局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

映画とランチと美術展 vol.2

2023-08-12 22:15:34 | 見る(映画 劇場 美術館など)
やっと続きが書けた。 
前々記事映画とランチと美術展 vol.1 - 局の道楽日記からの続きです。

私はこの画家については先入観があったのですよ。私の幼少時から結構長らくこの画家さんをモデルにした裸のなんちゃらみたいなシリーズのドラマがありましたよね。

祖父母などが居間のTVで見ていたのでそれを垣間見ていただけだったが、言っちゃ悪いが主演の俳優さんがかっこいいわけじゃなく、田舎が舞台となったハートフルコメディ?みたいなものがその当時の生意気な女子に受け入れられるわけがないではないか!

それで、実際の作品をきちんと見たこともなく「山下清」というとあの芦屋さんの風貌しか浮かばずに過ごしていたのであった。

しかし・・・
彼の生誕100年を記念する大回顧展
見てよかったな。





山下清(1922-1971〔大正11-昭和46〕年)は放浪の天才画家として知られており、懐かしい日本の原風景や名所を貼絵で表し、多くの人々の心を捉えました。生誕100年を記念する本展では、代表的な貼絵の作品に加えて、子供時代の鉛筆画や後年の油彩、陶磁器、ペン画などを展示し、山下清の生涯と画業をご紹介します。日本各地を自由気ままに旅する生活を好んだ清は、驚異的な記憶力をもち、スケッチやメモを取らずとも、旅先で見た風景を細部まで正確に思い出すことができました。ときおり旅から戻ると、高い集中力を発揮して、手で細かくちぎった紙片を緻密に貼り合わせることで、超絶技巧的とも言える貼絵を制作しました。そこに見られる丁寧な細部描写と豊かな色調という魅力は、油彩やペン画、水彩画など他の作品にもよく表れています。このような多彩な作品約190点、そして旅に持参したリュックや浴衣、所蔵していた画集などの関連資料を間近に鑑賞することで、49歳で逝去するまで個性的な創作活動を続けた山下清の世界をご堪能いただければ幸いです。 パンフレットのコピー

幼児の時の病気が原因で吃音と障がいが残った彼は、施設時代に貼絵と出合い、その後徴兵検査が嫌で学園を飛び出して放浪の旅へ。そこで見た景色を作品にしたわけですね。
見たものをそのまま記憶して細密な技法で貼絵として表現する。
その驚くような技法、同じ大きさに切った紙を丹念に大きな空間に隙もなく貼り合わせた空や、細いペンで描かれたかと思うと細い細いこよりを貼り付けて表現した線とか・・・
この作業を一人だけで仕上げられるのは やはり尋常じゃない天才ですね。

館内は一部を除き写真不可だったので、各部屋の入口のポスターを撮影

長岡の花火 1950年 貼絵

満天の星空に上がる花火 上がる火の線はこよりで出来ている。それを見る人々のざわめきまで伝わってくるような絵


グラバー邸 1956年 貼絵

貼絵の材料は 古切手のような素材まで多岐に渡っていた。その様々な材料や色がニュアンスになって一つの作品の深みを与えている感じ。
遠目で見て楽しみ、近くで見て、その技法にビックリさせられて・・・


スイスの町 1963年 貼絵

ヨーロッパ各地を回った時の記憶で描いた作品 とても写実的で美しい

エッフェル塔好きなワタシ エッフェル塔コーナーに彼の水彩画のハガキが加わった


とにかく色のセンスが素晴らしかった。こんな素敵な画家を いわば「食わず嫌い」で認識してこなかったとは・・・

 ☆ ☆ ☆

SOMPO美術館の収蔵作品 撮影可能のもの

望郷 東郷青児 1959年


さあ、ボートに乗りに行こう グランマ・モーゼス 1949年


ひまわり ヴィンセント・フォン・ゴッホ 1888年


こじんまりしてて良い美術館だったな。新宿からも近いし

鳥爺 1・2


鳥爺1と局


この日 映画を見たあとに、この美術展を見るべーと提案してきたのは鳥爺1だった。
私も思いがけない出会いと発見があって見て良かったな~と彼には感謝してますよ。
実は鳥爺1の家にも「画伯」と私たちが呼んでいる、染色体系の先天性障がいを持った長男がいる。今はウイークデイはグループホームで生活し、週末に帰宅している。
彼も独特な色彩の感性があって、障がい者の作品展で某関西の美術館に出品されたこともある絵や文字を書くのですよね。
彼のことは生まれた時から知っているし、その成長過程やその度々の両親の状態も知っている。

この日ランチを食べながら、鳥爺1が「今 困ってるんさ」と私達に告げたことは、私と鳥爺2をしばし絶句させる事案であった。
よくその障がいを持ってる子たちが「天使」なんて呼ばれることもあるが、個性を持った成人男子になって、両親に似て身体も大きく、独特なこだわりが強い彼は、実際問題 決して「天使」じゃないですからね。
そりゃあ育ててる過程で愛情も喜びもあるのだろうが、何かが起こると両親の苦悩も大きすぎる。
鳥爺夫妻は責任感を持って、きちんと対処してきたが、時々彼が 「細胞分裂からやりなおしてこいや」と皮肉な笑いと共に言うせりふにも「そんなこと言うもんじゃないよ」とたしなめる言葉も出ないわけですね。

ワタシの子育ての目標は一言で言ってしまえば「幸せに自立できるように」と思って成してきたが、これから自立はできないであろう彼らの子育てはいつまで続くんだろうか・・・
淡々と物事に対処して頼り甲斐があるし、何かと面倒見がいい鳥爺1が時々見せる 諦念のような表情。

「この美術展、〇ちゃんに見せてやりなよ」って言ったワタシに
「そうだな」と言ってたけど実現するのかな? 
私達と能天気に遊んでる時間が少しは彼の気晴らしになってるのかな。
コメント (6)
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