台風休校のため一日順延して実施された中間考査の二日目。
その月曜の朝、事件はおこった …
「○○先生! 電話です」
「○○先生!」
「○○先生、こっちで電話中!」
「じゃ、1年の先生かわりに出て!」
「○○先生まだ来てない? 電話!」
試験の日の朝、突然欠席連絡が入り続ける。
前日のことを思い出しながら、出張報告書を書いていた。
「担当者3人で75組の方に学校紹介や入試の説明をしました … 」
そう、塾主催の入試相談会は、10時の開場からとぎれることなくお客さんが訪れた。
相談をしていると、どんどん列が伸びていく。
こういうときは並んでいるお母さんの心の声がきこえてくる。
前の人早く終わらないかしら、この学校は早くおわらせて、あと三つまわりたいのよね … 。先生もそんなに和気藹々と話してないで、はやく終わらせなさいよ …
「 … ということですね。おわかりですか。あとは実際に学校に来ていただいて、ご覧になってみてください。ではこれで終わりでよろしいです … 」
「スクールバスはどこからでてるんですか?」
「えっと、おすまいはどちらですか(パンフ見リャ書いてあるじゃないか)、すると大宮ですね。南古谷まで来ていただいてもいいですよ、じゃ、そういうことで … 」
「大宮からですと、何分ぐらいでしょう」
「書いてあるとおり、平均で25分というところでしょうか」
「交通事情によってかわりますよね」
「ええ、それはもちろん、混んでるときはもっとかかりますが、土曜の朝だと20分かかりませんよ。こんど説明会のときに実際に乗ってみてください、ではお待ちしており … 」
「食堂は1年生も使えます?」
「(もういいんじゃない)それは大丈夫ですよ、じゃどうもありがとうございました」
「1組これで何人休み? 14人?」
「どうする?」
「1組だけ帰すか?」
「試験だからなあ」
「他の組は?」
「2組、3組も3、4人いってます」
「4Fはけっこう蔓延してるのかな」
「学年で30人ぐらいです」
「学年閉鎖だな」
「帰りのバスの手配しよう」
「先生がた、とりあえず連絡にまわるまで、教室で自習させててください」
「先生方、交代でお食事をめしあがってください」と塾の方。
「ありがとうございます。」
しかし、行列を前にして席を立つのははばかられた。
お昼時をすぎて会場の混雑も少しおちついたころ、併設ホテルのレストランにふらふらと向かう。
「いらっいっしゃいませ。相席になります。バイキングでお好きなものどうぞ」
料理の前に並んでいる人を見て、気持ちは萎えてしまった。
めしも好きだし、食事もすきだけど、エサはやだ。
外へ出て缶コーヒーで糖分を補給し、相談会場にもどると、さらに会場は落ち着いていた。
なぜか、ちょっとしたことに妙にウけてくれるお父さんがいらっしゃった。
「このように、駅から遠くて大変不便な学校です。一番近いコンビニまで2㎞あります」
「あははは~」
「でも、土地だけはふんだんにありますので」
「うわ~っははは~」
「勉強や運動の施設は充実してます。だから、勉強と部活だけに集中できる学校です。女子もいません」
「ぎゃはははは~」
午後は、ほのぼのと相談できたのだった。
バスの手配ができました、との連絡をもらい、3・4Fにのぼっていく。
いくつかの教室で歓声があがっていた。
そうだろうなあ。
まったく元気な子にとって、夢のような日々が突然与えられたのだ。
上級生の試験がはじまろうとしている。
騒がないように注意しながら階段をおろしていく。
たまには学年主任らしき仕事をしないといけないのに、「先生、楽器もってかえっていいですか」と何人かの部員が声をかけてくる。
「とにかく、今日は帰りなさい。帰って勉強!」
こうして、奉職以来はじめての学年閉鎖というものを体験することになった。
もっとも感染者の多かった1組も、土曜の段階では1名だったのだ。
新型インフルエンザの感染力はおそろしいものがあると思った。
それにしても、春先(だっけ?)の、インフルエンザ騒動はなんだったのだろう。
一人感染者が出ただけで学校閉鎖を行い、校長先生が泣いて謝罪した学校があった。
感染した生徒さんがみんなにもうしわけないと責任を感じていた。
水際作戦とかいって、防護服をきてパフォーマンスしていた厚労省の方は、いま何を思っているのだろう。
この期に及んで、天下り先の企業にしかワクチンをつくらせず、必要量が確保できないとしている役人さんとは何なのだろう。
政権が変わっても、役所の本質が変わるのは難しい。
採点や試験監督に使う予定の時間がぽっかりあいた。
せっかくなので、こっそりおでかけしてもいいかななどと考えていたら、なんかのどが痛くなり、咳もでてきた … 。
