局の道楽日記

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生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

病気腎移植について

2006-11-12 20:30:00 | 様々な思い
これは私のドナーカードである。心臓死後の腎臓と膵臓の臓器提供を意思表示しているわけです。
脳死で心臓あげるほど 度胸はないし、角膜とかは顔をいじられるのは嫌じゃいって言うへタレではあるんだけど。

今度の事件では 最初はかなり驚いた。腎移植に関してドナーとレシピエント間の金銭授受からはじまって 今度は病気の腎移植。万波医師という かなり特異なキャラクターもあいまって 悪者作りたがりのマスコミの格好の餌になった感じだった。私も最初はびっくりしたもの。癌の腎臓? 常識外だろ?って。

でも、ここのところ ちょっと風向きが変わったみたいね。患者さん側からの声を聞けば、万波医師に対する 批判より感謝の方がはるかに多いってことは否めなくなったみたいだ。一生懸命 同意文書がどうのこうのって批判をあおっているようだけど、彼の外科医としての腕は確かで それに救われてきた多くの患者さんたちの声ってものは否定はできないと思う。プロセスに問題はあったにせよ。
20年も前の空輸腎の移植の話を持ち出してきて実験医療だとか 言い出したみたいだけど、むしろ 20年も前に死体腎を空輸して地方の病院で移植をして 何ヶ月かは定着していたって事に驚くべきだと思う。今みたいに 免疫抑制剤も発達してなかっただろうし。今だって 腎移植していったんは透析を離脱しても、また移植腎が働かなくなって 戻ってくる患者さんは存在する。
それに医療の発達っていうのは ある程度の実験的な側面は不可欠じゃないだろうか。こういった視点で昔の事をほじくりだせば色々な手術方法を開発してきた先達の外科医なんてみんな罪人だと思うわ。
少なくとも  今度保険医を取り消された J医大の心臓外科医のSさんや JのA病院の できもしない内視鏡手術を強行して失敗した 外科医トリオさんたちと同様に今度の出来事を糾弾するべきじゃないように感じてしまう。

後、腎臓が働かなくなっても 透析や CAPDなど代替の医療があるだろ。肝臓や心臓の移植の場合とは違うだろ って意見もあるのはわかる。私はちょっとした理由で透析患者さんとかかわってきたことがあるけど、患者さんの中でも 透析が合う合わないがあるようで、元気でぴんしゃんしてる人もいたけど、色々な副作用も出て、肉体的にも精神的にも落ち込んで一日も早く透析から離脱したいと訴える人たちもたくさんいた。移植ネットワークに登録していても適合する死体腎が出るのは宝くじにあたるようなもんだしねえって嘆く声も何度も聞いた。

とても現実的な考えだけど、死後の臓器提供を有償にはできないんだろうか?生きている間の臓器を有償とすると 臓器売買とか問題になるから せめて死後の話だけど。
私自身は、別に 焼かれちゃう臓器が誰かの役に立てば、罪深かった我が人生 ちょっとは救われるんじゃない? くらいのノリで提供したいと思ったからどうでもいいのですけど。
でも、善意だけではなかなか動かないのが世の中じゃないだろうか?50万くらいで 死後 自分の残したい人にそのお金が渡るような制度にしておいたら、「それじゃ葬式代の足しになるだろ」 と ドナー登録する人も増えるのではないだろうか?日本人って変な所に金銭的潔癖感(特に医療の場の表面的な部分とか)があるから 違和感を持つ人も絶対居ると思うけど。いらない人はいらないって意思表示しておくとか選択肢を持たせるとかして。
50万(仮)は国から供出する。患者さんが透析から離脱すれば すぐに元がとれると思うんだけど。



コメント (8)
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