ワタシのブログを良くお読みになってくださる方にはもうおなじみの舞台友N。
小中同じ学校で過ごし、その後は音楽方面にすすみ、ヨーロッパ留学先で同じような音楽家のご主人と出会って結婚したヒト。
オペラ 宝塚 歌舞伎 もろもろの舞台のワタシの水先案内人であり、私たちの同窓会の万年幹事のまとめ役である。
そしてその高校時代の恩師。詳しくは言えないが今は結構な印税収入で暮らしておられる。
彼も文化オジで、とにかく舞台物、出版物に詳しい。
今年は年明けそうそうの歌舞伎でご一緒した。
この時一緒だったのが中高一緒だったMちゃん。気の毒なことに3年ほど前にと~~っても仲良しだったご主人をガンで亡くされた。ただとっても資産家なお家だったのでその後の生活に支障はなく、優秀な3人のお子さんたちはご主人のあとをつぐべく進学してみんな優秀な大学生となってちょっと一息といった感じである。
中学時代から癒し系美少女として名を馳せて 今でも十分その雰囲気が残る美人である。
そこに目をつけたのがおせっかいじゃなくて世話焼きN
「ホニャララ先生の友達で奥さんを亡くしたおじさん(以下ヤモメオジとする)がいるんだけどさ、二人を合わせようと思うんだけど。どうせだからSの送別会を兼ねた合コンにしようよ。局協力するように」
向こうは5人のオジ 私たちは来月からご主人の転勤のためにベ●ギーに行ってしまうSを含めて6人である。
みんな同郷、同じ学校を卒業した同い年オバ
まず私にふられた任務はその6人のオバプロフィールを作成することだった。
連休前に卒業大学 家族構成 仕事 趣味 一言プロフィールなどエクセルで作成して文化オジに送ったが、なかなか好評であった。文化オジもそれぞれのオジたちのをまとめて 一緒に印刷してそれぞれに配ってくれた。
場所は御茶ノ水某ホテルのワインバー
雰囲気も落ち着いておつまみ類もおいしかった。おまけにほぼ貸切状態だった。
相手のオジたちはいわゆるダンカイ世代ど真ん中。東京生まれの東京育ちでオットの高校にもほど近い高校の同窓生である。
この日の目的はMちゃんとヤモメオジの秘かなお見合いというものだったし、その年代だと多くはハ●かメタボと予想。まるで期待はなく刺身のツマとしての盛り上げ役に徹しましょうという覚悟で参加したワタシだったが、予想に反してと言っちゃ悪いが面白かったのよね~~
ダンカイ育ちって60人居た大人数のクラス育ちで 雑踏にもまれて育ち 学生運動ど真ん中。それなりに競争しながら熱い時代を過ごしてきた方たち。その後に来た熱の醒めた時代に育った私たち世代。「シラケ世代」なんて呼ばれてもさ、そっちが勝手にかき回しといて その混沌が過ぎたあとの時代を作ったくせによく言うよ と私たちから見れば言いたくなる世代ではあります。
私たちが就職した頃はその方たちが上司になって付き合いもあった世代。なかなか濃ゆい人たちが多かったと思う。
そしてその中で定年という年を過ぎても未だ勝ち抜いて働いている、もしくは再雇用されて新しい道でがんばっているオジってのが昨日のメンバーだったのでなかなか面白かったです。オットと同業者のオジだけはちょっとメタボ気味だったが 音楽プ☆デューサーのオジさんなんかはトライアスロンが趣味というだけあって贅肉ひとかけらもなく髪も突っ立てていてそれが似合っていた(ワタシの苦手なバーコードは一人もいなかったし)その他もみんな仕事を目一杯こなし、趣味もそれなり、したがって話題も豊富で退屈はしなかった。それに昔の自慢話やつまんないシモネタセクハラ発言も出なかったし。
問題のヤモメオジは髪は真っ白だが宇津井ケンに似ている昔はかなりイケメンというのが納得できるオジであった。
一方Mちゃん(中央) おしゃれだし年とっても可憐な雰囲気。ヤモメオジの長い語りもうなずきながら聞いていて、なかなかいい雰囲気だった。
ワタシたちもなかなかオシャレメンバー(周りは)それぞれ仕事しながら自己メンテに励んでいるのでデブでもないし、年齢的には十分いっているがいわゆるオバハンというイメージではないと思う。(多分)
親友A
建築家Nちゃん
ワインがすすむにつれて座は盛り上がって 二次会は近くのイタリアンで飲みなおし。
こうなると毒舌Nちゃんは オジたちを気持ちよくジジイ呼ばわりを始める。話はあっちこっち飛ぶけど色んなところで笑いがはじけて楽しい会としてお開きになった。
オジから「次はいつ?」との話も出てたし、私たちも結構面白かったねって感想だったのでこれは定例会になりそうである。
まあダンカイから見れば 私たちも十分オジョウサンですからね。たまにはちやほやされるのも一興。
肝心のヤモメオジとMちゃんのその後は知らないけど、同じ種類の寂しさを共有できて、たまにお茶飲むくらいの異性の友達って居たらちょっと楽しいんじゃないかと思う。ビジュアル的にはお似合いの二人だったし・・・
