昨日の記事 ★ の続きです。
志の輔さんの「落語」に関して続けると、その時間軸と空間、現実とフィクションの間を行きかって話が進む。それでも彼の表現力で観客は混乱することがない。
その上、大河ドラマプロジェクトを進める主任とその部下。多分50代くらいの千葉県庁あたりの公務員のおじさんと30代くらいの部下が ご当地を盛り上げるプロジェクトとして分室をまかされ、伊能忠敬をNHK大河ドラマに取り上げてもらおうということで色々やっているわけだけど、その人の良さそうでのんびりとした空気がなんとも言えない面白みとして表現される。一方では歴史上の出来事のクライマックスとしては完成された伊能図が将軍家斉の前で広げられる所は 江戸城の大広間に伊能図が広げられ、その迫力に人々が息をのむ様子まで私たち観客が容易に想像される話だった。
笑える所は思い切り笑え そして感動してしみじみできる。
才能ある噺家さんって スゴイものなんですね~。と、つくづく・・・
ところで伊能忠敬。日本史上の偉人として小学生でも知っている人物だと思うけど、彼が自分で測量した結果が地図になるのを見届けていないという事実ってあまり知られてはいないんじゃないかと思われる。
この話の中でも出てくるのだけど、地図が完成して幕府に献上されたのは忠孝の死から2年後なんです。しかもその間、忠孝の周りの人々(高橋景保以下チーム伊能の面々)によってその死は隠されていた。志の輔さんの話の中では それが忠孝の残した測量という地道な仕事に対するチームからの敬意として最後まで(地図の完成まで)忠孝の仕事として完成させたかったのではないかとなっていたが、その通りだと信じたい。
ただ忠孝の 「ただ地球の大きさを知りたい」(子午線の長さを知って地球の外周を知りたい)ってことは彼の生前にもわかっていたのだと思う、それは良かったなと思う。
そしてね、この話を聞いている間も懐かしさがこみ上げてきたのだけど 伊能忠敬って我が家にとってはとりわけ親しみ深い歴史上の人物なのですよ。
ムスメが小学校の時・・・ ホント今思うととてもめんどくさい小学校でね、「卒論」があったわけです。6年生になると自分でテーマを決めて色々調べたり作ったりしてまとめる。テーマによって相談する先生も決められる。教育熱心な家庭の多い環境(今思うとよくあんな面倒なことできたなと自分で自分を褒めてあげたいがその時は周りにつられてやっていたw)家族としても色々な所に連れて行ったり実験に付き合ったりしていたようだった。
そしてさらに その6年の卒論に向けての練習として5年生でプレ卒論みたいなもんがありましてね、夏休みの自由研究のちょっと重いもののような位置づけとして 社会科と理科の研究があったのだ。
それを我が家では(家のムスメの研究だったのだが、結局親までまきこまれたもんだ)「伊能忠敬」をテーマにしたのよね。
資料を読んで生涯をまとめたり、佐原にある記念館に行ったり(ちょうどお祭りもやってて面白かったが)それだけじゃつまらないので 実際に忠孝のやったやり方で近所の地図を作ってみよう(これは私が思いついてムスメが研究テーマに書いちまったおかげで後でさんざん苦労したもんだ。)などとひと夏 忠孝漬けで過ごした。
しかし これだけ熱心に色々やったのに家のムスメ、まるで歴史とか古典とかワタシのリキ入れた部分の興味が育たなかったのが今となっては不思議~。そう思うとムナシイもんだがこの先の彼女の人生でどこがで良い影響があるんだろうか?
まったく子供なんて思うようには育たないもんだ。ってここで愚痴っても仕方ないけどさ。
それからですね、偶然ドラ(ムスコ)が入った中学は 卒業生に忠孝の子孫がいらっしゃったらしい。ドラが高校になってからだったか?その縁で伊能図が学校に来て公開されるとかってイベントがあったように思う。
その頃私はもうかなり 「子供の教育熱」からは冷めていたし、ドラもろくでもないことばっかりしていたので なるべく近づかずにすむ場面では学校には近づかなかったのである(トホホ)
今思えば、行っておけばよかったな。
一方ね、去年の夏 「はやぶさ」の地球帰還ってニュースがあったでしょ? なんだか暗いニュースばかり、かつめちゃ暑くて日本中が疲弊していた夏の終わり、あのニュースは久々の明るいハナシとして歓迎されましたよね。
あのはやぶさプロジェクトに ドラの学校の卒業生が3人居たんだって。しかも天文部だか気象部だかで。らしいなぁとあとで聞いてなんとなく納得した。
地球の大きさを知りたい と言って ただひたすら同じ歩幅でとてつもない距離を黙々と歩いた男。そして何万キロ先の小惑星までたどり着いてまたそこから帰ってくる探索機を作りたい そして長いスパンで数々の困難を乗り越えてそれを成し遂げた男たち。
その二つの事柄になんだか同じ気脈を感じてしまったのよね。
ドラの学校、こうしてインスタントでないなんだか遠くて大きな理想に向かって行けよ って感じで教育してくださる理念のある学校だったな~と今になっては思う。先生たちも「勉強しろ」などとはまるで言わない方たちだった。(たまには言ってくれよ~とも思ったけどね)
今思うとこういうセンスは伊能忠敬センスだね。茫洋としてガツガツしてない。ちょっとオタクテイストもあったが個人が好きなことをやってそれを伸ばしてくれようとする、今思うと良い学校だった。
