団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

マイクロバスで巡る

2018-04-24 16:10:50 | お出かけ

マイクロバスで巡る

2018年4月24日(火)

 2017年1月30日から12月1日にマイクロバスでミニ旅行へ行きました。

 職場の退職者会主催です。

 

 9時横川駅集合です。

 牛窓、鷲羽山、倉敷へ行きます。

 同行者が菓子を皆に配ってくれました。ただ、私は間食をする方ではなく、結局家に持って帰ってしまいました。

 

 福山SAで休憩です。志賀直哉と福山がどういう繋がりか知りませんが、暗夜行路の一節です。

 福山は当然カープ圏です。

 福山と言えば、バラなんです。

 雨露を含んだバラって珍しいです。

 

 

 ところで、サクラってバラ科なんですね。次は以前書いた文章です。

 

「桜はその美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花も及ぶところではない。薔薇に対するヨーロッパ人の賛美を、我々は分かつことを得ない。」

 これは、藤原正彦がその著書「国家の品格」で紹介した新戸部稲造の言葉です。藤原は桜を、西洋人が好きな薔薇と対比しようとして、冒頭の引用をしたのです。

 藤原は続けて、
 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。「太陽東より昇って絶東の島嶼を照らし、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」

 そして、本居宣長の有名な歌、「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」を引用し、「この清澄爽快の感覚が大和心の本質であると、新戸部は説いています。」と結んでいます。 

 藤原は、美的感覚を訴える対象として、薔薇と桜を対極のように述べていますが、植物学的には、「桜はバラ科」ということになっています。
 藤原は当然そのことは知っているのでしょうが、なぜか触れていません。

 

 牛窓近くに到着しました。

 レストランで昼食です。

 

 

 これは、外国です。瀬戸内海を「東洋のエーゲ海」なんて言い方をしますが、私ゃ、極めて不快であります。向こうの方は、エーゲ海を称して、「西洋の瀬戸内海」とは言いますまい。

 

 見晴らしのよいレストランでありました。

 海鮮丼の昼食です。

 

 このレストランは大きな建物でありました。

 

 

 

 

 

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