自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

牛 と ハエ

2012年09月20日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

牛の背中は神の背中‥自分のリュックの重さも預けてみたら?

 9月20日(月曜日)  

 

つい最近、クライアントさんが生真面目な顔をしてこんな話をしてくれた。

 

”自分が、今、大きな牛になったから言うのではないけど、

時々ハエになって自分より大きな牛に

乗って、遠いところまで運んでもらおうと思うのです。”


”は?ハエですか?” と私。 ”ええ、ハエは、自分で飛ぶ範囲は

限られるので・・・”とクライアントさん。


”牛に乗っていろいろ経験して、そしたらまた、自分も牛の

姿にもどって、今度は自分の体に止まっているハエをどこか

にもっと遠くに連れて行ってあげれればと思います。


そこそこのところで そのハエが成長して、自分から離れて

いけばそれでいい”

 

この話は面白い。 

そのかたは決して世渡りが上手な方ではない。 

むしろ、仕事に、儲けをから

ませず、損をしてまでも、自分の信念を貫くために、

行動されるかたでもある。

 

牛の体に付いたハエという喩えには、自分が労せずして

遠いところまで牛に運んでもらうということ。

 

ざらに、牛の背中に乗ることで、エネルギーを蓄え、

小さな羽の力では到底行きつくことのできないところまで

つれていってもらえるというメリットもある。 

 

こうして、自分を大きくするための経験をつませてもらい、

また自分本来の姿(牛)に変身して今度はほかのハエ(人)に

自分の体を貸してあげるだけの大きな牛になる~という 

いろいろな意味合いがある。

 

話しが飛ぶようだが、この喩えを聞いていたら、神を信じる

ということも かくあらんと私は感じた。


人はそれぞれ、大なり小なりの、悩みと問題をかかえて

生きている。

考えてもどうしようもないことがあれば、自分ひとりの力では

解決できない問題もある。


無神論者は ”弱い人が宗教を持ち、神に頼るのだ” という。 

そうかもしれない。 

 

だが 本来の信仰とは、物欲や、病平癒などの現世功徳を

祈願する神頼みとは程遠い。

本来の信仰とは、自分が自分らしく生きるために、

道を間違えぬよう、不慮の災難に巻き込まれずに、健康に

日々精進できることを感謝することから始まる。

 

神仏に拝みに行くとき、”何かの願い事”のためではなく、

”感謝するため”にお参りするのが本来の姿であるというのは

この意味である。

 

いろいろな問題というのは大方執着から始まる。 

金銭、愛情、もの、人、プライドなどなど、執着があれば

そこに悩みが生じる。

 

牛という形をとられた神様はこうおっしゃる。 

”あなたの背中に背負った荷物が、重たいなら、私の背中に

乗りなさい。

あなたも、荷物も私が引き受ける。

あなたを私に乗っけなさい。 肩に抱えた荷物も私が負って

あげられるから。”

 

クライアントさんの話のように、その牛(人物)に信頼を

置かなければ、ハエとなって止まることもままならない。


信頼をおいてこそ、目的地に到着することを信じている

からこそ、肩を借りることができるのだ。

 

神への信頼もそれに似ている。神に全部を託することが

できれば、心の重荷がだいぶ軽減するだろう。

 

神の愛によって、万物が結ばれている。 自分が学生の時 

ある歌詞をみつけて、感動した。それは***


 ”ああ神の愛 神の愛、宇宙に満ちて万有(ばんゆう)を、

結び合わせて荘厳の宇宙いまここ顕現す。


もし愛なくば、荘厳の宇宙現ぜず美しき、人と人との睦まじき 

結びの世界現れず。”

 

私たちが心でつながっているとしたら、この愛の引力が働

いているからだ。

そして、その根源の ボルテージの高い電流を流し続けているのが 

神の愛ということである。


その愛に全託したとき、心にある重荷も、現実に抱えている問題も、

とりあえず、自分自身から離してみることができるはずだ。

離してみると、今まで見えなかった局面が見えるだろう。

 

そして、神の愛の電流に乗ることができたとき、まわりが

図らずして動いていく。


必要な人が物が必要なタイミングで訪れたり、必要な物資が

供給されたりする。

いわゆる偶然的必然が起こってくる。

 

人と人はつながっている。 どこかで繋がっているから、

自分だけ幸せだということは考えられない。

自分が幸せなら、誰かも幸せだ。 誰かが不幸なら自分もどこか

で満たされないだろう。

 

神と人とも繋がっている。 

個人的にだ。 それは親と子の関係に似ている。

親を親として認めるのに、あるいは、子供を愛するのに、

それぞれ、どこかの組織に、所属しているという条件は無い。

家庭という最少単位の社会組織は、夫婦と親子で成り立つ。

同様に、 神との信頼関係は自分の心の振り向け方次第だ。 

個人的関係だ。

 

インド・ラジャスタン地方にミラバイという、王族の姫がいた。

彼女はクリシュナ神を自分の夫と信じて、生涯結婚をせず、

信仰生活を送った。

 

宗教組織にはいることは、だからと言って、決して、

意味のないことではない。

サンスクリット語(梵語)で ”サットサンガ” という言葉、

それは、”真理を求める人たちの集会”をさす。


一人で祈ることもよし、しかし、サットサンガで、志を共に

した同志で、祈れば、さらに効果があがるといわれる。

集合のヴァイヴレーションが 祈りの想念を強めるからだ。

同志とともに、真理を求めると、挫折せず、互いに刺激を

与え合って、その道を極めていこうと集中力も高まるだろう。 

 

自分は神を信じないという人も、家族は大切だろう。

何故 家族が大切なのだろう。 愛でつながっているからだ。 

私たちには二つの”りょうしん”がある。両親と良心だ。

 

愛がどこから来るか?私たちの良心からだ。  

肉体の親は両親だ。 

肉体細胞分裂は両親の肉体的結合から始まった。

心の親のDNAだけでつくられているのか? 


否、心は別物だ。 

心の親は宇宙に満ちる良心だ。 

普遍的良心を アートマ とも呼ぶ。また、アートマは、

私達が神と呼ぶところの、最大ボルテージエネルギーの

末端的発露 である。

 

牛の乗り心地はどうだろう。 ためしにあなたも、 

プライドを捨てて、ハエになってみませんか?

誰かの牛の背中に乗ってみる体験も時にはいいものかも

しれません。

特に、神様が変装された 牛なら、なおさら・・・・・

 

     

 コンニチハ…・インド 北ヒマラヤ地方の ヤク だよ・・・

 

 
Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 要介護の方と心の欲求 | トップ | 老け顔にならない!”今”を生... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然治癒力・生命力・発揮する考え方」カテゴリの最新記事