京都最古の花街、島原の東入口の正門「島原大門」は焼失や移転を繰り返しながら現在の位置に至っています。慶応3年(1867年)に建て替えられた時のもので、門手前の「出口柳(見返り柳)」や「さらば垣」消火のための用水や手桶などが当時を忍ばせてくれます。西にも門がありましたが現在は石碑のみ因みに島原は遊郭とは違い出入りは自由で開放的であったようです。