その月曜の朝、事件はおこった …
「○○先生! 電話です」
「○○先生!」
「○○先生、こっちで電話中!」
「じゃ、1年の先生かわりに出て!」
「○○先生まだ来てない? 電話!」
試験の日の朝、突然欠席連絡が入り続ける。
前日のことを思い出しながら、出張報告書を書いていた。
「担当者3人で75組の方に学校紹介や入試の説明をしました … 」
そう、塾主催の入試相談会は、10時の開場からとぎれることなくお客さんが訪れた。
相談をしていると、どんどん列が伸びていく。
こういうときは並んでいるお母さんの心の声がきこえてくる。
前の人早く終わらないかしら、この学校は早くおわらせて、あと三つまわりたいのよね … 。先生もそんなに和気藹々と話してないで、はやく終わらせなさいよ …
「 … ということですね。おわかりですか。あとは実際に学校に来ていただいて、ご覧になってみてください。ではこれで終わりでよろしいです … 」
「スクールバスはどこからでてるんですか?」
「えっと、おすまいはどちらですか(パンフ見リャ書いてあるじゃないか)、すると大宮ですね。南古谷まで来ていただいてもいいですよ、じゃ、そういうことで … 」
「大宮からですと、何分ぐらいでしょう」
「書いてあるとおり、平均で25分というところでしょうか」
「交通事情によってかわりますよね」
「ええ、それはもちろん、混んでるときはもっとかかりますが、土曜の朝だと20分かかりませんよ。こんど説明会のときに実際に乗ってみてください、ではお待ちしており … 」
「食堂は1年生も使えます?」
「(もういいんじゃない)それは大丈夫ですよ、じゃどうもありがとうございました」
「1組これで何人休み? 14人?」
「どうする?」
「1組だけ帰すか?」
「試験だからなあ」
「他の組は?」
「2組、3組も3、4人いってます」
「4Fはけっこう蔓延してるのかな」
「学年で30人ぐらいです」
「学年閉鎖だな」
「帰りのバスの手配しよう」
「先生がた、とりあえず連絡にまわるまで、教室で自習させててください」
「先生方、交代でお食事をめしあがってください」と塾の方。
「ありがとうございます。」
しかし、行列を前にして席を立つのははばかられた。
お昼時をすぎて会場の混雑も少しおちついたころ、併設ホテルのレストランにふらふらと向かう。
「いらっいっしゃいませ。相席になります。バイキングでお好きなものどうぞ」
料理の前に並んでいる人を見て、気持ちは萎えてしまった。
めしも好きだし、食事もすきだけど、エサはやだ。
外へ出て缶コーヒーで糖分を補給し、相談会場にもどると、さらに会場は落ち着いていた。
なぜか、ちょっとしたことに妙にウけてくれるお父さんがいらっしゃった。
「このように、駅から遠くて大変不便な学校です。一番近いコンビニまで2㎞あります」
「あははは~」
「でも、土地だけはふんだんにありますので」
「うわ~っははは~」
「勉強や運動の施設は充実してます。だから、勉強と部活だけに集中できる学校です。女子もいません」
「ぎゃはははは~」
午後は、ほのぼのと相談できたのだった。
バスの手配ができました、との連絡をもらい、3・4Fにのぼっていく。
いくつかの教室で歓声があがっていた。
そうだろうなあ。
まったく元気な子にとって、夢のような日々が突然与えられたのだ。
上級生の試験がはじまろうとしている。
騒がないように注意しながら階段をおろしていく。
たまには学年主任らしき仕事をしないといけないのに、「先生、楽器もってかえっていいですか」と何人かの部員が声をかけてくる。
「とにかく、今日は帰りなさい。帰って勉強!」
こうして、奉職以来はじめての学年閉鎖というものを体験することになった。
もっとも感染者の多かった1組も、土曜の段階では1名だったのだ。
新型インフルエンザの感染力はおそろしいものがあると思った。
それにしても、春先(だっけ?)の、インフルエンザ騒動はなんだったのだろう。
一人感染者が出ただけで学校閉鎖を行い、校長先生が泣いて謝罪した学校があった。
感染した生徒さんがみんなにもうしわけないと責任を感じていた。
水際作戦とかいって、防護服をきてパフォーマンスしていた厚労省の方は、いま何を思っているのだろう。
この期に及んで、天下り先の企業にしかワクチンをつくらせず、必要量が確保できないとしている役人さんとは何なのだろう。
政権が変わっても、役所の本質が変わるのは難しい。
採点や試験監督に使う予定の時間がぽっかりあいた。
せっかくなので、こっそりおでかけしてもいいかななどと考えていたら、なんかのどが痛くなり、咳もでてきた … 。