自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

血圧の基準値論争:~ボケと降圧剤

2014年06月13日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 脳卒中と血圧の関係         2014・6・13

****************************************

 

血圧などの基準値について、

人間ドック学会理事長・脳卒中の専門医 奈良昌治医師は

インタヴィーに以下のように応えている:(*1)

“今すぐ基準値を変えるべきだ”

というつもりはないとしながらも、

“これから5~10年かけて追跡調査を積み重ねて、最終的結論を

導き出していく“

という。

 

2014年4月初旬、日本人間ドック学会健康保険組は、

“新たな検診の基本検査の基準範囲”と題する研究資料を公開。

その公開数値が、現行の基準値とは大きく異なっていたこと

から医学界では大激論が巻き起こっているという。

 

例えば、高血圧の現行基準値は129であるが、新しい基準値では

147になる。

 

奈良医師は言う。

“例えば、血圧が130を超えたらすぐに、‘お薬を飲みましょう’という医者は

いい医者とは思えません。“

としたうえで その理由として、”血圧とストレス”、”心理的背景原因”が

高血圧の背景に、大きく関係していると、吉田元総理の話を

挙げている。

吉田茂元総理は、かつて、マッカーサーとの政談で、

血圧が300を超えることがあったというのだ。

300を超える値は普通の水銀血圧計では測れない。

どのようにして計測したのかはわからないが、この高血圧

状態が精神的圧迫、ストレスに要因していたということは

吉田氏が総理をやめてから、一気に150まで下がったことから

わかると奈良医師は述べる。

 

さらに、奈良医師はこうした実例を出しながら

ご自分のケースを例にとる。

“わたしも足利赤十字病院の院長だったころはいつも、血圧が180前後で

心配事があると、200を超えることもありました。

でも院長を辞めてから、かなりよくなった。“

 

だから、医者は血圧が高くなったと心配するより、

患者の精神的背景に、何か事情があるのかもしれないと様子を

見る必要があるとも言う。

 

昔は場合によっては、乳糖などでできた偽薬’

を出すこともありました。

血圧の薬ですよ’と言って飲ませると

‘ああ、よかった’ と安心して血圧が下がる人もいるんです。・・・

そのくらい、血圧というのは精神的なものに左右されるのです。・・・

強面(こわおもて)の上司の前も(血圧は)上がる。

リラックスして一杯飲んだら下がるもんです。“

と いわゆる ブラシーボ効果を例にあげて、

人の想念の力が体に及ぼす影響にも触れている。

 

血圧が高いと脳溢血や脳卒中など、脳の血管が切れてしまうと

心配する人は多い。

脳出血と高血圧の関係について、同医師はこう述べる。

 

今では、日本人の栄養状態が良くなって、血管が丈夫になり、

血圧が上がっても、そう簡単に血管は破れなくなった。

むしろ、血圧が下がったときのほうが危ないこともあるのです。“

 

血管を水道管に喩えるのなら、建物が古くなればなるほど、

水道管の中は長年の小さなゴミや髪の毛や食べ物のカスなどが

付着して場所によっては通りが悪くなる箇所も出てくるのは当然だろう。

 

水流を上げることによって、水道管が多少細くなっていても

水の循環を保つことはできる。

同様、年を取った身体の血管が詰まりやすくなれば、

血流を体の隅々まで行き渡すために心臓のポンプの圧力が高くなるのは

当然だろう。

2足歩行の人間は他の動物より血圧を高くする必要が出てくる。

心臓より、頭が上にあるからだ。

だから、頭の血が滞っては、弊害が出るから、血圧は高くなる方が

自然だともいえるのだ。

 

老人の高血圧に対して、当たり前のように降圧剤が出される。

しかし奈良医師は次のように警告する。

“駆け出しの医者が血圧が高いからといって、

おじいさんにたくさんの降圧剤を出すでしょう。

すると、脳に血が回らず、あっという間に、ぼけてしまうのです。“

 

血圧が高くても自分は健康だ~と知っている人は

それでも結構多いだろう。

基準値も見直される昨今、高血圧は薬で下げるべきと

いう等式はもう通用しなくなっている時代にきているのかもしれない。

 

