団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

2013年 新年おめでとうございます

2013-01-01 09:04:14 | 社会
                2013年 新年おめでとうございます

                                            2013年1月1日(火)

 2012年9月2日、私は福島県いわき市の海岸に立ちました。遥か太平洋から打ち寄せる美しい波を見ながら、しかし、その波が一瞬の牙を剥き、反対側の陸地は家が根こそぎ無くなっている荒涼たる風景を見て、復興未だしという感を抱きました。



 2008年2月、私は広島市内福屋デパートの「福島県物産展」で、いわき市にある丸源水産の佐藤社長と知り合いになりました。縄文干という小魚の干物を買ったのですが、随分気前の良い方で、沢山のおまけを付けてくれました。それに惹かれ、「福島へ行ったら社長さんの所へ行きますからね。」と約束をしたのです。



 3.11の数日後、私に何ができるだろうかと考え、福島県で唯一の知合いの社長さんへ連帯の思いを込めて支援の品を送りました。社長さんは、感謝の気持ちと同時に原発事故により中断を余儀なくされている縄文干しについて将来の展望を語っておられました。私は気持ちが少し救われると共に、近いうちに必ず社長さんを訪れ語り合いたいと思ったのです。



 ところが、震災から1年半後、いわき市の海岸沿い近くの社長さん宅を訪ねた時には、社長さんは亡くなっておられたのです。持病の心臓病の悪化ということでしたが、明らかに震災それに続く原発事故の心労だろうと思いました。社長さんの死により、「社長さんを通じて福島で被災された方々への連帯の気持ちを表す」ということは、残念ながら語り伝えることはできませんでした。しかし、「復興未だし」という状況の中、この連帯の気持ちは私の中で生き続けています。


 not bye Hukushima!




 塩屋岬の南約2㎞の海岸です。繰返し繰返し打寄せる美波と家が根こそぎ無くなっている光景を見ながら、自然と人間との圧倒的な力の差を感じました。










 サーフィンをしている人がいました。




 丸源水産の縄文干工場です。高台なので津波の被害はありませんでした。



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