あっついです~(汗)
最強に、暑いです。
コロナでなくても、不要な外出はしたくない日々ですね。
今月の、舞台作品の紹介記事は青年劇場の『あの夏の絵』にしました。
2年ぐらい前に、NHKのBSで放送されていた作品です。
(なんせ、今は、まったく観劇ができない状態なんで・・・涙)
この作品は、広島への原爆投下から70年目に上演されました。
脚本・演出は青年劇場の福山啓子さん。
実際に「被爆の惨状を伝える証言活動に使用する絵画」を描いている広島の高校生がいて。
彼らが成長していく姿を演劇作品にしたそうです。
劇中で被爆体験を証言するのは、85歳の老人。
できれば辛く苦しい経験を話したくはない。
でも、昨今の日本の状況を不安に感じて、体験した自分が話さないとと思ったと言います。
舞台作品とは思えないほど、その証言はリアルで、観ている私たちが苦しくなるほどでした。
広島の子どもたちにとっては、8月6日は当たり前に知っている特別の日ですが、
東京から引っ越してきた生徒にとっては、「そんなことがあったっけ」ぐらいの日。
(落としたのはヒットラー? なんてセリフもあって)
そういう温度差があることにも気づかされます。
戦争で何があったか、広島、長崎に、なぜ原子爆弾が落とされたのか、
後世に伝えていくことは難しいこととは思います。
そういう意味でも、舞台でこういう作品が上演されることは、
大切なことなんやと思います。
14日、観たかった念願の作品を、CS衛星劇場で観ることができました。
録画して観たのですが、こまつ座『木の上の軍隊』です。
こちらは、沖縄の話。
第2次世界大戦後、沖縄県伊江島で、終戦を知らぬまま2年も、
ガジュマルの木の上での生活を続けた二人の日本兵がいました。
この実話をもとに、故・井上ひさし氏が「書かなければいけない」と言っていた作品。
井上さんが遺した、たった2行のメモと膨大な資料を蓬莱竜太さんが引き継ぎました。
2013年が初演。14日に放映されたのは2016年のこまつ座版の舞台ですが、
2019年、再々演され、沖縄公演が実現しました・・・・こちらを観たかったなぁ。
(関西公演がなかったので、観られず・・・)
沖縄らしき島を舞台に、戦争が終わったのも知らず、
2年間も大きな木の上に籠もり続ける上官(山西惇さん)と新兵(松下洸平さん)、
この二人の、悲劇的かつユーモラスなやりとりが描かれます。
「父と暮らせば」「母と暮らせば」と合わせて、「戦後“命”の三部作」に数えられる作品です。
(2作品は観ているので、これでやっと、三作品全部を観ることができました~)
夜中に再生させて観て、気づいたら涙がこぼれてました。
本土出身の、戦争教育を受けていた上官と、牛飼いをしていた無垢な島出身の新兵。
二人の演技が本当に素晴らしいんです。
蓬莱さんによれば、今も残るガジュマルの木を見たら、生活できるような木ではなく、
隠れて米兵を見張る、よりも、米兵に見張られてるような木だったそうです。
上官と新兵は、まったく噛み合わない。
新兵は沖縄、上官は日本の象徴なんですね。
圧倒的に違う景色を見てきた二人が今、同じ景色を見ながら、
噛み合わないながらも培っていくものは何だろう。
アメリカに観察されてきた二人の姿は今の日本の姿かもしれないと思ったそうです。
ガジュマルの木の精霊であり、ストーリーテラー的な「語る女」を、
沖縄出身の歌手、普天間かおりさんが演じ、沖縄の香りのする”琉歌”を歌います。
中央に大きなガジュマルの木がある、セットがすごい。
その木の中にいくつか穴があって、二人が入ったり出たり。
下に降りてくるときもありますが、多くはこの木の上で演じられるセリフ劇です。
洸平くんが衛星劇場のSPインタビューでいうてました。
「今まで出演した舞台の中で一番ハードな作品です」
・・・体力的にもメンタル面でも・・・本当にそうやろうな。
木に逃げ込んで(上官は「逃げてない」と言い張りますが)
二人だけの軍隊生活をすることになるのですが、目の前で、敵軍キャンプがつくられ、
それがだんだん大きくなっていくのを、二人は見つめてることになるのです。
敵軍の残飯なんか食えるか、なんて言っていた上官。
それで空腹をしのごうとする新兵を叱っていたのに、
敵兵が出すゴミから嗜好品のタバコが得られるにつれ、
軍隊の規則を、自分に都合の良いものに改定し、新兵に押し付けます。
新兵が、ゴミの中から酒を拾ってきたとき、二人の気持ちの逆転?に気づくんですね。
新兵は、自分の故郷である島が、敵軍に侵略されていくことを悲しんでいるのに、
「お前の島ではなく、我々は日本国を守っているのだ」と言う上官は、悲しくないのだと。
敵国の残飯で太り、銃もさび付いた上官は、木の上の軍隊生活が日常になり、
木から降りることを考えなくなっていたんですね。
新兵から、「終戦している」ことを聞かされ「降りましょう」と言われた時、
上官は、「いずれ日本が負けることは知っていたんだ」と言います。
島は、沖縄は、「捨て石」だと言わんばかりのセリフ。
「勝手に終わらせないでください」と言う新兵。
彼の中では、島の侵略は今も続いているのだから、戦争は終わっていないんだと。
(・・・つまりは、沖縄は、今も終わっていないということですね!)
