ドラ(ムスコ)の就活以来、我が家は日経をとっている。まああんまり政治的なスタンスも偏ってないように思えるのでそれはそれでいいのですが、時々かなりひっかかるのが土曜のおまけ?の日経+1という別紙の中のマナーのツボ。
これにたびたび執筆される マナーデザイナーの岩下ホニャララ先生って方のご神託に結構ひっかかるんです。
今日のもそう。「人の服にクリーニングのタグがついてたらどうするか?」ってマナーであった。
こんなつまらんことをマナーとして人に教えたり教えてもらったりするんかいな ってのは置いといて・・・
☆一緒に笑える親しい人だったら 嫌味にならない程度で「いいもの見つけちゃった」と知らせる
☆では上司や先輩だったら
預かったコートなどはさりげなく取ってそしらぬふりをする
シャツの衿やズボンの後ろについてたら 「部長少し止まっていただけますか」などと言って近づき「失礼します」と手でさっとちぎる
なるべく本人に恥をかかせないようにってのがポイントだそうだ。
ワタシの頭の中では、若い社員がハゲの部長かなんかのズボンにさっと飛びついてタグをひきちぎって飛び退る図ってのが勝手に描かれて、笑いが止まらなくなってしもうた。
タグって安全ピンとかホッチキスとかでついてて、引きちぎってズボンの生地まで破かないことを祈る とかね。もう勝手に想像して抱腹絶倒。
あと友達からタグのことで「いいもの見つけちゃった」なんて言われたら不愉快だけどね。普通に「タグついてるよ。取るね」でいいじゃないか。
このおばはん(呼ばわりしてすまぬ)以前お正月のマナーの中で上司の子どもへのお年玉をあげるときの注意についても言及していた。
これはいつだったか(今年か去年か忘れた)このブログにも書いたので再度しつこいけど、曰く、上司の子どもに「お年玉」としてあげるのは失礼。
お年玉ってのは目下にあげるものだから「文具料」とか表書きをするように とか・・・
たとえ上司の子どもでもガキはガキ どうしてそんなところでへりくだらなきゃならないかってのと、今時新年のあいさつに上司の家にいってお年玉をそこんちの子供にあげるってパターンも珍しいのではないかと書いた覚えがある。
あと、ワタシの子供時代(古き昭和ですけどさ)祖父の会社の人たちが年始の挨拶に我が家に来て、その方たちからお年玉はいただいた記憶があるが、みんなそろって「お年玉」って袋でくれたけどね。
何を根拠に失礼とか決め付けるんだろ? 勝手にめんどくさいルールを作らんでもらいたい。
と この方をググったら(ちなみにK立短大卒で某醤油屋さんにお勤めだったという経歴の方だそうです へ~)ワタシと同じように思った葬儀屋さんのブログが出てきた。
曰く 岩下〇子さん、勝手に葬儀マナー作るのやめてください って題だった
岩下先生が何をおっしゃったかと言うと
病院で亡くなった遺体は、死亡診断書さえあれば、自分の車で運んでも構いませんが、ご遺体をまっすぐに載せることができる車かどうかが肝心です。
だって。
それに対しての反論がかいてあった。
勝手に引用して申し訳ないのですが 以下・・・
たとえボックスタイプの車にフルフラットの空間が確保できてもご遺体を乗せるのは大変です。
ご遺体を引きずるわけにはいかないので ご遺体を抱える遺族は自分の頭を車の天井にぶつけないように中腰の姿勢でなおかつご遺体を水平に保ったまま移動して、その後ゆっくりと腰をおとして安置しないといけません。
実際やってみればわかりますがかなり大変です。・・・後略
ここで 再度その図を想像して抱腹絶倒してしまったワタクシ。。不謹慎ですが・・・
いくら肉親だろうが自分の車に遺体を抱えて載せて運びたくないです。
何のために葬儀屋さんがいるんだ?・・・
あと弔電を打つタイミング(曰く通夜に届けるのは遺族がまだ故人の死を受け止めきれてないのでNG 葬儀に間に合うようにがいい)とかも、実際に葬儀当日に届くと代読すべきものをピックアップする作業などがあわただしいので早いほうがいい とか(もっともである)それにお通夜の次の日が葬儀ってパターンが多いのに、そんな一日で故人の死の受け止め方が変わるものなのであろうか?
