2)~ 2019・2・1
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死人に口なし、されど、意識はあるはず、というタイトルは少し
語弊があるかもしれない。
あと一歩で、地上に戻れない死後の世界に足を踏み入れるか否かの、
瀬戸際にいたアニータは確かに意識はあり、その意識は拡張して、
病院の中の医師や看護師たちの言動を知ることができるまでだった。
一方、身体的にいえば、意識不明状態であり、死との境にいたわけだから、
完全な死人ではなかった。
今日のお話は、そんなアニータが完全復活をとげるまでの記録のご紹介。
2006年2月上旬の朝、起床できないほど体の部位がはれ上がり、息もあえぎ
あえぎの状態になったアニータ。
緊急入院を余儀なくされたアニータが、病院でどのような体験をして、
奇跡的回復を遂げたのか?
アニータは病院に担ぎ込まれてから、こん睡状態に陥る。
が、”自己意識”ははっきりと自覚され、周囲で話している医師の声や状況すら
よく理解できていた。
どうやら、人は肉体の死を宣言されても、’意識’はしっかりと活動しているようだ。
たとえ、植物人間といわれる状態でも、(霊的)知覚は活動していて、ベッドの
周りの人達の言葉や動作がわかり、時には彼らが何を考えていることすら理解できる
場合がある~と体験者の手記を読んだことがある。
その’意識’はアイデンティティをもって活動をしている。
アニータの場合もそうだった。
医師の自分への処置方法や、家族の悲しみの反応、思いがけず、自分が病をかかえた
肉体を去って痛みから解放され、精神的にも自由になった心境などなどを、
次のように、後日、本の中で書いている。(*1)
“癌専門医は私を見た瞬間、明らかにショックを受けた様子でした。
‘奥様の心臓はまだ動いていますが、意識はありません。
助けるには手遅れです’ と医師はダニー(注:アニータの夫)に告げました。
‘医師は誰のことを話しているのだろう?
私はこんなに気分が良いのに。
ママやダニーはどうしてあんなにおびえて心配そうなの?
ママ、どうか泣かないで。何があったの? 私のせいで泣いているの?
お願い、泣かないで。私は大丈夫よ!’
’私は大声で言っているつもりでしたが、声にはなりませんでした。
なぜそれができないのか、まったく理解できませんでした。
‘どうして、身体が湯ことを聞かないの?
どうして死んだみたいに横たわっているの?
愛するダニーや、ママをだきしめたい、もう大丈夫、痛みは全くないって
安心させたいのに・’
すでにこの時点でアニータは、臨死状態になっていた。
多くの臨死体験者の話や本を読むと、いくつかの共通体験がある。
① 五感を持った肉体以上に鋭敏に知覚機能が働き、自分の周囲で起こる
状態を理解できる
② すべての動きに対し鋭敏に空間の距離にかかわらず、愛する人達の感情
などが読み取れるようになる。
③ 計り知れない自由な感覚が心地よく、肉体を持っていた時の痛みや病状
から解放される。
④自分という意識は残るが、それが宇宙空間にどんどん拡大していき、
万有万物と一体感を味わうような超自然的状態が自覚され、愛に満たされる
⓹ 肉体を持っていた時のほうが夢をみていたように感じるほど、幽体意識では
目覚めた本来の存在感覚が一層明確に意識される
⑥ そこにはもはや性別、差別、資格、判断、などの差異や価値基準はなく、
喜びや恍惚感、畏敬の感情、そして無我の大愛を理屈抜きに証明無しに
感じ取れる。
⓻ すべての瞬間が過去現在未来と同時に感じられるほど、時間に対する
概念がひっくり返る。
時間は直線的ではなく、肉体の五感の制限により一列に時間をつなげる必要が
なくなるので、時間 の経過という感覚はなくなる。
①から③は、主に、まだ肉体のそばに意識があるときにみられるようだ。
冒頭に書いたように、アニータが、医師の言葉や家族の悲しみをひしひしと共感して
”私は大丈夫よ”と声掛けしているのも、そうした例だろう。
特に③は興味深い。
交通事故にあい、危篤状態で臨死体験を体験した人の手記を読むと、意識が
