局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

女袴に思う~卒業式シーズンを前に

2007-01-30 20:26:09 | 着る
昨日の着物の会のテーマは女袴だった。
最近、なぜだか知らないが、女の子たちの成人式の晴れ着と卒業式の袴はすっかり定着したようだ。それぞれの着こなしで楽しそうにしているのはいいけど、昨日の講義で 女性が袴をはくということについて考えさせられたので ちょっと記録しておこうと思う。

女性の袴といういでたちは平安貴族、皇族、それに仕える宮中の女官たちが着用した緋袴が起源である。
それが武士の時代になると、武家の女性は小袖を上着として用いるようになって袴は宮中でしか用いられなくなり、男性の正装となった。

そして明治になり 明治5年に東京女学校、明治7年に東京女子師範学校が設立された。明治政府が従来の儒学的な女性教育でなく 西洋の教育も取り入れて教育しようと設立した女学校だった。そしてそこで勉強始めた女性たちが自分たちの制服として着用したのが 男の袴だったそうである。当初 そこで勉強していたのは良家の子女(今まで大名家だったり宮中の関係者だったりした少女たち)だったが彼女たちが新しい時代の風を感じ、自分たちも男に伍して時代を作っていこうとした現われではないかと思う。

しかし、明治10年代になるとそれに反対する世論がまきあがった。男の袴を女がはくなんて生意気だ。女は勉強しなくても家事をしていればいいんだ。という声である。

私はけしてフェミニストってわけじゃないけど イスラム原理主義の人たちにせよ、今度の柳沢厚労相の 「女は子供生む機械」発言にしろ 時代と地域を越えて ある種の男たちの共通認識は変わらないんだなってうんざりすると共に感慨にふけってしまうのであります。家の夫なんて結構まともだなって思うわね、こういう点じゃ。っつーか柳沢さんもああいう事言ったらどういう騒ぎになるか想像しないで口から垂れ流すって点で既に大臣の資格ないと思うんですが。もうちっと頭使ってよ ですよね

そういう批判を受けて 一旦女学生たちは 着流しに戻ってしまったわけだけど、明治30年代、当時東大の先生として来日していたドイツ人の医学者のベルツ博士が華族女学校(学習院の女子部)の先生になり、彼の提言として 女学校の体操の時間に袴が取り入れられた。これまでの着流しは駆けたりするのに足が現れるのが気になって運動不足となった。これからの婦人はもっと運動して身体を鍛えなくてはならない。といったもっともな意見だった。
これが契機となり、地方の女学校で皇族たちの視察の際の服装として、海老茶色の袴が着用されるようになり、女学生の服装として海老茶の袴が定着するようになった。いわゆる 「はいからさん」である。

私は 明治初期の男の袴を自ら履いて勉強して行こうとしていた当時の女学生たちの矜持に心をうたれた。
服装史っていうものを追ってみると、当時の社会や生活が驚くほど反映されていて本当に興味深い。
今の女の子たちの コスプレ気分の袴着用も文句を言う気もないけど、自分と同い年くらいの明治時代の女の子たちの心意気も知った上でちょっと厳かな気分で袴を履いてみるのもいいんじゃないかなと思う。

手始めに娘にレクチャーしておこう。 
コメント
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