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局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

みゃー地方の食べ物

2009-02-02 18:27:17 | 食べる
今回叔父と叔母と書いてきたが、実は彼らと私は血のつながりはない。

家の親戚関係は結構複雑で、私の実家の祖父母は子供には恵まれなかった。
そのため OO家存続のため(当時は大袈裟だったのね~) 祖母の甥である父と祖父の姪である叔母を一人ずつ養子にして兄妹としたらしい。更に叔母は今回亡くなった叔父を婿養子とした。
従って 私は祖父と、この叔母とも血縁はないわけである。そして更に叔母は書類上の姪や甥(私や弟)にくわえて 本当の姉妹や甥や姪 いとこなどがいるわけです。
私も叔母の子供である従兄弟たちの他に 父の兄弟の子供なので本当の血縁だけど、書類上では違う従兄弟が存在するわけです。 ああめんどくせぇ。

とは言っても 私は祖父や祖母にとても可愛がってもらったし、別にどうってことないのだけど、叔母の本当の実家の血縁たちとはほとんど疎遠であった。
しかし、今回は叔母の本当の血縁の親戚たちがずい分力になってくれたらしい。
私がお見舞いから帰ったあとに行って亡くなるまでと亡くなったあとも仕切っていた 塾の教師をしているという叔母の姪。気が利く葬儀委員長として活躍していた。
今回、彼女とは アメリカから帰国したこの家の長男の結婚式以来20年ぶりの再会だったが、兄とダンナをアゴでつかって仕切るたのもしさに同様の匂いを感じて(笑)気があってしまった。
お通夜が終わり叔母と長男を送ってから、彼女とその旦那と兄弟と家の弟とは同じホテルに泊まる手はずになっていたので、一緒に夕飯を食べることにした。
助六だけのお寿司でまるで物足りなかったのである。
ホテルはこの街の中心街にあり、周りはネオンがきらびやかだったが、夜のこの街に詳しいメンバーは一人もいなかった。

 

しばらく寒い街をさすらった後、この店を発見。
名物の手羽先だにゃ。このダサさを追及した看板に脱帽である。
土曜の夜ということもあって、満杯だったがみんなで座れた。畳のお座敷に自分の靴をビニール袋にいれて持ち込むといった庶民的な店だった。



名物手羽先。コショーがむせそうなほど利いているが私は趣味な味。ビールに最適って感じだった。
揚げ豆腐にかかっているのは八丁味噌だれ。
手羽先とともに味噌も名物なんですね



どて焼きというもつ煮も八丁味噌味。これもおいしかった。

しかし、これはあまりと言えばあまりの味・・・
よっぱど好きな人はどうぞ



何にでも味噌味つければいいってもんじゃないと思うのですが・・ 普通に出てくるのがみゃー地方なのね。

あと 味噌串カツも食べたが、豚のバラ肉の薄切りが串に巻きつけてフライしてあって衣はしっかり味噌だれに浸してあるというシロモノであった。
結構おいしかったが一人前5本は多すぎであろう。

ここは一人前もたっぷり、焼酎おゆわりの濃さもたっぷり。さすがお値打ち感に敏感なみゃー地方で流行る店だと思った。
また会計してびっくり。大人6人で食べて1万円ちょっとだったのである。
東京のシケた居酒屋だったらその倍はとられると思うな。

泊まったホテルはビジネスホテルだったが、朝食はサービスバイキングと書かれていた。どうせパンとコーヒーくらいだろうと思っていたが、しっかり和食と洋食メニューがあって、里芋のそぼろかけやブロッコリーのクリーム煮などおいしかった。部屋は狭いながらもセミダブルベッドのツインで清潔だったし、みゃー地方あなどれずと思った。

今度はこんな機会でなく純粋に遊びに行ってみたいものである。

次の日のお清めはホールで出た松花堂弁当だったが、エビフライと八丁味噌の田楽やはり入っていた。
この地方はどれだけ八丁味噌ラブなのだろうか?

我が家の今夜の献立はお土産の味噌煮込みうどんであります。



コメント (12)
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所変われば

2009-02-02 16:42:37 | 様々な思い
叔父の葬儀のため みゃー地方に行ってきた。
同じ仏教でも所変われば色々なやり方があるものなのね~と改めてびっくりした。


結局 子供たちは長男は通夜に間に合わず、長女も体調を崩して入院先を抜け出して式にでるといった事情だった。女手も必要だったのでやっぱり私も行ってよかったなとも思った。

とはいえ 葬儀一式は、この地方で一番セレブだという葬儀屋によってとりおこなわれた。係りの人たちも慣れていて丁重だったが、今一つ お高いというか熱心さに欠ける応対が気になった。弟曰く「家の方は 天国社と極楽社(仮名)が覇権争いしてるからもっと熱いぜ。盛り上げ過多のところもあるがもうちょっとサービスに血が通ってる気がする・・・」そうである。

色々細かい点はあったが長男も通夜が終わってからアメリカから無事に帰国して 次の日の告別式は叔母をいたわりながらもきちんと喪主を務めていた。

そして この地方の斎場に行ってみて私は一番びっくりしてしまった。

このみゃー地方の田園調布ともいわれる(らしい)八Oというところの山の上に広大な墓地があり、その中の斎場だった。
巨大な建物だった。
中に入ると Noがついて炉が並んでいる。
このみゃー市には焼き場はここ一か所に集約してあって、ここに50基の炉があるのですと。炉と炉の間は2mくらいの間隔で並んでいた。
叔父のひつぎを待っている間にも あっちの通路やこっちの通路に違う遺族たちが行きかい、叔父の棺が炉に入った5分後くらいに隣の炉に違うひつぎがいれられる。
遺族はたくさんある休憩所で待ち場内放送を聞いて呼び出されて 骨拾いをする手はずになっている。
場内の混雑緩和のため お骨拾いは10人以内という制約もあり、骨は部分的に壺に入れて、残りは処分されるようだった。隣の骨拾いの一族とまるでカーテンも仕切りもない。

炉は一日に二回転できるので一日100人の遺体を処理できるそうである。
合理的といえば合理的なんだろうが、斎場というより遺体処理工場といった趣だった。
人口が集中する都市だから仕方がないのだろうけど・・・

同行の親族たちも同様な感想を持ったらしく、焼き場の係りの人にその話を聞いて
「ご繁盛ですね~」と余分な事を口走ってしまったといってあせっていた。

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