奈良医師も確信的にこう述べている。

“数値にはこだわらないほうがよい。

本当に大事なのは医師が経験を積むこと。

何か悩み事があるか、医者はそういうところまで

目を向けなければいけない。

この数値を超えたら薬を出すべきだと思っている医師

はまだまだ駆け出しですよ。“

 

医者だけの問題ではないかもしれない。

私たち一人ひとりがこうした見解を理解して、

高血圧の薬をもらえば安心できるという

これまでの考え方を見直す必要もあるだろう。

奈良医師は、そうした現状を認めている。

医師側から見れば、患者側からの”とにかく薬を出して欲しい”

という訴えがあるからこそ 降圧剤を出すということになる。

そういう患者に限って

“薬を出してくれないから、さらに病気が悪化したのだ”

と医師を責める人が少なくないことを知っているからだ。

私たち一人ひとりが、体の生命機能に信頼を寄せて

むやみに薬を与えない医師にはむしろ感謝をもって

信頼関係を築くことができるようになれば、様々な点で

良い意味で改革が進んでいくような気がする。

 

*1~週刊現代 2014・5・31号

 

 

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笑顔と看護師と良い病院

2014年06月10日 | 介護と自然治癒力

良い病院とそうでない病院の識別  2014・6・10

**********************************

 

衆議院議員の石田昌宏氏は、政治家になる前は、看護士であった。

日本看護協会に務め、これまでに2千か所以上の医療施設を見て

回ったという。

良い病院かそうでない病院か、その見分け方について、興味ある

対談記事があった。(*1)

良い悪いの定義は難しいが、病院の姿勢や方針の良さは自然と

そこで働いている医師や看護師の表情に顕れてくるらしい。

その見分け方を次のように簡単に紹介している。

1)病院に行ったら、看護婦や患者さんの表情を注意してみる。

良い病院には笑顔の人が多いし、そうでない病院は雰囲気が暗い。

氏は言う。

”病院なのだから、笑顔が無いのは、当たり前という意見もあるかも

知れないがそれは違う。

そもそも病院は病気や怪我を治すための施設。

健康と幸せを回復するために場所。

だから、回復に向かう人が多い病院、それを支えている人が

いる病院は笑顔が多い。

時には病室から笑い声が聞こえるぐらいが良い。”

 

石田氏は聖路加国際病院内科、東京武蔵の病院精神科に

看護師として勤務していた。

患者が笑顔になれる雰囲気を造りだすのには看護師の

力が大きいと実感している。

看護師が笑顔なら、患者も自然と安心感で、笑顔になれるのだ。

でも、一方的に看護師だけに期待するのも片手落ちかもしれない。

と、石田氏はこう述べている。

月並みのですが、(患者さんから)’ありがとう’と

いう感謝の言葉を付けられるだけで(看護師は)とても

嬉しくなるものです。

この一言でどれだけ、看護師たちが救われるか。”

 

患者と看護師が笑顔の人が多いということは

”その病院はお互いに信頼関係がある病院だ、

ということができます”と 石田氏は言う。

だから、まず、受付して待合室にいるとき、周囲の患者さんと

看護師の表情を観察してみることを薦める。

 

2番目の良い病院の見分け方は、効率重視かどうか、

見極める事という。

良い病院は、病気が治る前に退院させない病院だという。

とはいっても、まだ入院もしていないのに効率重視かどうか

判断ができないだろう。

そのために、もっと簡単に見分けるのには、診察室に

入って、医師と話すとき、”患者と目線を合わせて話しの

やり取りをしているか”ということだという。

 

友人の母堂が眼科に行き、担当医師から”手術した方が良い”と

言われて、一気に不安になった様子をみせたと友人から聞いた

その手術する、細かい話しを納得できるように医師に聞きたいのだが

医師は机のパソコンに向かって、データを見ているばかりで

眼を合わせてじっくりと話をしようという気構えすら

感じられず、その医師への信頼感すら喪失しかかったと

話しをしていた。

患者の眼をみず、パソコンの画面をみて、時折、

ちらりと視線を患者に向ける。

こういう医師の診察時の態度は良く見かける光景にもなってきた。

”医療の、データ化、システム化”が進む一方、患者の目線に

たって、とか寄り添って、という余裕も失われてきたかのようだ。

 