「帰ろうかねぇ・・・どこに帰ったらいいんか~」
新兵の言葉が切ない。
「今降りたら非国民と言われる。(敵国の残飯で太った)自分が恥かしい」という上官。
「ここでのことは言いませんから」 という新兵。
「お前はオレを脅してるのか」
「ボクは信じます。それしかないから。もうぐちゃぐちゃです~」
新兵のうめき、叫び、「やめろ~」という上官。
ラストは、セットの木が起き上っていきます。
井上さんが言ってたという、”二人が木になるイメージ”でしょうか。
普天間さんの歌声と、ビオラの演奏。
そして、オスプレイの爆音。
沖縄は、終わってないんやなと、改めて思います。
2016年版と、2019年版は、セリフも変わっているとか。
沖縄の状況も決して良くなってはいないし。
何かを訴えるというより、私たちにいろいろなことを考えさせる、そういう作品です。
何ができるのかわからないけど、広島も、長崎も、沖縄のことも、
けして、終わったこととしてはいけないんだなと・・・
2019年の『木の上の軍隊』で、山西さんは、読売演劇大賞の優秀男優賞を受賞しました。
前年、『母と暮らせば』『スリルミー』で洸平くんも受賞しましたが、
山西さんが、授賞式のプレゼンターとして同席した洸平くんに話してましたね。
「お前がいたから、もらえた賞やな」
同じ事務所の先輩と後輩(ノブオさんにとっても、なんです!)
素敵な方々です~
山西さんは、『相棒』ではヒマ課長、
『半沢直樹』では、”腐った肉の臭いがする”なんて、言われてました~!
そして、16日の衛星劇場で放送された、こまつ座『きらめく星座』にも出演。
・・・戦時下、価値観が変化することについていけない軍人の役でした~。
最強に、暑いです。
コロナでなくても、不要な外出はしたくない日々ですね。
今月の、舞台作品の紹介記事は青年劇場の『あの夏の絵』にしました。
2年ぐらい前に、NHKのBSで放送されていた作品です。
(なんせ、今は、まったく観劇ができない状態なんで・・・涙)
この作品は、広島への原爆投下から70年目に上演されました。
脚本・演出は青年劇場の福山啓子さん。
実際に「被爆の惨状を伝える証言活動に使用する絵画」を描いている広島の高校生がいて。
彼らが成長していく姿を演劇作品にしたそうです。
劇中で被爆体験を証言するのは、85歳の老人。
できれば辛く苦しい経験を話したくはない。
でも、昨今の日本の状況を不安に感じて、体験した自分が話さないとと思ったと言います。
舞台作品とは思えないほど、その証言はリアルで、観ている私たちが苦しくなるほどでした。
広島の子どもたちにとっては、8月6日は当たり前に知っている特別の日ですが、
東京から引っ越してきた生徒にとっては、「そんなことがあったっけ」ぐらいの日。
(落としたのはヒットラー? なんてセリフもあって)
そういう温度差があることにも気づかされます。
戦争で何があったか、広島、長崎に、なぜ原子爆弾が落とされたのか、
後世に伝えていくことは難しいこととは思います。
そういう意味でも、舞台でこういう作品が上演されることは、
大切なことなんやと思います。
14日、観たかった念願の作品を、CS衛星劇場で観ることができました。
録画して観たのですが、こまつ座『木の上の軍隊』です。
こちらは、沖縄の話。
第2次世界大戦後、沖縄県伊江島で、終戦を知らぬまま2年も、
ガジュマルの木の上での生活を続けた二人の日本兵がいました。
この実話をもとに、故・井上ひさし氏が「書かなければいけない」と言っていた作品。
井上さんが遺した、たった2行のメモと膨大な資料を蓬莱竜太さんが引き継ぎました。
2013年が初演。14日に放映されたのは2016年のこまつ座版の舞台ですが、
2019年、再々演され、沖縄公演が実現しました・・・・こちらを観たかったなぁ。
(関西公演がなかったので、観られず・・・)
沖縄らしき島を舞台に、戦争が終わったのも知らず、
2年間も大きな木の上に籠もり続ける上官(山西惇さん)と新兵(松下洸平さん)、
この二人の、悲劇的かつユーモラスなやりとりが描かれます。
「父と暮らせば」「母と暮らせば」と合わせて、「戦後“命”の三部作」に数えられる作品です。
(2作品は観ているので、これでやっと、三作品全部を観ることができました~)
夜中に再生させて観て、気づいたら涙がこぼれてました。
