おかんのネタ帳

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勤王の志士

2014-07-21 00:44:20 | 湖国日記
7月に入ってから、研修旅行で行った北海道の旅日記ばかりですが、
暑さに負けないで、ちゃんと仕事もしてますよ~

今日は、地元出身の勤王の志士、古高俊太郎の没後150年祭に行ってきました。

大阪生まれの私が、父の仕事の関係でこちらに来たのは小学生の頃。
今から、ん十年も前のことやけど、その時に、古高俊太郎を知ったんです。

近所の友だちとよく遊んだ、”観音さん”に、顕彰碑が建っていて、
そのそばを通る道が「俊太郎道」と呼ばれていました。

幕末に、勤王の志士が、ここから生まれたなんて、ねぇ。 



勤王とは王や天皇に忠義を尽くすことで、尊王と同じですね。
王を尊ぶ尊王と、外敵を撃退しようとする攘夷が結びついた思想が尊王攘夷。

幕末の大きな流れとして、開国を主張した徳川幕府、薩摩藩と長州藩が対立。
古高俊太郎は商人として勤王の志士をバックアップしながら、
同じ志士としても、親交のある公家と長州を結びつけるなど活動していたらしい。

古高俊太郎が新撰組によって捕縛されたのが6月5日。壮絶な拷問にかけられます。
捕縛された俊太郎を奪還しようと志士たちが集まった池田屋を新撰組が襲撃。
長州藩士による禁門の変が7月19日。そして、俊太郎が処刑されたのが7月20日。

坂本龍馬によって薩長が同盟を結ぶのは、その2年後。
江戸城が無血開城され、江戸幕府が終焉するのはその1年後。

今さらながら、すごい時代ですね。



顕彰碑の前で、神事と式典が行われたのですが、
記念式典では、古高俊太郎の生涯が紹介されました。

遺族の他、市長や議員さん、近隣の自治会長、小学校、中学校の校長先生、
幼稚園の園長先生・・・地元の方々など、多くの参加者がいましたが、
幕末ファン、古高俊太郎ファンの方々が、県外から来られてたのでビックリ。

地元の人も、あまりよくわかってないのに~(汗)

長州藩の毛利氏の家臣の子孫・・・という女性も来られてて・・・
いや~、ほんとに、いろいろ勉強させていただきました。

ありがとうございます~