石田氏は言う、

評価の高い病院では 機能や効果を優先せず、

治療にしても、’ここまでです’と突き放すようなやり方は

決してしないと思う”。

 

患者も医師まかせにしておかないで、

この病院でどれだけ、自分の病状を緩和してどの状態に

持っていくのか、どこまで、この病院で治せるのかという、ロードマップを

頭に描きながら、医師との対話を試みることも必要だろう。

先回までユマニチュードの話題をとりあげた。

石田氏も、患者と寄り添う病院では看護師が目線を

患者と同じところまで下げて話していると述べる。

”車椅子の方に、しゃがんで正面から目を合わせて話し

かけているかどうかというのは良い病院かどうかの

判断材料になりますね。”

文字通り患者の視点に合わせるということなのだろうが、

70歳以上の看護師を採用して、患者との繋がりを深くしよう

としている病院もある。

石田氏がその病院を訪れたとき、認知症の患者さんが

70歳以上の同年代の看護師と楽しそうににぎやかに

盛り上がって話していたのを見た。

”昔の歌謡曲の歌詞をどちらが、正しく覚えているか、

そんな会話で盛り上がり、認知症の方の状態が改善している”

と感じた。

同じ世代が同じ世代を世話する、これも一つの高齢化に

即した患者さんへの目線を合わせた対応の一つだろう。

いろいろと石田氏はご自身の体験や、病院への視察周りで

感じたことを述べておられた

良い病院かどうか判断するとき、名医がいるかどうかも

話題になる。

しかし、石田氏は次のように言う。

”神の手といわれる名医のことが話題になりますが、医療は

手術がすべてではありません。

やはり、環境の穏やかさ、というものがあって、人はそこで

癒されて治っていくのだと思います。

ですから、患者さんには積極的に看護師と話をしながら、

コミュニケーションを取ってほしいと思います。”

 

石田氏の理想とする病院のイメージがあると語る。

それは、

”穏やかな時間が流れ、木漏れ日が差し込むような病院”の

だという。

穏やかな時間をつくるのも その病院にいる人達だ。

医師、看護師、そして、患者。

心一つだ。

木漏れ日を見ても、心が穏やかになるか、不安が増すかは

心一つといえるだろう。

 

笑顔は最大の愛のプレゼントだと言った詩人がいた。

どんなときでも、病気で苦しいからこそ、辛いこそ、痛いからこそ、

そこで投げかけられる笑顔、感謝で受け取る笑顔、

笑顔でもたらされた ホットする温もりは どんな薬より、心を

癒すことだろう。

ましてや、まだ、病になどかかっていない人・・・

健康なのに、それを忘れて、ぶつぶつ文句を言う人、満たされない部分を

探して不満になる人、いつの間にか眉間に皺(しわ)をよせて、難しく

考え込む人、・・・・

健康な私たちは、病院とは無縁の今だからこそ、”笑顔”を今から作る

ように心がけることも、将来必ずその笑顔で癒し、癒される実感を

持つ日に役立つことだろうと思う。

 

(*1) 文藝春秋 2014 6月号

 

 

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ユマニチュード~認知症でも人格を認めて

2014年06月07日 | 介護と自然治癒力

”あなたに会えてよかった!”   2014・6.7



***********************************

 先回のブログで少し触れたが、

ユマニチュードは、フランス人のイブ・ジネストさんと

ロゼット・マレスコッティさんが完成させた認知症ケアと

いわれている。

フランスでは30年以上の歴史があるが、日本に知られるよう

になって間もない。


エマニチュードの特徴は4つの大事な基本ルールは、

*見つめる事

~相手の眼の視線で瞳の奥を見つめるように、魂にかたりかける

*話しかける事

~わからないだろう・・・ということは絶対ない・

必ず相手は魂で聴いている

触れること

~体のどこでもよいというわけではないが、言葉をかけるとき、

ごく自然に相手に愛が伝わるように。

*立つこと

~二足でまず、立つ意味の大きさ。誰でも立ちたい。歩きたい。

そして、立ってみようという意欲を持たせる。

前向きで明るい心の持ち方が、それを成功させる。

 

