局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

庭園美術館

2009-12-14 11:19:41 | 見る(映画 劇場 美術館など)
さて、ウェスティンでハイティーを楽しんだ後、白金の庭園美術館に向かった私達。
目黒駅でおりて目黒通りを歩いていくとちゅうにこんな店を発見



テディベア専門店 あまり可愛いので足をとめてクリスマス仕様の小さいベアを購入してしまった。

で、庭園美術館で観たのはパリに咲いた古伊万里展

ちょうど2年ほど前だろうか 佐賀の有田に行き有田焼きの博物館を観たがこの時も江戸時代にこの地方で作られた磁器がヨーロッパに渡り、当時の中国磁器と競合しながら貴族や王朝などで珍重されたことを知った。

この展覧会は碓井文夫氏のコレクション 1659年 オランダの東インド会社の船が日本の磁器を長崎から出航した350周年を記念して開催されたもの

こちらのリンクを読まれたらおわかりと思いますが、16世紀まで白磁は中国からの輸入された贅沢品であった。それが秀吉の朝鮮出兵のさいに鍋島氏が中国磁器の技術をもった朝鮮人の陶工を連れ帰り 自分の藩の中で磁器制作に適した地を求め、有田でその制作を始めたのが日本における磁器の始まりだった。

それが、中国の政治の混乱などで中国からの輸入が減ったことより 国内むけや輸出向けなど日本製の磁器が発展するようになる。


最初は中国磁器の模倣品が多かったが、景徳鎮などと競争しながら、



柿右衛門様式など日本独自の様式が発展して 景徳鎮が逆に模倣するような時期もあった。(チャイニーズイマリと呼ばれるものもあるらしい)

 

その後金覧手様式とよばれ金彩が多く使われる色絵のものが主流となったらしいがヨーロッパ王朝に渡ったあとに金属で加工されて 暖炉脇に置かれるなど室内装飾に使われたりもしたらしい



こんなのホント素敵 まさに東西のコラボだわ。

その後また景徳鎮の復活による価格競争の点、オランダの衰退、マイセンなどの台頭により有田磁器の輸出は減少したらしいが・・・

輸出盛んだったころの有田の陶工たちは、自分の描いて焼いた作品がヨーロッパに渡ってどんな所にどんな風に使われたり、飾られたりするようになるのか 想像していたのだろうか?
逆に それを手に入れたヨーロッパの人々は 海の向こうの小さな国でどんな人々がこれを作ったのか思いを馳せたのだろうか?

美しい物、時代を経たものを目の前にすると モノがたどってきた運命とそれにかかわってきた今は亡き人々を想像してしばし佇んでしまう。

と、ワタシの感慨を破ったのは 同行の友の一言

「ねえねえ 局さん。私こういうお皿見るとついカツオのたたきを盛りたくなっちゃうのよね~」
そう、彼女は高知出身であった・・・ 


 この美術展が行われていたのは ここ 旧朝香宮邸

日本庭園と西洋庭園があり、いいお天気だったのでお散歩してみた

  日本庭園

 塀のすぐ外は首都高が走っているのよね~ 不思議な空間だよ

   西洋庭園

   ちょっとしたリースやアレンジメントもステキです

入り口の茶店は 金田中の系列らしい。メニューを見てみたら安くて軽食もおいしそうだった。 本家金田中はなかなか行けないから、今度ここで食べてみたい。

オットにこの一日の事を話したら
ウエスティンから恵比寿に戻って 山手線に乗ってまた目黒駅から歩いたというところでバカにされた。 
「ホテルからだったら直接歩いたほうがよっぽど近い!」

・・・確かに・・・ 

改めて我が身の地図が読めない女ってことを自覚した。













コメント (4)
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