自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ス ト レ ス について

2012年07月19日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

心と体の因果関係     

人間は死ぬまでは生きているのです

 

吉田氏の言葉の続き・・・

(P.25 )人間はいつかは必ず死にます。

これは皆に平等に与えられた天命であり、命の長さは

神のみぞ知るです。 

しかし、人間、死ぬまではいきているのです“


ストレスとは何だろう?

簡単に言えば、恐れが生み出す緊張であろう。

“この仕事ができるだろうか?” 

“こんな大変な事態を自分が責任もって収められるの

だろうか?”


など、社会的なストレスも 根本は恐れである。

病気に対して恐れを抱いたとき、これもストレスになる。

“治るのだろうか? 

手術をしなければいけないのだろうか? 

治らなければ死にいたることもあるかもしれない。

明日の自分が怖い。”という感情だ。


そこで、吉田氏は 人間の身体の能力を信じることを

体験から進言している。


生きようとする力を発揮させてあげよう。

それには、心のありかた から自分に問うことからはじめよう

というのだ。


死ぬまでは生きている、


だとしたら、

誰でもそれが早いか遅いかの違い。 

死ぬまでは生きているこの事実を大切に受け止めてみよう。

どうせ生きるのなら、生きているという実感を味わいながら、

天命を受け止めよう

 

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自然治癒力発動法(2)

2012年07月16日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


吉田法夫さんの’笑い”で癌を吹き飛ばした生き方 



笑いの名人***

常に笑みを浮かべておられた。周囲の方に、家族に、

そして、鏡の中の自分自身に。

感謝の名人***

どこからか、感謝の言葉を探した。コップに、お皿に、

窓に、風に、太陽に、そして、今、生きていることに。

”生かされている。 有難うございます”という言葉を 

心の底から 何に対しても感謝とともに、口にした。 



自分の エゴ を遙かに超えたところで生かされている 

わが身 わが心。何一つ、この体の組織で 私が作った

部分はない。


髪の毛一本、抜けたり生えたりするのも、自分以外の

意思があるから。

 

髪の毛一本、制御できない自分であること。だとしたら? 

この体の不思議さ! 

体の内部の機能の精密さ、完全さ! 

心臓は 生まれてこのかた、止まったことがあったろうか?

”今日は疲れたからお休みね” と体内臓器やシステムは、

仕事を休んだことがあっただろうか? 


生かされている。

何かわからないが 大いなる力 に、生命力 にこの自分

は生かされているのだ・・・・



今をいきることの名人***

今、今しかない。 明日は今の延長だ。 過去は実態がなく、

今を振り返ったときに過去がある。

だとしたら、やっぱり 今しかない・ 

今を生きよう。今を。今を全力で楽しもう。味わおう。

身近な人と楽しく共有しよう。


集中することの達人***

今をいきるために、余計なことは考えない。 

今に集中すれば、次が見える。 

今を生かせば、時間も生きる。


家族を大事にすることの達人***

思い出を作ろう。 

健康でも、病んでいても、限られた生の中で、今を家族と

ともに、豊かに生きよう。

家族と旅をしよう。
肩を組み笑顔の写真を残そう。

大きくなった子供が孫達が、

”この時のおじいちゃん、良い顔しているね!” 

と、その写真の”楽しかった時” を 笑顔で共有して

くれるように。 

 

夫婦どちらが先に逝くのかわからない。 

でも、二人で歩んだ人生。 やっと、こうして、二人で

いあえる時をもてたのだから。 

二人の時間を、大事に生きよう。言葉はいらない。 


傍(かたわ)らに 流れていくやさしい時間を、

旅の空の下で じっとかみしめて二人の空間を 

味わうだけで喜びなのだ。

 

瞑想の達人***

時々一人きりになって、心の奥底に意識を沈ませた。

私は後悔しないだろうか? 


自分で自分をほめてあげることができるだろうか? 

まわりに 十分 礼を尽くしているだろうか? 

そして、人生の使命、自分の今できることをきちんと

見据えて誇り高く生きているだろうか?

 

病(癌)とともに生きよう。

闘うのは もう、終わりだ。ありがとう。その言葉しか 

心にない。生かされている。

感謝。わが人生に 悔いなし! 