考案者イブ・ジネスト氏が日本のある病院で、90代の

寝たきりの認知症の男性を相手に、デモンストレーションを

しているところをテレビで見た。


この男性は80歳代でもまだ社会的活動をしていたのだが、

妻が亡くなると、急に衰えを見せ、現在病院のベッドで

ほとんど寝たきり。

その放映場面は、看護士数人がこの老人の部屋に入っていく

所から始まる。


やさしく声をかけているのだが、老人は頑固にかたくなだ。

口の洗浄を促す3人の看護師に不機嫌に抵抗をして、なかなか口を

開けようともしない。

仕方なく、老人の体をベッドについているベルトで縛り、腕を

抑えながら処置をすることになる。

 

ここで、イブ氏の登場となる。

彼はまず、寝ている老人の注意をドアの外に向けるために

部屋に入る前にノックをする。

こうして、誰かが入ってくる気配を老人が察するようにさせる。

いきなり入って 老人の視界に現れたときの驚きを避けるために。

正常な人と同じように 敬意を持って、接するのだ。

 

そして、老人がイブ氏の存在を見ると、少し離れたところから、

大袈裟に見えるほど、’こんにちは!’と笑顔で老人に挨拶する。

見つめる のだ。

見つめ合って、挨拶して、笑顔で近づく。

話すときの、目線はいつも、老人の眼と同じ高さ。

イブ氏はそのままベッドに近づいて屈んで

眼を見つめたままこう挨拶する。

 

元気? あなたに会えてうれしいですよ。”

老人の眼を見つめるから老人もイブ氏をじっと見つめる。


あなたを大好きですよ、素晴らしい出会いだ。

なんて、あなたは素晴らしい足跡を人生に残してきたのだろう!

言葉に出さなくても、イブ氏の心からのテレパシーが老人の

胸に浸透していくかのようだ。

 

”人は見つめてもらい、誰かと触れあい、言葉を交わすことで

存在する。”とイブ氏はいう。

 

老人は久しぶりに自分を 一人の人格者として一人前に扱って

くれる人間と会ったのだ~と感じ始めているに違いない。

自分と話して嬉しいと言ってくれる人がいる!

会えてよかったと心から語りかけてくれる人がいる!

老人のこうして、閉ざされた心を開いていく様子が手に取る

ようにわかる場面だった。老人の顔に、微笑みが広がるからだ。


そして、彼は、話始めたのだ。

自分のこと、息子のこと、いろいろなこと。

 

時々、イブ氏はやさしく老人の背中をさすり、手を握る。

触れ合う。


マッサージしてあげますよ~と言いながら、体の緊張を

解きながら、暖かい手の温もりを愛とともに伝えるように。


”さあ、あちらに行ってみませんか?

とても気分の良い場所があるのです。”

イブ氏は 老人をベッドから車いすに乗せて、それから、

”立ってみませんか?”と 挑戦を促す。

 

ここから老人の奇蹟が起こる。

これまで何年もたったことのない老人がヨロヨロと細い脚に体の

重心をかけて立ち上がろうとするのだ。

そして・・・


歩いてみたい・・・と老人の意欲が出る。

足を前に一歩ずつ、踏み出そうとする。

”立つこと”

これは ユマニチュード法の基本的ルールの一つだ。


イブ氏は言う。

”死に至る日まで、できるだけ立つことで、人としての尊厳を

自覚する。”

 

老人の心が変わった。笑いがこみ上げる。

そして、尊厳に満ちた自分を想いだして、自力でたって歩きたい

という気持ちが自然とわき出て、立って歩いた。

次に、老人は目的地の部屋へ行くと、そこの椅子に腰かけた。

イブ氏は本題に入る。そう、口の洗浄だ。


”あなたの口、どのくらい大きく開きますか?