小中同じ学校で過ごし、その後は音楽方面にすすみ、ヨーロッパ留学先で同じような音楽家のご主人と出会って結婚したヒト。
オペラ 宝塚 歌舞伎 もろもろの舞台のワタシの水先案内人であり、私たちの同窓会の万年幹事のまとめ役である。
そしてその高校時代の恩師。詳しくは言えないが今は結構な印税収入で暮らしておられる。
彼も文化オジで、とにかく舞台物、出版物に詳しい。
今年は年明けそうそうの歌舞伎でご一緒した。
この時一緒だったのが中高一緒だったMちゃん。気の毒なことに3年ほど前にと~~っても仲良しだったご主人をガンで亡くされた。ただとっても資産家なお家だったのでその後の生活に支障はなく、優秀な3人のお子さんたちはご主人のあとをつぐべく進学してみんな優秀な大学生となってちょっと一息といった感じである。
中学時代から癒し系美少女として名を馳せて 今でも十分その雰囲気が残る美人である。
そこに目をつけたのが
「ホニャララ先生の友達で奥さんを亡くしたおじさん(以下ヤモメオジとする)がいるんだけどさ、二人を合わせようと思うんだけど。どうせだからSの送別会を兼ねた合コンにしようよ。局協力するように」
向こうは5人のオジ 私たちは来月からご主人の転勤のためにベ●ギーに行ってしまうSを含めて6人である。
みんな同郷、同じ学校を卒業した同い年オバ
まず私にふられた任務はその6人のオバプロフィールを作成することだった。
連休前に卒業大学 家族構成 仕事 趣味 一言プロフィールなどエクセルで作成して文化オジに送ったが、なかなか好評であった。文化オジもそれぞれのオジたちのをまとめて 一緒に印刷してそれぞれに配ってくれた。
場所は御茶ノ水某ホテルのワインバー
雰囲気も落ち着いておつまみ類もおいしかった。おまけにほぼ貸切状態だった。
相手のオジたちはいわゆるダンカイ世代ど真ん中。東京生まれの東京育ちでオットの高校にもほど近い高校の同窓生である。
この日の目的はMちゃんとヤモメオジの秘かなお見合いというものだったし、その年代だと多くはハ●かメタボと予想。まるで期待はなく刺身のツマとしての盛り上げ役に徹しましょうという覚悟で参加したワタシだったが、予想に反してと言っちゃ悪いが面白かったのよね~~
ダンカイ育ちって60人居た大人数のクラス育ちで 雑踏にもまれて育ち 学生運動ど真ん中。それなりに競争しながら熱い時代を過ごしてきた方たち。その後に来た熱の醒めた時代に育った私たち世代。「シラケ世代」なんて呼ばれてもさ、そっちが勝手にかき回しといて その混沌が過ぎたあとの時代を作ったくせによく言うよ と私たちから見れば言いたくなる世代ではあります。
私たちが就職した頃はその方たちが上司になって付き合いもあった世代。なかなか濃ゆい人たちが多かったと思う。
そしてその中で定年という年を過ぎても未だ勝ち抜いて働いている、もしくは再雇用されて新しい道でがんばっているオジってのが昨日のメンバーだったのでなかなか面白かったです。オットと同業者のオジだけはちょっとメタボ気味だったが 音楽プ☆デューサーのオジさんなんかはトライアスロンが趣味というだけあって贅肉ひとかけらもなく髪も突っ立てていてそれが似合っていた(ワタシの苦手なバーコードは一人もいなかったし)その他もみんな仕事を目一杯こなし、趣味もそれなり、したがって話題も豊富で退屈はしなかった。それに昔の自慢話やつまんないシモネタセクハラ発言も出なかったし。
問題のヤモメオジは髪は真っ白だが宇津井ケンに似ている昔はかなりイケメンというのが納得できるオジであった。
一方Mちゃん(中央) おしゃれだし年とっても可憐な雰囲気。ヤモメオジの長い語りもうなずきながら聞いていて、なかなかいい雰囲気だった。
ワタシたちもなかなかオシャレメンバー(周りは)それぞれ仕事しながら自己メンテに励んでいるのでデブでもないし、年齢的には十分いっているがいわゆるオバハンというイメージではないと思う。(多分)
親友A
建築家Nちゃん
ワインがすすむにつれて座は盛り上がって 二次会は近くのイタリアンで飲みなおし。
こうなると毒舌Nちゃんは オジたちを気持ちよくジジイ呼ばわりを始める。話はあっちこっち飛ぶけど色んなところで笑いがはじけて楽しい会としてお開きになった。
オジから「次はいつ?」との話も出てたし、私たちも結構面白かったねって感想だったのでこれは定例会になりそうである。
まあダンカイから見れば 私たちも十分オジョウサンですからね。たまにはちやほやされるのも一興。
肝心のヤモメオジとMちゃんのその後は知らないけど、同じ種類の寂しさを共有できて、たまにお茶飲むくらいの異性の友達って居たらちょっと楽しいんじゃないかと思う。ビジュアル的にはお似合いの二人だったし・・・