(以上、ガンに感謝してともに生きた 吉田 法夫さんの言葉より)

 





自然治癒力セラピー協会オリジナル:無断転載お断り

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癌と共存~吉田法夫さんのお話し(1)

2012年07月15日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

細胞の活性化と自然治癒力で余命を3年延ばした      

  吉田法夫さんの体験から


内田医師の言葉を続ける。


”どのような細菌やウイルスが侵入しても、

健全な生理作用さえ営んでいれば、

これを防御する作用が人間の体にはすでに

備わっているのですから、常に生体の自浄作用

が完全に営めるように、これを主導している精神面、

つまり心の持ち方を健全にすること”(p。22

であると断言される。


末期がんで3か月の命を宣告された親友の兄上、

吉田法夫氏は次のように語っている~*1(p・27) 


心の有り方と病気の関係はとても密接です。

たとえば、抗がん剤これは実際に医師が言われた

ことですが、明るい人のほうが、不思議と薬の

効き目が良好”という傾向にあるそうです。


 心と身体は神秘のごとく密接につながり、

かわり在っています。

心に嘘や無理のある表向きの元気では意味がないのです。

心模様はそのまま身体へとつながっていきます。(引用終)



実際、吉田氏は医師に宣告された”残された3か月”

を、活き活きと自然治癒力を信じて、最善を尽くして、

明るい気持ち過ごされ、3か月の余命をはるかに

しのぶ、3年4か月間にわたり、ご自身の闘病記を

執筆しながら、明るく生きるお手本を示して

くださった。


氏は自然治癒力の素晴らしさを以下のように語る。

”病気の最後は自然治癒力である。

自然治癒力とは、本来だれでも持っている

病気を治そうとする“生きる力”だ。


“生きる力”、すなわち、身体の中の免疫力が高まるか

どうかは、身体の中、一つひとつの細胞を活性化する

ことにかかっている。


さらに、細胞の活性化とは、前向きに物事を捉え生きて

いる者にのみ、どんどん湧き上がる。


必ず良くなると信じよう。いじけているより、よっぽど

いいはずだ”(P.108)

 

さらに続けてこう書いている。

”5月7日“細胞の不思議”というテレビ番組を見た。 

その内容。・全身の細胞数~60兆個・肌の細胞~28日で

生まれ変わ

小腸の中のヒダヒダの細胞~毎日生まれ変わる

(ベンの内、4分の一を占める)


風邪による38度~38度5分の熱はウイルスに

対して最も殺菌力がある・・・以下略・・


人間の身体って、すごいなあ! 

自分が 生きているのではなく、

生かされているのだなあとつくづく思う。”

(P.129)

 

こうして 吉田氏は、日々感謝され、生かされている

ということを心の底から体感されて、この上なく

幸せな気持ちで 、癌との共存生活を恐れなく

受け入れたのだ。


”我が人生に悔いなし”と言い切られて 宣告された

3か月を遥かに超えた3年余の余命を

生きている・生かされている”

という実感を体のすみずみにまで 感じながら、

生き抜かれた。 


続く・・・

**************

。引用部分(”末期がんを元気に生きる”文芸社2011年)

自然治癒力セラピー協会オリジナル:無断転載お断り



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自律神経と免疫力

2012年07月14日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

地球外生物をやっつけた・・・


 

       


 
自分がアートマ(サンスクリット語で、

人間の本質、つまり完全なる神性)であるなら、

その影である肉体(想念エネルギーが造った

現象的物質)も完全であるはずである。

しかし、誰しも寿命という制限はある。

運命という限定条件もある。

寿命運命の枠の中で、生かされている

この身ならば、

必ず完全体になろうという無意識の意識がある

はずだ。

ここでいう、意識というのは肉体の意識であって、

通常の心で感じる意識とは異なる。

心臓が滞りなく機能しているのも、われわれの意識

で動かしているのではないように、

その他の臓器や身体機関の働きを

自律神経が主体になって、動かしている

意味である。

自律神経という言葉を構成している漢字の

意味を見ると、

その含蓄深さを感じざるを得ない。

自律神経が起動してわれわれの生命は

維持されているのだが、

その意味は文字通り“自ら神が律している経路”

