水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ダストレスチョーク(長いよ)

2009年10月27日 | 日々のあれこれ
 鳩山首相の所信表明のなかに、チョーク工場の話があった。
 私も去年、本を読んでこの「日本理化学工業」のことを知った。
 そこに自ら足を運ばれ、所信表明にもりこんでいる首相は、今までの方とちょっとちがうなと思う。
 学年だよりで紹介したが、多くの人にしってほしい話なので、載せておきます。
 引用はすべて、坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)からです。

 
 私たちは毎日チョークにお世話になっている。
 とくに私たち教員にとって、チョークがなくてはおまんまの食い上げになってしまうものだが、わが東高で使用しているダストレスチョークを製造しているのは、神奈川県にある日本理化学工業という会社である。
 「日本理化学工業」は、従業員およそ50名のうち7割が、知的障害をもつ方々で占められている。
 今から50年近く前、ひとりの養護学校の教員が日本理化学工業を尋ねてきたのがきっかけだった。
 障害をもつ二人の少女を、社員として採用してもらえないかと頼みにきたのだ。
 度重なる来訪であったが、当時専務であった太田社長は、それは無理だと断った。
 あきらめた先生は、せめて働く体験をさせてあげてほしいと申し出、その真剣な思いに心打たれた太田さんは、一週間だけと期間を決め願いを聞き入れた。
 それが認められたとき、子供達ばかりではなく、親も先生も本当に喜んだという。
 さて、一週間の就業体験が終わる前日のことだった。

~  「お話があります」と、十数人の社員が大山さんを取り囲みました。
「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。だからどうか採用してあげてください。」 ~

 これは「私たちのみんなのお願い」つまり十数名の社員の総意だというのだった。
 当時の社員全員の心を動かすほど、その二人は朝から夕方まで一生懸命働き続けていたのだ。
 社員の心に応えて、大山さんは二人を正社員として採用し、それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていった。
 とはいえ、仕事をどうやって教えたらいいいのかわからない、それぞれどの程度の能力をもっているのかもわからない中で、いろいろと苦労を重ねていく。
 ふつうは、製造ラインに人間をあわせるものだが、障害をもつ一人一人の状態にあわせて機械を変え、道具を変え、部品を変えていった。

~ 一人ひとりとつき合いながら、何ができて、何ができないのかということを少しずつ理解していき、人に合わせて工程を組み立てていく。能力に合わせて作業を考え、その人に向いている仕事を与えれば、その人の能力を最大限に発揮させることができ、決して健常者に劣らない仕事ができることがわかったそうです。そうやって創意工夫を繰り返していきながら、知的障害のある人を採用し続け、それが50年にもなったのです。~

 しかし、大山さんは、なぜここまでして障害者を採用しつつづけてきたのか。

 大山さんは、不思議だった。
 会社で毎日働くよりも、施設でのんびり暮らした方が楽ではないかと思っていたからだ。
 なかなか仕事がうまくいかずミスが続いたとき、「施設に返すよ」と言うと泣きながらいやがるのだが、その気持ちが理解できなかったという。
 しかしある時、ある法事でいっしょになった禅寺のお坊さんと話をして、その疑問が氷塊した。
 お坊さんはこう言った。

~ 「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。人に愛されること以外は、施設では得られないでしょう。残りの三つの幸福は働くことによって得られるのです。
  … その四つの幸せのなかの三つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、障害者の方でも働きたいという気持ちがあるんですよ。 … 真の幸せは働くことなんです。」 ~

 普通に働いてきた大山さんにとって、これは目からウロコが落ちるような考えであり、普通に働いている多くの人たちが忘れていることではないかと思い当たった。
 そして、「人間にとって『生きる』とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」ということに気づいたという。

~ 「それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。企業の存在価値であり、社会的使命なのではないか」それをきっかけに、以来50年間、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けることになったのです。 ~

 会社は誰のためにあるのか。
 そう聞かれたとき、「株主のためのものでしょ」と何の迷いもなく答える人はいると思う(今風のIT関係の人なんか、そう言いそうだ)。
 この問いが「会社の所有者は誰か」という意味ならば、答えはまさしくこのとおりであろう。
 商法に定められたとおりだ(今調べてみました)。
 しかし、これを「会社は誰のために存在するのか」という意味で問い直してみるなら、答えは変わってくる。
 「会社は誰のために存在するか」は、「会社はどういう状態のときに価値あるものと見なされるか」という問いだと思う。
 さらに、会社は「法人(意味が微妙な人は現代社会の教科書で調べておこう)」と扱われるのだから、人におきかえて考えればわかりやすい。
 人はどういう時に価値ある存在とみなされるか。
 この答えは、先日もさんざん述べたように、「その人のおかげで、少しでも多くの人が幸せになる時」、その人が価値ある存在だと認めない者はいないはずだ。
 会社も同じではないか。どれだけ多くの人を幸せにしているかが、存在価値の原点である。

 人の値打ちは社会という文脈が規定する。
 一人一人の人間が、絶対的固有の価値を有しているわけではない。
 この世に生存しているだけでは、ふつうは価値ある存在とは言ってもらえない。
 その人が何をしたのか、まわりの人に何をもたらしたのか、まわりの人がどれだけ幸せになったかによって、その人の価値は決まってくる。
 一見存在している「だけ」に思える場合であっても、その存在を望む人が一人でもいれば、それは価値あるものとなる。
 だから、多くの人に愛されているみんなは、存在しているだけで(「だけ」って失礼だよね)も、相当価値があるのだよ。
 ただし、まわりの人を幸せにする存在であっても、その人自身が幸せでなければ、その恩恵を受けた人の幸せ感も小さくなる。
 だから、その人自身が幸せでないといけないのは当然の前提だ。
 会社の話にもどるが、その会社自身がまず幸せでないといけない。つまり、その会社自体が利益をあげていて、経営の心配がなく運営されていることだ。
 当然、それは経営者や株主だけの幸せではなく、従業員みんなが幸せであることになる。
 従業員の家族も当然幸せになるし、その会社とともに仕事をしている他の会社も、関連企業、下請けとよばれる会社などすべてが幸せになる。
 利益がたくさんあがれば、株主の配当はもちろん、国や自治体にもたくさんの税金を納められる。
 『日本でいちばん大切にしたい会社』で、著者の坂本先生はこう述べられる。

~ 最近、多くの人が勘違いしているのですが、会社は経営者や株主のものではありません。その大小にかかわらず、従業員やその家族、顧客や地域社会など、その企業に直接かかわるすべての人々のものなのです。だから国や県などの行政機関や商工会議所などが、「私的なもの」である会社を、政策、税制、金融、技術、さらには経営面で大きく支援しているのです。会社は生まれた瞬間から、経営者やその親族などの一部の人のものではなく、広く社会のものと考えるべきなのです。 ~

 坂本先生は、法政大学で経営学を教えていらっしゃる。法政大学に入る人はけっこういると思うので、もし授業をとる機会があれば、ぜひしっかり学んでほしい。
 坂本先生は、日本理化学工業の従業員がいきいきと働いている様子に感心し、こう尋ねた。

~ 私はつい、「なぜ、こちらの社員の方々の顔は自信に満ち満ちているんですか? 生き生きしているんですか?」と、社長に質問してしまいました。すると、社長はこう言いました。「自分も社会に貢献しているんだという、思いがあるからだと思います。一介の中小企業ではありますが、そこに勤めて、自分も弱者の役に立っている、社会の役に立っている、という自負が、社員のモチベーションを高めているのではないでしょうか。」 ~

コメント (2)
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