書くことが溜まってますが・・・
9月末、今年も、諏訪屋敷で怪談ばなしを聞いてきました。
昨秋、襲名して、旭堂南龍になった南青さん。
いや、もう、南龍さんそのものですが、
昨今の、講談ブームで、お忙しくされているようです。
上方の講談師の方々がDAYで作られたという此花千鳥亭も、
いろいろな講談、落語が披露されるところとして盛況な様子。
いつか、そちらへも行ってみたいものです。
さて、今回も、姉と行ってきました。
マクラは・・・講談とはいえ、いつものように?
南龍さんの「ぞっとした話」を、今回もマクラに~
・・お客さんには笑える話です!(笑)
今回のお話しは、「怖いけと、ちょっとしんみり悲しい話」。
幽霊画のお話しを語ってくださいました。
幽霊画といえば、丸山応挙が有名ですね。
足のない幽霊を描いて、それが流行ってから、
日本の幽霊は足がないと言われてるんやけど。
その応挙が、有名になる前、全国を巡って修行していたころの話。
長崎の遊郭で、臥せっていた「むらさき」という花魁と出会うんですね~
聞けば、半年前から病気になり、医者にも診せてもらえず、
店からは厄介者としてひどい仕打ちを受けているとか。
一時は売れっ子になった時期もあったのに、
今ではこのように邪魔者扱いされているんやとか。
心残りは、一目、親に会いたかったと・・・
どこで産まれたのか、親の顔も知らないけど、
身元の手掛かりになるものとして彼女が差し出したのは、
唐錦の布の切れ端で作られた匂い袋でした。
応挙は彼女にお金を与えて、彼女の姿をさらさらと描きました。
その夜、応挙の夢の中に、あでやかな美しい花魁が出てきます。
きっと、あの花魁に違いないと、翌日、会いに行くと、
彼女は夕べ亡くなったと言われました。
「夕べ、別れを言いに来てくれたんやな」
そう思った応挙は、懇ろに彼女を弔ってやり、
その後、旅すがら、彼女の親探しをしますが、一向に見つかりません。
久しぶりに京都へ戻って、馴染みの夫婦の茶屋に行きます。
夫婦は証文の請け判が元で出来た借金が返せず、近々店を閉めるとか。
応挙は夫婦のために、福の神の絵を描こうと思い立ちますがなかなか描けず、
いっそのこと誰も見たことがないような恐ろしい幽霊画を描こうと、
長崎で会った花魁の幽霊画を描いて夫婦に渡します。
夫婦は怖がったものの、これを座敷に掛けたところ
たちまち、この幽霊画が評判になり、客が押しかけて店は繁盛しました。
やがて、子どものいない夫婦は働き者の養子夫婦を迎え、楽隠居の身に。
ある日、久しぶりに応挙が夫婦の元を訪れ、
以前の絵の続きを描きます。新たな絵は、
夢で見た、元気で綺麗な頃の花魁の絵です。
お礼として、夫婦は、先祖代々伝わる陣羽織を出しました。
陣羽織は裾の一部分が無く・・・はっと思った応挙、
長崎で花魁から受け取った唐錦の匂い袋を出し、
その羽織に当ててみますと、なんと、同じ唐錦でした・・・
夫婦はかつて大坂に住んでいた頃、一人娘がいたそうです。
その娘が突然行方知れずになってしまい・・・・
応挙は幽霊画に描かれているのはその娘だと告げ、
長崎の遊郭での出来事の一部始終を、夫婦に話すのでした・・・
怖いけど、ちょっと悲しいお話。確かに。
思わず、物語に引き込まれましたね~
今回は、お客さんが少ない目でしたね。
子どもさんが来てたけど、お話し、わかったかなぁ~
ちなみに会場は、前回と同じく、市の文化財「諏訪屋敷」。
江戸期の大庄屋を務めた諏訪家の住宅を改修した建物。
母屋で講談の会はありましたが、築年数ははっきりしないものの、
文化年間に建てられたようです。客間として使われた離れの書院、
枯山水の庭、川につながる水門、円満院から移築したといWれる茶室など、
当時の、大庄屋の繁栄ぶりがわかりますねぇ。
終演後、南龍さんにもお声かけしました。
好男子の講談師! ほんとに~
昨今の講談人気もあって、お忙しいようです。
11月には、トリイホールで独演会もあるみたい。
だんだん、ベテランさんになっていかはりますねぇ。
9月末、今年も、諏訪屋敷で怪談ばなしを聞いてきました。
昨秋、襲名して、旭堂南龍になった南青さん。
いや、もう、南龍さんそのものですが、
昨今の、講談ブームで、お忙しくされているようです。
上方の講談師の方々がDAYで作られたという此花千鳥亭も、
いろいろな講談、落語が披露されるところとして盛況な様子。
いつか、そちらへも行ってみたいものです。
さて、今回も、姉と行ってきました。
マクラは・・・講談とはいえ、いつものように?