なのである。

自律神経が正常に動き身体が機能している限り

人はそうそう重大な病にかかるわけでは

ないだろう。 


自然治癒力が誰にでも、備わっているからである。

次に、自然治癒力の源泉となっている肉体の働き

を見てみたい。



免疫力

アレルギー患者は、ある特定の物質に対する免疫力

が弱いために、その物質が体内に入ると、蕁麻疹や

ぜんそくなどを引き起こすことは知られている。

細菌やカビなども、自然界にはわれわれの5感で

とらえられない領域に生息して人間の体内でも

繁殖して共存している。

そのように、感染したとしても、なぜ、発病しない

かといえば、自然に備わった肉体の免疫作用による。

その菌にたいして“免疫”を創る生理作用もあり、

肉体を守っている。

最近、観た宇宙戦争の映画では、強力な地球外物体が

地球を襲い、人類滅亡の危機に瀕するが、最後の一瞬と

いうところで、地球外物体が崩壊する。

その要因がなんと、地球人にはある免疫力が、

彼らにはないためだった。


彼らは、ある種の細菌に感染してしまい、ミサイル

や近代科学を駆使した地球の攻撃にも、耐え抜いた

地球外生物でさえ、苦しみながら崩壊していくという

結末であった。



自然治癒力セラピー協会オリジナル:無断転載お断り

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認知症の理不尽な物腰への、対処の難しさ

2012年07月12日 | 介護と自然治癒力

読者のかたのご意見に賛成                

 

お母さん、私がお母さんを悲しませること、

そんなことがするはずないじゃない。 


お母さんは幼い頃、いつも、小さな私にとても

優しくしてくれたよね。


そんなお母さんを、どうして、悲しませることができる。 


わかった。 ・・・ わかった。・・

でもそれ以上そんな事を言って、私を責めるなら・・

ごめんね。私、電話、切るよ。”

といって、以前、母が電話の途中、何かに切れて、

プツンと受話器を置いたように、母の理不尽な言葉と

ヒステリックな口調で聞いていられなくなって、

私の方から、電話の途中で受話器を置くのである。

するとその日は 何故かそのことで二度と

かかってこない。


以前だったら、話合って、説明をして、一度納得したように

見えた母は、再度電話をかけてきて、同じ質問をする。


こちらの答えに、また、頭に血が上ったように、母の感情

エスカレートして、興奮が妄想を膨らませ、電話のベル

は鳴り続けたものだった。

 

これは母のケースにだけあてはまるのかもしれない。

ある意味、特殊なのかもしれない。


かし、最近の母は変わった。

今の母は、一人ぼっちになりたくない

言い換えれば、娘から嫌われたくない、だから、娘が

不愉快なことは言わない方がいい~と、頭で理性が

動くだけの余裕があるという事かもしれない

でも、私はそれだけだと思っていない。母とともに、

時々一緒に、食事に誘う妹にいつもいう言葉がある。


それは、妹が私に、”いくら言ってもわからないわよ” 

というスタンスをとる時の、わずかな私の抵抗でもある。

何度でも、噛んで含ませるように母に説明。


先ほどの電話のケースのように、納得してもらっても、

結局、妄想のとりこになる母をみて、私の母に対する

スタンスは、やや、”楽天的だと思う” と妹の反応が

返ってくるのが 今のところ常だが・・・



私の妹にわかってもらいたいスタンスとは次の妹へ

の言葉のものである。


”魂は誰にでもあるの。魂と肉体が分離している(感情の

コントロールが効かないで訳が分からなくなる)

ように見えても、必ず、魂から吐く言葉は 相手の魂に

つながるの。


きっと、お母さんの魂もいつか私たちの真心がとどいたとき、

優しくなるのよ。”

と私は、妹に話すのだ。


では、いつ、私の真心が本物になるのか?


母に上から目線でものを言ったり、”やれやれ” と 内心、

ため息をつきつつ、困った子ちゃんに対するような返答や、

”そうね。そうしましょう。” と言いつつ、相手がそれを

忘れてしまうのを’待つ’式の その場しのぎ的な受け答えで

接する中には、決して真心は、伝わらないだろう。


 だから、心掛けていることがある。

一日のうち一つでいい。優しさと温もりを与えてくれた母

というその人に、そのお返しをさせていただける、という

気持ちをもって、本当の優しさで 自分の心を相手に

投げかけることができるかどうか?



その意味では ゆうこさんの 修行 という心持に、

自分を重ね合わせる。


ずれにしも、私たちの魂の道場の場であるという

ことである。

今、置かれている場所と与えられる体験がすべて 

場の中の修行に過ぎない・・

という点で、ゆうこさんのご意見に賛成です。

 

 

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