私に見せてください。”


すると、老人は、大きく口を開いて見せるのだ。

イブ氏は、綺麗な布を手に、

”さあ、これから、あなたの口の中をきれいにしますよ。ほ~ら”

と、言って、数回、手早く自分の手に巻いた布を、大きく開いた

老人の口の中に突っ込んで手際よく、口の中を拭く。


”どうですか? 気持ちいいでしょう?”

老人はにこやかに ”気持ちいい” と嬉しそうに答えた。

 

そばを囲んで見守っている看護師の顔には、戸惑いと喜びと

驚愕が混じっていた。

イブ氏はこうして デモンストレーションして見せ、そのルールに

沿った介護を行いながら、老人の心と体に起きた、大きな成果を

周囲に納得させた。


まず、見つめる、そして、愛を持って語りかける。

やさしく、体の緊張をほどきながら、触れる。


そして、立つこと、立てるという意識、立ちたいというやる気を

起こさせていく・・・

心の元気が、そうした生命の力を駆り立てる。

”立てるという意識こちらが、そう対応を変えることで、患者も

変わっていくのです”と イブ氏は言った。

 

私たちは死ぬまで尊厳ある人格者だ。

魂の領域は死ぬまで変わらずに活動している。

たとえ認知症、アルツハイマーと診断され、理が通らない行動を

本人が全く自覚できなくなり、暴力を振るい、罵詈雑言

(ばりぞうごん)を口走っても、それはむしろ私たちへの

何らかの有り難いメッセージと受け取ることができるのかも

しれない。


この気難しくなった老人も、笑いを、全く忘れてしまったわけ

ではなかった。

人間だけが笑いを知っている。

それは、他の動物と異なる、人の霊性を顕す一つの能力だろう。

 

”何年かぶりに、父の笑顔を見ました”

と、この老人の家族が イブ氏との会話の中で楽しそうに笑う

父の姿をみて驚きながらつぶやく。

 

こうして、イブ氏の認知症患者に対する癒しのメソッドの効果は

そこにいたすべての人達が確認したのだ。

相手に尊厳を持って接すること、

4つの基本的主旨を背景に様々な状況設定においてのマニュアルが

造られていると聞いた。

 

しかし、そのマニュアルどおりしても、必ず成功するとは

限らないだろう。


相手を変える事ができる根底にあるのは、マニュアルではなく、

誰でも本来持っている尊厳性を どんな状態の人にも 認めて

接しながら、引き出していく、介護する人の 強い信念と、愛以外

のなにものでもないような気がする。

 

 

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介護の現場:理想と現実

2014年06月04日 | 介護と自然治癒力

私をもっと、見つめて!   2014・6・4

********************************

 

 

 

友人の父上が術後、認知症がすすみ、すっかり

変わってしまったという話をこの数か月で2件聞いた。

いろいろな理由があるのだろうが、その矢先に

新聞で次のような記事をみつけて読んだ。

読売新聞4月29日2014年の記事だが、タイトルは

”理想と現実、きしむ現場”と、内容に添えられている。

認知症の人達が長期にわたり入院している病院での

現状を取材し、4月16日から20日の朝刊に連載されていた。

読者の反応も高く、130件を超える感想意見が寄せられた

という。

 

 ほとんどが認知症の家族をかかえて、あるいは、

病院に勤務していての体験となっている。

その中には、

”主治医も一部の看護師も、認知症患者を人として

みていない印象だった。”

と言う、47歳の主婦の意見が取り上げられていた。

父親は70歳代、昨年4月 認知症専門病院に入院

させたが、入院前は歩いていた父が車いすに

乗って、足がむくみ靴がきついらしく、靴下に血が

にじんでいた。

主治医にそれを指摘したところ、

”私だって、一人で90人も診ている”と、逆切れされた。

其の後2か月たって、父親は息を引き取った。

 

これに似たケースとして、51歳の男性は、

入院した認知症の母親の歯磨きがされておらず、

一か月後に退院させたのだが、

”入院前より言葉が出なくなった。

入院させたことを後悔している。”と手紙を寄せた。

 