南龍さんの「ぞっとした話」を、今回もマクラに~
・・お客さんには笑える話です!(笑)
今回のお話しは、「怖いけと、ちょっとしんみり悲しい話」。
幽霊画のお話しを語ってくださいました。
幽霊画といえば、丸山応挙が有名ですね。
足のない幽霊を描いて、それが流行ってから、
日本の幽霊は足がないと言われてるんやけど。
その応挙が、有名になる前、全国を巡って修行していたころの話。
長崎の遊郭で、臥せっていた「むらさき」という花魁と出会うんですね~
聞けば、半年前から病気になり、医者にも診せてもらえず、
店からは厄介者としてひどい仕打ちを受けているとか。
一時は売れっ子になった時期もあったのに、
今ではこのように邪魔者扱いされているんやとか。
心残りは、一目、親に会いたかったと・・・
どこで産まれたのか、親の顔も知らないけど、
身元の手掛かりになるものとして彼女が差し出したのは、
唐錦の布の切れ端で作られた匂い袋でした。
応挙は彼女にお金を与えて、彼女の姿をさらさらと描きました。
その夜、応挙の夢の中に、あでやかな美しい花魁が出てきます。
きっと、あの花魁に違いないと、翌日、会いに行くと、
彼女は夕べ亡くなったと言われました。
「夕べ、別れを言いに来てくれたんやな」
そう思った応挙は、懇ろに彼女を弔ってやり、
その後、旅すがら、彼女の親探しをしますが、一向に見つかりません。
久しぶりに京都へ戻って、馴染みの夫婦の茶屋に行きます。
夫婦は証文の請け判が元で出来た借金が返せず、近々店を閉めるとか。
応挙は夫婦のために、福の神の絵を描こうと思い立ちますがなかなか描けず、
いっそのこと誰も見たことがないような恐ろしい幽霊画を描こうと、
長崎で会った花魁の幽霊画を描いて夫婦に渡します。
夫婦は怖がったものの、これを座敷に掛けたところ
たちまち、この幽霊画が評判になり、客が押しかけて店は繁盛しました。
やがて、子どものいない夫婦は働き者の養子夫婦を迎え、楽隠居の身に。
ある日、久しぶりに応挙が夫婦の元を訪れ、
以前の絵の続きを描きます。新たな絵は、
夢で見た、元気で綺麗な頃の花魁の絵です。
お礼として、夫婦は、先祖代々伝わる陣羽織を出しました。
陣羽織は裾の一部分が無く・・・はっと思った応挙、
長崎で花魁から受け取った唐錦の匂い袋を出し、
その羽織に当ててみますと、なんと、同じ唐錦でした・・・
夫婦はかつて大坂に住んでいた頃、一人娘がいたそうです。
その娘が突然行方知れずになってしまい・・・・
応挙は幽霊画に描かれているのはその娘だと告げ、
長崎の遊郭での出来事の一部始終を、夫婦に話すのでした・・・
怖いけど、ちょっと悲しいお話。確かに。
思わず、物語に引き込まれましたね~
今回は、お客さんが少ない目でしたね。
子どもさんが来てたけど、お話し、わかったかなぁ~
ちなみに会場は、前回と同じく、市の文化財「諏訪屋敷」。
江戸期の大庄屋を務めた諏訪家の住宅を改修した建物。
母屋で講談の会はありましたが、築年数ははっきりしないものの、
文化年間に建てられたようです。客間として使われた離れの書院、
枯山水の庭、川につながる水門、円満院から移築したといWれる茶室など、
当時の、大庄屋の繁栄ぶりがわかりますねぇ。
終演後、南龍さんにもお声かけしました。
好男子の講談師! ほんとに~
昨今の講談人気もあって、お忙しいようです。
11月には、トリイホールで独演会もあるみたい。
だんだん、ベテランさんになっていかはりますねぇ。
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