その他、この時にググったことでワタシがひっかかったのは 冠婚葬祭の婚の場面での一例ですが・・・
曰くご祝儀は式当日でなくて事前に渡すほうがいい。直接会って渡すのが難しければ現金書留で
これにはワタシは笑えなくて腹がたちました。ただでさえ忙しい結婚式前の日々を過ごしている方々に、祝儀を渡すために時間をつくってもらう?それに現金書留を受け取るのって家にいなきゃいけない。いなけりゃ再配達の手続きも大変だし、更に時間をとられる・・・
式場で渡されたら、受付に頼んで保管して一緒にできるし 一番面倒じゃないじゃないか。
この方の言う、思いやりの心(自分がされて嬉しい事をする、自分がされて嫌なことをしない、それを相手の立場にたって考える すなわち、共感力)を基本とするマナー
再度 へえ~~
「したり顔」「決め付け」=マナーデザイン と 感じてしまうのはワタクシがひねくれてるからですかね、だったらどーもすみません。
でも、いるんだよね、こういうの盲目的に信じて、それを昔からの常識として受け止めて 「したり顔」「決め付け」の再生産する人たちって。
これもちょっと前に書いたんだけど
「ご苦労さま」が目上に言っちゃいけないNGワードになったこと。
これっていつからなんですかね?「お疲れ様」なら良いとか それでもダメとか・・・
「ご苦労さまでございます」って昔は先生とかにも言ってたよ。
だって お疲れ様って 疲れるのは遊んでもなにしても疲れるから、とても軽い意味に思えるけど、「ご苦労さま」ってのには何か人のために働いてくれてそれに対しての苦労をねぎらってありがとうの意味合いも含まれるとても便利な言葉なんだと思うんですけど。
これが目上に対するNGワードとして扱われるのは非常に不便なんですけど・・・
目上に対しても「ご苦労様」復活運動の音頭をとりたい。
話がそれたが、最近 めんどくさいっつ~か 何を根拠に?という謎のマナーだか常識があっと言う間に伝達され、蔓延される局面が目につく気がする。
こういうのが無駄に日常を縛って不自由になるのは自分たちなのに・・・
これにたびたび執筆される マナーデザイナーの岩下ホニャララ先生って方のご神託に結構ひっかかるんです。
今日のもそう。「人の服にクリーニングのタグがついてたらどうするか?」ってマナーであった。
こんなつまらんことをマナーとして人に教えたり教えてもらったりするんかいな ってのは置いといて・・・
☆一緒に笑える親しい人だったら 嫌味にならない程度で「いいもの見つけちゃった」と知らせる
☆では上司や先輩だったら
預かったコートなどはさりげなく取ってそしらぬふりをする
シャツの衿やズボンの後ろについてたら 「部長少し止まっていただけますか」などと言って近づき「失礼します」と手でさっとちぎる
なるべく本人に恥をかかせないようにってのがポイントだそうだ。
ワタシの頭の中では、若い社員がハゲの部長かなんかのズボンにさっと飛びついてタグをひきちぎって飛び退る図ってのが勝手に描かれて、笑いが止まらなくなってしもうた。
タグって安全ピンとかホッチキスとかでついてて、引きちぎってズボンの生地まで破かないことを祈る とかね。もう勝手に想像して抱腹絶倒。
あと友達からタグのことで「いいもの見つけちゃった」なんて言われたら不愉快だけどね。普通に「タグついてるよ。取るね」でいいじゃないか。
このおばはん(呼ばわりしてすまぬ)以前お正月のマナーの中で上司の子どもへのお年玉をあげるときの注意についても言及していた。
これはいつだったか(今年か去年か忘れた)このブログにも書いたので再度しつこいけど、曰く、上司の子どもに「お年玉」としてあげるのは失礼。
お年玉ってのは目下にあげるものだから「文具料」とか表書きをするように とか・・・
たとえ上司の子どもでもガキはガキ どうしてそんなところでへりくだらなきゃならないかってのと、今時新年のあいさつに上司の家にいってお年玉をそこんちの子供にあげるってパターンも珍しいのではないかと書いた覚えがある。