体を離れた瞬間、あれほど苦しい痛いと感じていた肉体が、まるで自分の殻の
ように横たわっているのをみるだけで、さっきまで味わっていた身体的苦痛を
感じることがなくなったという。
この世に戻る、つまり、意識が肉体に戻ると、また強烈な痛みが襲い掛かって
きた体験をしている。
④と⑤のコメントはスピリチュアルなものだ。
誰しもが、こうした至福に似た感覚を持つのかどうか、定かではない。
が、多くの手記にはアニータと似たような体験が記されている。
ここではアニータの実際に体験したときの、言葉を借りてみたい。
"(臨死体験中)私は、自分に施されているあらゆる処置の細部にまで、
十分気づいていましたが外見上はこん睡状態に見えていました。
私はどんどん外へ広がっていき、周囲の物理的環境から引き離されていく
のを感じました。
そこにはもはや空間や時間の拘束はなく、どんどん拡大し続けて、より大きな
意識と一つになっていくようでした。
身体を持っていた時には体験したことのない、自由や解放感がありました。
それは歓喜や幸福がちりばめられた、至福感としかいいようのないものでした。
病気で死にかけている身体からの解放、そして、病気による苦痛や痛みから
自由になった喜びから生じたのでしょう。”
次に④”自分という意識は残るが、それが宇宙空間にどんどん拡大していき、
万有万物と一体感を味わうような超自然的状態が自覚され、愛に満たされる”
の体験についてこう記している。
”向こう側の世界に深くはいっていき、拡大しながらすべての人やものと、一つ
になるにつれて、愛する人達いや周囲の状況への愛着が、ゆっくりと消えて
いきました。
その間、すばらしい、’無条件の愛’としか表現できないものが、私を取り囲み
しっかりと包んでくれたのです。
でも、その感覚は’無条件の愛’という言葉では十分に表せるものではありません、
それはあまりにも、乱用されすぎて、言葉の持つ強烈さが失われているからです。”
そして、⑤の”肉体を持っていた時のほうが夢をみていたように感じるほど、
幽体意識では、目覚めた本来の存在感覚が一層明確に意識される” に関して
のアニータのコメントは以下だ。
”身体的にどこか別の場所へ行ったというより、むしろ目覚めたような感覚でした。
おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。
私の魂はその真のすばらしさをやっと悟ったのです。
それは、次第に私の身体や物質的世界を超えて遠くへと広がっていき、この世
の存在だけでなく、時間や空間を超えた別の領域にまで広がり、同時に、その一部
となりました。”
同時に一部となった?
この表現は具体的に次のように感じていたということだ。
”愛、喜び、恍惚感、畏敬の念が私に注がれ、私の中を流れ、私を飲み込みました。
それまで存在していることさえ知らなかった、大きな愛に包まれました。
これほど、大きな自由や生きているという実感を味わったのは、初めてでした。
すでにお話しましたが、私のベッドから遠く離れた場所で話している、医師と家族の
会話が突然、わかるようになったのです。
これは物理的には不可能なことでした。”
さて、⑥と⑦は?
⑥ そこにはもはや性別、差別、資格、判断、などの差異や価値基準はなく、
喜びや恍惚感、畏敬の感情、そして無我の大愛を理屈抜きに証明無しに感じ取れる。
⑦ すべての瞬間が過去現在未来と同時に感じられるほど、時間に対する概念が
ひっくり返る。
時間は直線的ではなく、肉体の五感の制限により一列に時間をつなげる必要が
なくなるので、時間の経過という感覚はなくなる。
アニータは ”私の魂はその真のすばらしさをやっと悟ったのです。”と書いている。
もう少し、彼女の悟りについて、次回はみてみたい。
* ”喜びから人生を生きる!”~臨死体験がおしえてくれたこと~ アニータ・ムァジャーニ著
2013年 株)ナチュラルスピリット
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