水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ドレスコード

2009年10月31日 | 日々のあれこれ
 和田秀樹氏のブログに、「受験勉強はドレスコードだ」とあって、なるほどと思った。


 ~ 受験勉強というのは、パーティのドレスコードやテーブルマナーのようなものだと考えている。
 どうしても行きたいパーティがあれば、不愉快でもドレスコードに従う。そこに行く以上は、ある程度テーブルマナーを身につけておかないといけない。
 器用な人は簡単に身につけるだろうし、そうでない人はかなり苦労したり、いやになってあきらめるかもしれない。要領のいい人は、スープを飲むのが下手なら、スープを飲まないという手で対抗するだろう。
 しかし、そういう一流のパーティに出席できたり、そこにあったドレスを着、テーブルマナーを身につけても、中身が変わるわけではないし、自分が上流になったわけではない。~
 
 ~ ただドレスコードを守り、きちんとテーブルマナーを身につけられない人は、そのパーティに参加したくでもできないのは事実だ。~

 ~ 資格試験にしても、入学試験にしても、入場の条件に過ぎないし、それ以上のものではない。でも、入場の条件を満たさないと、そこより先のことはわからない。別の場に入ることで活躍する道は確かにあるが、すくなくともその世界では活躍できない。 ~


 そのパーティーに今参加したいかしたくないかではなく、いざ参加したいと思ったときに、参加できるようになっているといい。
 パーティーは今夜7時からですよ、正装ですと言われてから、タキシードを買いに行っても間に合わないということだ。
 タキシードをもってないがために、「あんなパーティーは行っても意味ない」などと強がらざるを得ないのは悲しい。
 
 最近は、いろんなお店が、ネクタイなしで、Tシャツ・Gパンにサンダル履きでいれてくれるいようになった。
 ほぼ裸ででかけても、入り口でチェックすらされないお店も多い。
 その中で提供されるものに、自ずと限界はあるだろうなあと思う。
 だいいち、落ち着いて何かを味わおうという気になれないはずだ。

 で、しつこく同じ話。
 今日試験が終わったあと、先日のカリキュラム説明会をインフルエンザで欠席した子を集めて、前と同じ話をした。
 同じ話をしながら、こんなたとえを思いついた。

 みんな、レストランに連れてってもらったとする。
 そこで、好きなものを注文していいよ、って言われる。
 じゃあメニューくださいというと、それは自分で考えてと言われる。
 そのとき何が注文できるだろうか。
 吉野家と日高屋とサイゼリヤしか行ったことのない人は、そのレベルのものしかイメージできないと思うのだ。
 牛丼がわるいというのではない。
 フレンチや懐石料理も、経験だけはしてみるべきじゃないかということだ。
 今の知識だけをベースにして、人生どう生きるべきかを考えるのは、もったいない。
 いろんな経験をしたうえで、やはりGOGOカレーのロースカツカレーが一番だと考えるのなら、それはありだと思う。

 さて、試験も終わりやっと全員そろっての練習。
 本番も多いけど、この時期に基本的な奏法をどうやって身につけるかが大事だ。
 先日の金管アンサンブルの講習会では、「やりたいこと」が良く伝わってくる気持ちの入った演奏だと、何人にも先生から言っていただいた。
 つまり、気持ちはあるけど、それを音につなげる技術が足りないのだと。
 考えてみると、コンクールのときもそうだった。
 やりたいことはよくわかる。流れもいい、あとはサウンドをみがいてほしいと書いてくださった審査員の先生が多かった。
 本番のために短期間で曲をしあげないといけない今も、たえず吹き方をおろそかにしないようにしていかねば。
 言うのはかんたんなんだけどなあ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする