今日は今年初の白磁ペイントお稽古日。
マーガレットの小皿が完成した(未焼成)
マイセンやアウガルテン風になるには道は遠いが楽しんで行きたいと思う。
そこで 年末(クリスマスイブ)に訪れた 有田市のことをまだ書いていなかった
ので、記憶が薄れないうちにアップしておこうと思った。
JR佐世保線に乗り 有田駅で降りた。
駅構内にある観光案内所のおばさんから ぜひ見てみてくださいと推薦された
九州陶磁文化館に行くことにした。
駅から南に約10分歩き 高台にある素敵な建物。
ここで九州陶磁の歴史や 古陶磁 現代の九州陶芸 柴田夫妻コレクションという
江戸時代の有田磁器コレクションなどを見る事ができる。
ちなみに無料 ありがたいことである。
マイセン市から贈られたという鳥の陶器の置物 中庭に置かれている。
いい天気で気持ちよかった。
数々の展示の中で私が感銘を受けたのはこれ↑
蒲原コレクションという輸出伊万里の数々だけど ヨーロッパ王朝に輸出された
伊万里たちである。
普段、マイセンだのとヨーロッパの窯元のものをありがたがって憧れているわけ
だが、元々 日本の技術がこうやって輸出されて基礎を作っていたんだなってこと
が 目の当たりにできたから。
そして 柴田夫妻コレクションという江戸時代の有田磁器コレクションでは 今度は
中国からの染め絵付けに影響されたり 影響を与えたりして 両者が競うように
発展された様子がよくわかった。
何度か書いたことだけど いわゆる美術品のコレクターの情熱ってありがたいと
思うのよね。目利きが情熱を持って系統だって集めたものが、現在私達の前に
こうやって一貫性を持って現れてくれる。
柴田夫妻の亡くなったご主人の方は東京出身だけど、有田陶器に魅せられて、佐賀に
来られたそうだ。いかにも育ちのよい慶応ボーイっぽいハンサムなご主人と上品
そうな奥様だった。 ありがたや。
ちなみに館内のお手洗い。こんな素敵な陶器の便器で用を足すのは気が引けますが・・・(笑)
駅までの道すがら 橋の欄干にも有田焼がくっついております
その後 バスに乗り東に向かい、窯元のある場所に行くことにした。
たくさんある窯元 えんとつが目印
陶磁器の店や美術館が並ぶ町並み。こちらは 三衛門の一人 今右衛門さんのお店。
お店の陳列物を見るのも 美術館にいるようで楽しかった。
深川製磁でワイングラスを購入した。
また機会があったらもっとゆっくり見て回りたい町だった。
マーガレットの小皿が完成した(未焼成)
マイセンやアウガルテン風になるには道は遠いが楽しんで行きたいと思う。
そこで 年末(クリスマスイブ)に訪れた 有田市のことをまだ書いていなかった
ので、記憶が薄れないうちにアップしておこうと思った。
JR佐世保線に乗り 有田駅で降りた。
駅構内にある観光案内所のおばさんから ぜひ見てみてくださいと推薦された
九州陶磁文化館に行くことにした。
駅から南に約10分歩き 高台にある素敵な建物。
ここで九州陶磁の歴史や 古陶磁 現代の九州陶芸 柴田夫妻コレクションという
江戸時代の有田磁器コレクションなどを見る事ができる。
ちなみに無料 ありがたいことである。
マイセン市から贈られたという鳥の陶器の置物 中庭に置かれている。
いい天気で気持ちよかった。
数々の展示の中で私が感銘を受けたのはこれ↑
蒲原コレクションという輸出伊万里の数々だけど ヨーロッパ王朝に輸出された
伊万里たちである。
普段、マイセンだのとヨーロッパの窯元のものをありがたがって憧れているわけ
だが、元々 日本の技術がこうやって輸出されて基礎を作っていたんだなってこと
が 目の当たりにできたから。
そして 柴田夫妻コレクションという江戸時代の有田磁器コレクションでは 今度は
中国からの染め絵付けに影響されたり 影響を与えたりして 両者が競うように
発展された様子がよくわかった。
何度か書いたことだけど いわゆる美術品のコレクターの情熱ってありがたいと
思うのよね。目利きが情熱を持って系統だって集めたものが、現在私達の前に
こうやって一貫性を持って現れてくれる。
柴田夫妻の亡くなったご主人の方は東京出身だけど、有田陶器に魅せられて、佐賀に
来られたそうだ。いかにも育ちのよい慶応ボーイっぽいハンサムなご主人と上品
そうな奥様だった。 ありがたや。
ちなみに館内のお手洗い。こんな素敵な陶器の便器で用を足すのは気が引けますが・・・(笑)
駅までの道すがら 橋の欄干にも有田焼がくっついております
その後 バスに乗り東に向かい、窯元のある場所に行くことにした。
たくさんある窯元 えんとつが目印
陶磁器の店や美術館が並ぶ町並み。こちらは 三衛門の一人 今右衛門さんのお店。
お店の陳列物を見るのも 美術館にいるようで楽しかった。
深川製磁でワイングラスを購入した。
また機会があったらもっとゆっくり見て回りたい町だった。