一人で90人の認知症患者を診なければならない

医師と看護師たち。

医療現場では物理的にどうしようもない人手不足という

問題をかかえて、一人の患者に対するねんごろな

対応が不可能になっているのかもしれない。

新聞には医療現場からの声も載せられていた。

”入院患者が泣き叫んで拒否しても、3人~4人で

押さえつけ 薬や注射で鎮静させる。”

と関東地方のある精神科病院に勤務経験のある

31才の女性は言う。

”(患者の)言葉による暴力も日常的で、患者を

人として扱っていない。~と、以前務めていた

勤務先の実情を訴えた。”

せめて、介護に携わる現場の人間として

自分だけは血の通う、寄り添う看護をしたいと

この女性は思ったという。

”認知症の人達が最期の瞬間まで、自分らしく生きられる

ようにと心の通った看護を試みた。”

しかし、

”周りのスタッフから、’余計なことはするな’と注意された”

と結んでいる。

こうした情景はたぶん日本だけに限ったことではないだろう。

どこの国でも、認知症で暴言や暴力癖が出てきた患者に

対して、介護する側も手っ取り早く、おとなしくなってもらうために

鎮静剤や睡眠薬、体を縛り付けるバンドなどを使っている

と聞く。

 これが認知症の成れの果てか・・・と他人事とは思えず

実態を知れば知るほど 溜息が出てくる。

まだまだ日本では、寄り添う介護 という言葉が現実化するには

時間がかかるのだろうか?

そんな折、一つの素敵で魅力的な介護の技術を教える

指導者のことを知った。

”もっと、もっと、よ~く、私を見て!”

と笑顔で彼は、暴力癖のある認知症患者に語りかけている

姿がそこにあった。

 

ユマニチュードは、フランス人のイブ・ジネストさんと

ロゼット・マレスコッティさんが完成させた認知症ケアの

新しい形といわれている。


フランスでは30年以上の歴史があるが、日本では昨年初めて

研修が行われた。

その特徴は4つの大事な基本ルールにそって、行われている 

ということ。

 

見つめる事

話しかける事

触れること

立つこと

 

実際、ヴィデオでイブ・ジネスト氏が日本のある病院で90代の 

寝たきりの認知症の男性を相手に、デモンストレーションを

しているところを見た。  

 

90歳になってもまだ社会的に活動を続けていたこの男性は 

妻が亡くなると、急に衰えを見せ、現在病院のベッドで

ほとんど寝たきり。

口の洗浄を促す3人の看護師にも暴言や抵抗をして、なかなか口を

開けようともしない。 

仕方なく、体をベッドについているベルトで縛り、腕を抑えながら 

処置をすることになる。

老人は怖い顔で看護士たちをにらみつけて、

時には手を挙げて、彼らが体に触れることを拒んでいる。

一人の看護士がつぶやいた。

”一生懸命しているのですが、なかなか、伝わらず、

なぜ、こんなに怒られたり、時には叩かれたりしなければ

ならないのでしょう?”

イブ氏は そんな情景を見ると、言う。 

”この看護師たちの目線が高い。 

笑っていない。

マスクをしているから口元が笑っていても

わからないし、顏半分が隠れているから

感情も伝わりずらい。


 老人の手を押さえつけたり、ましてやベルトで縛るというのは 

’私はあなたを愛していません’と言っているのと同様です。

部屋に入ってくるときも、ベッドの老人の視線の位置から

ずれているから、いきなり 現れたように感じて、

まず、身構えてしまうでしょう。


安心を与え、心地よさを与えるということが最初から

できていないです。”

 さて、イブ氏なら どのように対応してどのような変化が

この老人に見られるのだろう?

誰も、この老人が別人のように、元気に明るくイブ氏と話す

ことなど想像ができなかったに違いない。

 

 

 

続く~

 

 

 

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近藤医師の癌治療への反論

2014年06月01日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

抗癌剤・がんもどき一考  2014・6・1

***************************

 

生存率というのはどういうことだろう?