本土出身の、戦争教育を受けていた上官と、牛飼いをしていた無垢な島出身の新兵。
二人の演技が本当に素晴らしいんです。
蓬莱さんによれば、今も残るガジュマルの木を見たら、生活できるような木ではなく、
隠れて米兵を見張る、よりも、米兵に見張られてるような木だったそうです。
上官と新兵は、まったく噛み合わない。
新兵は沖縄、上官は日本の象徴なんですね。
圧倒的に違う景色を見てきた二人が今、同じ景色を見ながら、
噛み合わないながらも培っていくものは何だろう。
アメリカに観察されてきた二人の姿は今の日本の姿かもしれないと思ったそうです。
ガジュマルの木の精霊であり、ストーリーテラー的な「語る女」を、
沖縄出身の歌手、普天間かおりさんが演じ、沖縄の香りのする”琉歌”を歌います。
中央に大きなガジュマルの木がある、セットがすごい。
その木の中にいくつか穴があって、二人が入ったり出たり。
下に降りてくるときもありますが、多くはこの木の上で演じられるセリフ劇です。
洸平くんが衛星劇場のSPインタビューでいうてました。
「今まで出演した舞台の中で一番ハードな作品です」
・・・体力的にもメンタル面でも・・・本当にそうやろうな。
木に逃げ込んで(上官は「逃げてない」と言い張りますが)
二人だけの軍隊生活をすることになるのですが、目の前で、敵軍キャンプがつくられ、
それがだんだん大きくなっていくのを、二人は見つめてることになるのです。
敵軍の残飯なんか食えるか、なんて言っていた上官。
それで空腹をしのごうとする新兵を叱っていたのに、
敵兵が出すゴミから嗜好品のタバコが得られるにつれ、
軍隊の規則を、自分に都合の良いものに改定し、新兵に押し付けます。
新兵が、ゴミの中から酒を拾ってきたとき、二人の気持ちの逆転?に気づくんですね。
新兵は、自分の故郷である島が、敵軍に侵略されていくことを悲しんでいるのに、
「お前の島ではなく、我々は日本国を守っているのだ」と言う上官は、悲しくないのだと。
敵国の残飯で太り、銃もさび付いた上官は、木の上の軍隊生活が日常になり、
木から降りることを考えなくなっていたんですね。
新兵から、「終戦している」ことを聞かされ「降りましょう」と言われた時、
上官は、「いずれ日本が負けることは知っていたんだ」と言います。
島は、沖縄は、「捨て石」だと言わんばかりのセリフ。
「勝手に終わらせないでください」と言う新兵。
彼の中では、島の侵略は今も続いているのだから、戦争は終わっていないんだと。
(・・・つまりは、沖縄は、今も終わっていないということですね!)
「帰ろうかねぇ・・・どこに帰ったらいいんか~」
新兵の言葉が切ない。
「今降りたら非国民と言われる。(敵国の残飯で太った)自分が恥かしい」という上官。
「ここでのことは言いませんから」 という新兵。
「お前はオレを脅してるのか」
「ボクは信じます。それしかないから。もうぐちゃぐちゃです~」
新兵のうめき、叫び、「やめろ~」という上官。
ラストは、セットの木が起き上っていきます。
井上さんが言ってたという、”二人が木になるイメージ”でしょうか。
普天間さんの歌声と、ビオラの演奏。
そして、オスプレイの爆音。
沖縄は、終わってないんやなと、改めて思います。
2016年版と、2019年版は、セリフも変わっているとか。
沖縄の状況も決して良くなってはいないし。
何かを訴えるというより、私たちにいろいろなことを考えさせる、そういう作品です。
何ができるのかわからないけど、広島も、長崎も、沖縄のことも、
けして、終わったこととしてはいけないんだなと・・・
2019年の『木の上の軍隊』で、山西さんは、読売演劇大賞の優秀男優賞を受賞しました。
前年、『母と暮らせば』『スリルミー』で洸平くんも受賞しましたが、
山西さんが、授賞式のプレゼンターとして同席した洸平くんに話してましたね。
「お前がいたから、もらえた賞やな」
同じ事務所の先輩と後輩(ノブオさんにとっても、なんです!)
素敵な方々です~
山西さんは、『相棒』ではヒマ課長、
『半沢直樹』では、”腐った肉の臭いがする”なんて、言われてました~!
そして、16日の衛星劇場で放送された、こまつ座『きらめく星座』にも出演。
・・・戦時下、価値観が変化することについていけない軍人の役でした~。