話は先々週の日曜日の朝にさかのぼる。
その日はムスコ一家と彼の家の近くの某産業系の学校の文化祭に行く予定で、休日の朝にのわりには早めに起きて着替えなぞしている最中に電話。
両親のいる有料老人ホームからである。
こういう朝早く来る故郷方面からの電話ってのはロクなことがない。
案の定・・・
「お父様が先ほどから意識がありません。今から救急車で搬送します」
げっ・・・
父は今年で91歳である。持病はとくにないが、いつどうなってもおかしくないお年頃。
はっきり言って
(ついに来ちゃったか・・・)という気分であった。
「わかりました。これから用意してそちらに行きます」と相手に告げた。
聞き耳をたてていたオットにも
「パパが意識不明だって」と言うと
「そうか・・・脳梗塞かもしれないな。予防薬は飲んでるはずなんだけどな」
父は軽い脳梗塞を今まで二度ほどやっているのである。
「急に意識が無くなったのはまずいな。お前さ、一週間くらいあっちにいられる用意していけよ。俺がお前の車で送って行くよ。動転してると運転心配だからさ」
オットにそう言われれば覚悟を決めるじゃないですか。
ワタシは一番大きい外国旅行用のスーツケースをひっぱりだして、一週間分の衣類その他をつめはじめた。
すると
「こんなこと言うとショックかもしれないけどさ、喪服も用意しといた方がいいぞ」
「うん、わかった」
不思議に頭の中は冷静であった。
同時に(父と最後に話したのはどんな話だったっけかなぁ)などともう二度と話はできないのかなあなどとも思っていた。
そうこうしているうちに、弟から電話。彼も起こされて搬送された病院に向かっているらしい。
「姉ちゃんか・・・ そんなに焦らなくてもよさそうだよ。今、意識が戻って返事してるらしいよ」
「ん?」
「とにかく行ってみるからちょっと待っててくれ」
しばらくして
「ああCTとMRI取って脳の梗塞とか出血とか見たけどなんにもないってさ。ちょっと替わる」
電話口に出た父は
「おお〇子か、オレは何でここにいるのか 何がどうなってるかわかんないんだよ」と呑気そうな声である。
力抜けた・・・
なんだか迷走神経系が原因だか それにねぼけが加わったのかとか?
「じゃ、今週木曜日から行くつもりだったから、今日は行かないよ。」
となり、
「まあ良かったじゃないか」とオットに言われながら苦笑しつつも喪服その他を片付けた。
思い返すとマンガのような数十分であった。
そして木曜日から実家へ
父を見舞いというより、そのバタバタで振り回されて「ドキドキして胃が痛くてムカムカしているのがまだ続いている」という母を見舞う方が大変であった。
父が搬送されると言う時、パジャマやタオルを用意するつもりでバタバタしたらしい。
「そんなことママはしなくていいんだからね。何のためにここにいるのよ?」と言ったら
「そういうけどね。何にも用意していかないのよ、入院するんだからタオルくらい持っていかなきゃと思ったのよ」
「そんなこと、あとからいくらでも持っていけるでしょ! ここは今までそんなこと何回もやっていてそれが仕事の一つなんだから任せておけばいいのよ。ママはパパの世話係じゃないんだよ。ママもここで介護される立場なんだからね」
「あんたはすぐに怒るんだからね」
母のこういう責任感というのは昔からだけど、それが行き過ぎて無駄に動いて、その結果疲れて愚痴っぽくなっているのも老いと言えば老いである。
父の認知症状も大変だが、こういう母の変化も仕方がないけどめんどくさい。
かなり広い二人部屋に住んでいるのだが、そこもいつの間にかいらないモノが積もって乱雑になっているので片付けたり捨てたりもした。
姑のことも含めて最近こんなことばかりやってますな。
そして今回はこの後三泊して日曜日までいた。
途中で弟に誘われて(地方のシガラミ、前回は義太夫だったぜいby弟)こんなコンサートへ
ポルトガルギターはリスボンでファドの酒場で聞いた。日本の演歌のような情緒の曲。
その日本の草分けの人たちのコンサートでこんなに近いところで聞くことができた。
「案外この地方って文化的だよね」
「南蛮渡来」 /Marionette ポルトガルギター&マンドリュート
ホント、良かったんですよ。
そして日曜日、高速が混まないうちにと午前中に出ようとしたところ、近所の公園で粗大ごみの収集をやっているのを発見してしまった。
この市では年に一度事前登録しておけば無料で粗大ごみを収集してくれるらしい。
これを見ちゃったら出すしかないではないか。
間が悪いことには弟は休日出勤と朝から仕事に行った。もしかしたら、粗大ごみの日ってことをワタシに気づかれたら「あれ出せ、これ出せ」と言われるので逃げたのではないか?