抗癌剤を使って、劇的に癌部位が小さくなれば

延命につながるという反論異見がある。

一方、近藤医師は、抗がん剤を使ったグループが

使わなかったグループより、生存率が高くなったという

確証をもって、初めて抗癌剤の有効性が証明される

としている。

また、副作用を止めるための薬も開発されていて、

抗癌剤服用に伴う吐き気が止まったり、白血球減少

を食い止める白血球増多剤を使うことで、副作用が

少なくなるということもあるという。

しかし、それらの副作用で抑えられる症状はあくまで

一部であり、疲れやだるさ、さらにもっと体に打撃的な

心不全や、肺不全、あるいは腎不全などの副作用まで

抑えられるかと言えば、否だという。

副作用防止の薬を使うことが、癌への直接的対策

になるかといえばそうでもなく、副作用を抑えながら

抗癌剤を増量していっても、”生存率や生存期間が

向上しなかった”というデータがあると近藤医師は

述べている。

毒を持って毒を制す、さらにその上塗りをして、

毒を制して毒素を生むところにまた毒を使うというのが

現代の医療スタイルともいえるのではないかと感じる。

先回の冒頭にかかげた、近藤医師の意見の反論を

発表した、  久道氏の早期がん発見の重要性という

考えに順ずるものとして、集団検診の薦めが

あるかもしれない。

しかし、久道氏は条件づきで検診の効果の或る場合を

規定している。

”すべての健診が有効だとは言っていません。

子宮がん、胃癌、乳がん、では効果は大きいが

現状では肺がんには効果があるとは言い難い。

また、肝臓や膵臓の癌も、今の診断技術では

早期発見につながらない。”

一方、大阪府立成人病センター大島明調査部長(当時)

”老人保健法にもとづく、原罪の肺がん検診や視検診による

乳がん検診の効果はないかあっても少ない”

と述べているところから意見が分かれているようだ。

胃癌に関しては、現行の健診では8割以上の専門家は

有効でないと述べているようだ。

むしろ、近藤医師は健診を受けてから結果を聞くまでの

不安、精密検査を要すると判断されたときのショック、

検診にともなう心理的ストレスが大きいとしたうえで、

実際の健診の有効性を考えて、”Ⅰ利の益もないがん検診”

と結論していると述べている。

論点4) ガンモドキ理論

早期発見が意味のないとする近藤医師の理論は

ほんとうの 癌であれば、たとえ早期でも他の臓器に

移している場合が多いので、元の発病したところの病巣を

発見して手術しても転移で命をおとすことになる場合が

ほとんどである。~ というところにある。

逆にいえば、転移しない癌はがんと診断されていても

むしろ、癌ににた(もどきの)代物、つまり、ガンモドキで

在ると命名して、それが日本では意外と多いことを

指摘している。

早期発見された癌でも、通常 1cmの大きさになっていて

そこには10億個の癌細胞が含まれている。

そこまで数が増えていく間に他の臓器に転移していないのなら、

転移能力のない、”がんもどき”であると近藤医師は

呼んでいる。

この理論が反響を呼んだことはいうまでもない。

もし、この意見が事実であると認められれば、

早期がん発見が必ずしも、ガン撲滅に有効手段である

こともなくなるだろう。

手術といった比較的多く撮られている治療方法も

変わってくるだろう。

そのままにして様子を見てみましょう~という診断が可能に

なるからだ。

癌細胞と一口にいっても、転移する能力があるかないかは

ガンモドキかそうでないかの違いによるという

近藤医師の意見は画期的かもしれない。

さらに、自然治癒力セラピー的に付け加えさせていただければ、

ガンモドキの場合、想念エネルギーで癌細胞を変化させることも

可能であるし、またその実例もあることを付記したい。

 

従来の固定観念に縛られないこと、

自分の体は自分で守ることができる、

たとえ、進行がんと判断されていても、ガンモドキ が

あること、癌と診断されても、勇気をもって受け止め

癌と共存するくらいの穏やかな心持で、対応していくことなど

これまでの常識とはかなり異なる近藤医師の意見を

改めて反論を読みながら、感じた次第である。

反論として、数時を持ってきて実際比較する医師たちも

いた。

それは一見説得力があるし、信憑性も高く感じられるだろう。

近藤医師は それらの数字を”魔術”のようだと呼び、

惑わされないよう警告している。

 

 

 

 

 

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