学年だより「イナーシャ」
「イナーシャ( inertia )」という英語がある
日本語訳は「慣性」で、物理の時間に習ったとおりの意味だ。
物理では、物質一般の性質を表す言葉だが、イナーシャと言い換えられていろんな分野で用いられている。
止まっているものは止まり続けよう、動いているものは動き続けようとする特性。
人間の行動様式にも、イナーシャがはたらくことは、我が身をふりかえってみれば容易に想像できると思う。
なかなか勉強をはじめられないときというのはあるものだが、大変なのはやりはじめる瞬間だ。
たとえばテレビを見ている、ネットサーフィンをしている、ゲームをしている … 。
それをやめて次の行動にうつるときに、負荷がかかる。
イナーシャの壁があるのだ。
逆にいうと、その瞬間のイナーシャを克服することが一番大事だとも言える。
やり始めることができれば、そのこと自体によって、やる気はわいてくるのが人間の脳だから。
どうすればいいか。
他力にたよるのだ。他律といってもいい。
自主・自立・自律というたいへん魅力的なことばはあるが、なかなか人間は「自ら」やるのは難しい。
オリンピックに出場するほどのアスリートでも、純粋に自分の力だけで、ハードなトレーニングに取り組めるものではない。
オリンピックに出るような選手達は、気が遠くなるほどの練習をする。
たとえば水泳の選手は毎日何千メートルも泳ぐ。
自らの「やる気」とか「気合い」とか、まして「自主性」でやれるような練習量ではない。
コーチがつくってくれた練習計画に基づき、コーチの指導をひたすら信じて取り組んでいくのだ。
「自然にやらされている」といってもよい。
もちろん、そういう状態に身を置くことを選んだのは選手自身だが、いったんその流れに入ってしまったら、あれこれ考える暇もなくやるしかなくなる。
やるしかないから、当然結果もともなってくる。
逆に、そういう自分に疑問を持ち、そこからはずれてしまった選手は、オリンピックに出られないということになる。
やるしかない空間は、それ自体がシステムになる。
もっとも身近なシステムが学校だ。
スクールバスに乗って学校にくる。教室にいると、先生が向こうからやってきてくれる。
チャイムがなる。プリントが配られる。周りをみたら、みんなが解き始めている。
やる気がなくても、やらざるを得ない。気がつくとイナーシャの壁はこえている。
それが学校だ。