まあ仕方がない やるだけやろうではないか
事前登録してないが、係りのおじさんに頼み込んで出させてもらうことくらいお茶の子さいさいである。
大きいのは祖母の鏡台、ラタンの寝椅子、いらない衣装ケース数個、でかい植木鉢数個、壊れた掃除機など
一時間かけて運んだ。
ホントに最近こんなことばかりしている。
東京に戻る途中にまた両親の施設により、やっと家に戻った。
もうヘロヘロで夕食も作る気がせず、オットと最近人気の地元のイタリアンへ。
チーズを載せたフルーツサラダ
白
前菜盛り合わせ
繊細な赤
牛ハラミのステーキ
濃い赤
おいしかった。こんなことでもしないとやってられなかったよ、このバタバタ。
その日はムスコ一家と彼の家の近くの某産業系の学校の文化祭に行く予定で、休日の朝にのわりには早めに起きて着替えなぞしている最中に電話。
両親のいる有料老人ホームからである。
こういう朝早く来る故郷方面からの電話ってのはロクなことがない。
案の定・・・
「お父様が先ほどから意識がありません。今から救急車で搬送します」
げっ・・・
父は今年で91歳である。持病はとくにないが、いつどうなってもおかしくないお年頃。
はっきり言って
(ついに来ちゃったか・・・)という気分であった。
「わかりました。これから用意してそちらに行きます」と相手に告げた。
聞き耳をたてていたオットにも
「パパが意識不明だって」と言うと
「そうか・・・脳梗塞かもしれないな。予防薬は飲んでるはずなんだけどな」
父は軽い脳梗塞を今まで二度ほどやっているのである。
「急に意識が無くなったのはまずいな。お前さ、一週間くらいあっちにいられる用意していけよ。俺がお前の車で送って行くよ。動転してると運転心配だからさ」
オットにそう言われれば覚悟を決めるじゃないですか。
ワタシは一番大きい外国旅行用のスーツケースをひっぱりだして、一週間分の衣類その他をつめはじめた。
すると
「こんなこと言うとショックかもしれないけどさ、喪服も用意しといた方がいいぞ」
「うん、わかった」
不思議に頭の中は冷静であった。
同時に(父と最後に話したのはどんな話だったっけかなぁ)などともう二度と話はできないのかなあなどとも思っていた。
そうこうしているうちに、弟から電話。彼も起こされて搬送された病院に向かっているらしい。
「姉ちゃんか・・・ そんなに焦らなくてもよさそうだよ。今、意識が戻って返事してるらしいよ」
「ん?」
「とにかく行ってみるからちょっと待っててくれ」
しばらくして
「ああCTとMRI取って脳の梗塞とか出血とか見たけどなんにもないってさ。ちょっと替わる」
電話口に出た父は
「おお〇子か、オレは何でここにいるのか 何がどうなってるかわかんないんだよ」と呑気そうな声である。
力抜けた・・・
なんだか迷走神経系が原因だか それにねぼけが加わったのかとか?
「じゃ、今週木曜日から行くつもりだったから、今日は行かないよ。」
となり、
「まあ良かったじゃないか」とオットに言われながら苦笑しつつも喪服その他を片付けた。
思い返すとマンガのような数十分であった。
そして木曜日から実家へ
父を見舞いというより、そのバタバタで振り回されて「ドキドキして胃が痛くてムカムカしているのがまだ続いている」という母を見舞う方が大変であった。
父が搬送されると言う時、パジャマやタオルを用意するつもりでバタバタしたらしい。
「そんなことママはしなくていいんだからね。何のためにここにいるのよ?」と言ったら
「そういうけどね。何にも用意していかないのよ、入院するんだからタオルくらい持っていかなきゃと思ったのよ」
「そんなこと、あとからいくらでも持っていけるでしょ! ここは今までそんなこと何回もやっていてそれが仕事の一つなんだから任せておけばいいのよ。ママはパパの世話係じゃないんだよ。ママもここで介護される立場なんだからね」
「あんたはすぐに怒るんだからね」
母のこういう責任感というのは昔からだけど、それが行き過ぎて無駄に動いて、その結果疲れて愚痴っぽくなっているのも老いと言えば老いである。
父の認知症状も大変だが、こういう母の変化も仕方がないけどめんどくさい。
かなり広い二人部屋に住んでいるのだが、そこもいつの間にかいらないモノが積もって乱雑になっているので片付けたり捨てたりもした。
姑のことも含めて最近こんなことばかりやってますな。
そして今回はこの後三泊して日曜日までいた。
途中で弟に誘われて(地方のシガラミ、前回は義太夫だったぜいby弟)こんなコンサートへ
ポルトガルギターはリスボンでファドの酒場で聞いた。日本の演歌のような情緒の曲。
その日本の草分けの人たちのコンサートでこんなに近いところで聞くことができた。
「案外この地方って文化的だよね」
「南蛮渡来」 /Marionette ポルトガルギター&マンドリュート
ホント、良かったんですよ。
そして日曜日、高速が混まないうちにと午前中に出ようとしたところ、近所の公園で粗大ごみの収集をやっているのを発見してしまった。
この市では年に一度事前登録しておけば無料で粗大ごみを収集してくれるらしい。
これを見ちゃったら出すしかないではないか。
間が悪いことには弟は休日出勤と朝から仕事に行った。もしかしたら、粗大ごみの日ってことをワタシに気づかれたら「あれ出せ、これ出せ」と言われるので逃げたのではないか?
まあ仕方がない やるだけやろうではないか
事前登録してないが、係りのおじさんに頼み込んで出させてもらうことくらいお茶の子さいさいである。
大きいのは祖母の鏡台、ラタンの寝椅子、いらない衣装ケース数個、でかい植木鉢数個、壊れた掃除機など
一時間かけて運んだ。
ホントに最近こんなことばかりしている。
東京に戻る途中にまた両親の施設により、やっと家に戻った。
もうヘロヘロで夕食も作る気がせず、オットと最近人気の地元のイタリアンへ。
チーズを載せたフルーツサラダ
白
前菜盛り合わせ
繊細な赤
牛ハラミのステーキ
濃い赤
おいしかった。こんなことでもしないとやってられなかったよ、このバタバタ。