彼の絵に初めて触れたのは5,6年ほど前だったろうか? 新聞の日曜版に大きく出ていた鶏の絵を見て、今まで見たことのないような個性に目を奪われた事を思い出す。
7月から上野で 彼と江戸絵画のプライスコレクション展が催される事を目にしてから 早く行きたいとずっと思っていた。
今日、見ることができた「若冲と江戸絵画展」は、期待を裏切られることなく、憧れていた 旭日雄鶏図 猛虎図 紫陽花双鶏図を見ることができた。その他若冲一派の曽我蕭白などのエキセントリックで斬新な絵画 肩肘はったものではなく なんとなくユーモラスな表情が漂う作品達の魅力的だったこと。
その他、琳派に連なる 酒井抱一 鈴木其一などの屏風絵などもとても美しかった。琳派の会場では 照明に工夫がされ、朝の光、昼の光、夕闇の頃を照明で演出することにより、その時々に顔を変える日本絵画の変化、自然と一体化した芸術というのが強く感じられた。
それにしても、絵画と言うものの感想を書くのはなんて難しいのだろうか。百の言葉を尽くしても、その絵画を表すことはできない。ただ 各々が見て感じることが何よりというしかないと思う。
ということで、一つ一つの絵に関する感想も書き表すことはできないから、このコレクションが存在する事のすばらしさについてちょっとだけ書いてみたい。
ジョー・プライスは資産家の子弟であり、父が フランク・ロイド・ライト(旧帝国ホテルの設計者)と親交があったことから、彼の自然観などに影響を受けていたらしい。そして、彼とニューヨークを訪れ、日本の絵画を扱う古美術店で 若冲の若い頃の作品の水墨画と出会ってから、彼の画とその他江戸絵画を中心としたコレクションを始めたということである。
彼が始めてであった 若冲の葡萄の絵。 もちろん墨の濃淡で画かれた素晴らしいものであるが、思ったより小さく、地味といってもいいものである。これに目を奪われ、その後素晴らしいコレクションを構築して行ったという事実に 私は何故か泣きそうになった。天才が 目利きに見出されたその事実、一枚の絵によってもたらされた そのドラマチックな幸せな出会いの瞬間が 私の中で想像されたからだと思う。
その後プライス氏は、京都を訪れて そこで通訳として案内された女性(悦子夫人)と結ばれ、そのほかの若冲の絵画たちや 江戸の絵画を見出し、自分のコレクションに加えていったということである。
江戸という 鎖国時代という特殊な環境で 日本独自の文化が育ち、円熟し、その後に訪れた 明治維新以降のめまぐるしい時代の中で 江戸の絵画文化が日本人の中で忘れられてしまわれそうだった時代に、まだ若かったアメリカの青年にそれが見出されたということの 不思議さ、そして、少しの皮肉さ を 感じてしまった。
しかし、彼の目利きによって一堂に会された絵画、それを見る事のできた幸せのほうが何倍も強かった。
素敵な一日に感謝。
7月から上野で 彼と江戸絵画のプライスコレクション展が催される事を目にしてから 早く行きたいとずっと思っていた。
今日、見ることができた「若冲と江戸絵画展」は、期待を裏切られることなく、憧れていた 旭日雄鶏図 猛虎図 紫陽花双鶏図を見ることができた。その他若冲一派の曽我蕭白などのエキセントリックで斬新な絵画 肩肘はったものではなく なんとなくユーモラスな表情が漂う作品達の魅力的だったこと。
その他、琳派に連なる 酒井抱一 鈴木其一などの屏風絵などもとても美しかった。琳派の会場では 照明に工夫がされ、朝の光、昼の光、夕闇の頃を照明で演出することにより、その時々に顔を変える日本絵画の変化、自然と一体化した芸術というのが強く感じられた。
それにしても、絵画と言うものの感想を書くのはなんて難しいのだろうか。百の言葉を尽くしても、その絵画を表すことはできない。ただ 各々が見て感じることが何よりというしかないと思う。
ということで、一つ一つの絵に関する感想も書き表すことはできないから、このコレクションが存在する事のすばらしさについてちょっとだけ書いてみたい。
ジョー・プライスは資産家の子弟であり、父が フランク・ロイド・ライト(旧帝国ホテルの設計者)と親交があったことから、彼の自然観などに影響を受けていたらしい。そして、彼とニューヨークを訪れ、日本の絵画を扱う古美術店で 若冲の若い頃の作品の水墨画と出会ってから、彼の画とその他江戸絵画を中心としたコレクションを始めたということである。
彼が始めてであった 若冲の葡萄の絵。 もちろん墨の濃淡で画かれた素晴らしいものであるが、思ったより小さく、地味といってもいいものである。これに目を奪われ、その後素晴らしいコレクションを構築して行ったという事実に 私は何故か泣きそうになった。天才が 目利きに見出されたその事実、一枚の絵によってもたらされた そのドラマチックな幸せな出会いの瞬間が 私の中で想像されたからだと思う。
その後プライス氏は、京都を訪れて そこで通訳として案内された女性(悦子夫人)と結ばれ、そのほかの若冲の絵画たちや 江戸の絵画を見出し、自分のコレクションに加えていったということである。
江戸という 鎖国時代という特殊な環境で 日本独自の文化が育ち、円熟し、その後に訪れた 明治維新以降のめまぐるしい時代の中で 江戸の絵画文化が日本人の中で忘れられてしまわれそうだった時代に、まだ若かったアメリカの青年にそれが見出されたということの 不思議さ、そして、少しの皮肉さ を 感じてしまった。
しかし、彼の目利きによって一堂に会された絵画、それを見る事のできた幸せのほうが何倍も強かった。
素敵な一日に感謝。