あと、ワタシの子供時代(古き昭和ですけどさ)祖父の会社の人たちが年始の挨拶に我が家に来て、その方たちからお年玉はいただいた記憶があるが、みんなそろって「お年玉」って袋でくれたけどね。
何を根拠に失礼とか決め付けるんだろ? 勝手にめんどくさいルールを作らんでもらいたい。
と この方をググったら(ちなみにK立短大卒で某醤油屋さんにお勤めだったという経歴の方だそうです へ~)ワタシと同じように思った葬儀屋さんのブログが出てきた。
曰く 岩下〇子さん、勝手に葬儀マナー作るのやめてください って題だった
岩下先生が何をおっしゃったかと言うと
病院で亡くなった遺体は、死亡診断書さえあれば、自分の車で運んでも構いませんが、ご遺体をまっすぐに載せることができる車かどうかが肝心です。
だって。
それに対しての反論がかいてあった。
勝手に引用して申し訳ないのですが 以下・・・
たとえボックスタイプの車にフルフラットの空間が確保できてもご遺体を乗せるのは大変です。
ご遺体を引きずるわけにはいかないので ご遺体を抱える遺族は自分の頭を車の天井にぶつけないように中腰の姿勢でなおかつご遺体を水平に保ったまま移動して、その後ゆっくりと腰をおとして安置しないといけません。
実際やってみればわかりますがかなり大変です。・・・後略
ここで 再度その図を想像して抱腹絶倒してしまったワタクシ。。不謹慎ですが・・・
いくら肉親だろうが自分の車に遺体を抱えて載せて運びたくないです。
何のために葬儀屋さんがいるんだ?・・・
あと弔電を打つタイミング(曰く通夜に届けるのは遺族がまだ故人の死を受け止めきれてないのでNG 葬儀に間に合うようにがいい)とかも、実際に葬儀当日に届くと代読すべきものをピックアップする作業などがあわただしいので早いほうがいい とか(もっともである)それにお通夜の次の日が葬儀ってパターンが多いのに、そんな一日で故人の死の受け止め方が変わるものなのであろうか?
その他、この時にググったことでワタシがひっかかったのは 冠婚葬祭の婚の場面での一例ですが・・・
曰くご祝儀は式当日でなくて事前に渡すほうがいい。直接会って渡すのが難しければ現金書留で
これにはワタシは笑えなくて腹がたちました。ただでさえ忙しい結婚式前の日々を過ごしている方々に、祝儀を渡すために時間をつくってもらう?それに現金書留を受け取るのって家にいなきゃいけない。いなけりゃ再配達の手続きも大変だし、更に時間をとられる・・・
式場で渡されたら、受付に頼んで保管して一緒にできるし 一番面倒じゃないじゃないか。
この方の言う、思いやりの心(自分がされて嬉しい事をする、自分がされて嫌なことをしない、それを相手の立場にたって考える すなわち、共感力)を基本とするマナー
再度 へえ~~
「したり顔」「決め付け」=マナーデザイン と 感じてしまうのはワタクシがひねくれてるからですかね、だったらどーもすみません。
でも、いるんだよね、こういうの盲目的に信じて、それを昔からの常識として受け止めて 「したり顔」「決め付け」の再生産する人たちって。
これもちょっと前に書いたんだけど
「ご苦労さま」が目上に言っちゃいけないNGワードになったこと。
これっていつからなんですかね?「お疲れ様」なら良いとか それでもダメとか・・・
「ご苦労さまでございます」って昔は先生とかにも言ってたよ。
だって お疲れ様って 疲れるのは遊んでもなにしても疲れるから、とても軽い意味に思えるけど、「ご苦労さま」ってのには何か人のために働いてくれてそれに対しての苦労をねぎらってありがとうの意味合いも含まれるとても便利な言葉なんだと思うんですけど。
これが目上に対するNGワードとして扱われるのは非常に不便なんですけど・・・
目上に対しても「ご苦労様」復活運動の音頭をとりたい。
話がそれたが、最近 めんどくさいっつ~か 何を根拠に?という謎のマナーだか常識があっと言う間に伝達され、蔓延される局面が目につく気がする。
こういうのが無駄に日常を縛って不自由になるのは自分たちなのに・・・