だいぶ話がそれたが終了します。
志の輔さんの「落語」に関して続けると、その時間軸と空間、現実とフィクションの間を行きかって話が進む。それでも彼の表現力で観客は混乱することがない。
その上、大河ドラマプロジェクトを進める主任とその部下。多分50代くらいの千葉県庁あたりの公務員のおじさんと30代くらいの部下が ご当地を盛り上げるプロジェクトとして分室をまかされ、伊能忠敬をNHK大河ドラマに取り上げてもらおうということで色々やっているわけだけど、その人の良さそうでのんびりとした空気がなんとも言えない面白みとして表現される。一方では歴史上の出来事のクライマックスとしては完成された伊能図が将軍家斉の前で広げられる所は 江戸城の大広間に伊能図が広げられ、その迫力に人々が息をのむ様子まで私たち観客が容易に想像される話だった。
笑える所は思い切り笑え そして感動してしみじみできる。
才能ある噺家さんって スゴイものなんですね~。と、つくづく・・・
ところで伊能忠敬。日本史上の偉人として小学生でも知っている人物だと思うけど、彼が自分で測量した結果が地図になるのを見届けていないという事実ってあまり知られてはいないんじゃないかと思われる。
この話の中でも出てくるのだけど、地図が完成して幕府に献上されたのは忠孝の死から2年後なんです。しかもその間、忠孝の周りの人々(高橋景保以下チーム伊能の面々)によってその死は隠されていた。志の輔さんの話の中では それが忠孝の残した測量という地道な仕事に対するチームからの敬意として最後まで(地図の完成まで)忠孝の仕事として完成させたかったのではないかとなっていたが、その通りだと信じたい。
ただ忠孝の 「ただ地球の大きさを知りたい」(子午線の長さを知って地球の外周を知りたい)ってことは彼の生前にもわかっていたのだと思う、それは良かったなと思う。
そしてね、この話を聞いている間も懐かしさがこみ上げてきたのだけど 伊能忠敬って我が家にとってはとりわけ親しみ深い歴史上の人物なのですよ。
ムスメが小学校の時・・・ ホント今思うととてもめんどくさい小学校でね、「卒論」があったわけです。6年生になると自分でテーマを決めて色々調べたり作ったりしてまとめる。テーマによって相談する先生も決められる。教育熱心な家庭の多い環境(今思うとよくあんな面倒なことできたなと自分で自分を褒めてあげたいがその時は周りにつられてやっていたw)家族としても色々な所に連れて行ったり実験に付き合ったりしていたようだった。
そしてさらに その6年の卒論に向けての練習として5年生でプレ卒論みたいなもんがありましてね、夏休みの自由研究のちょっと重いもののような位置づけとして 社会科と理科の研究があったのだ。
それを我が家では(家のムスメの研究だったのだが、結局親までまきこまれたもんだ)「伊能忠敬」をテーマにしたのよね。
資料を読んで生涯をまとめたり、佐原にある記念館に行ったり(ちょうどお祭りもやってて面白かったが)それだけじゃつまらないので 実際に忠孝のやったやり方で近所の地図を作ってみよう(これは私が思いついてムスメが研究テーマに書いちまったおかげで後でさんざん苦労したもんだ。)などとひと夏 忠孝漬けで過ごした。
しかし これだけ熱心に色々やったのに家のムスメ、まるで歴史とか古典とかワタシのリキ入れた部分の興味が育たなかったのが今となっては不思議~。そう思うとムナシイもんだがこの先の彼女の人生でどこがで良い影響があるんだろうか?
まったく子供なんて思うようには育たないもんだ。ってここで愚痴っても仕方ないけどさ。
それからですね、偶然ドラ(ムスコ)が入った中学は 卒業生に忠孝の子孫がいらっしゃったらしい。ドラが高校になってからだったか?その縁で伊能図が学校に来て公開されるとかってイベントがあったように思う。
その頃私はもうかなり 「子供の教育熱」からは冷めていたし、ドラもろくでもないことばっかりしていたので なるべく近づかずにすむ場面では学校には近づかなかったのである(トホホ)
今思えば、行っておけばよかったな。
一方ね、去年の夏 「はやぶさ」の地球帰還ってニュースがあったでしょ? なんだか暗いニュースばかり、かつめちゃ暑くて日本中が疲弊していた夏の終わり、あのニュースは久々の明るいハナシとして歓迎されましたよね。
あのはやぶさプロジェクトに ドラの学校の卒業生が3人居たんだって。しかも天文部だか気象部だかで。らしいなぁとあとで聞いてなんとなく納得した。
地球の大きさを知りたい と言って ただひたすら同じ歩幅でとてつもない距離を黙々と歩いた男。そして何万キロ先の小惑星までたどり着いてまたそこから帰ってくる探索機を作りたい そして長いスパンで数々の困難を乗り越えてそれを成し遂げた男たち。
その二つの事柄になんだか同じ気脈を感じてしまったのよね。
ドラの学校、こうしてインスタントでないなんだか遠くて大きな理想に向かって行けよ って感じで教育してくださる理念のある学校だったな~と今になっては思う。先生たちも「勉強しろ」などとはまるで言わない方たちだった。(たまには言ってくれよ~とも思ったけどね)
今思うとこういうセンスは伊能忠敬センスだね。茫洋としてガツガツしてない。ちょっとオタクテイストもあったが個人が好きなことをやってそれを伸ばしてくれようとする、今思うと良い学校だった。
だいぶ話がそれたが終了します。