水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

7月16日

2012年07月16日 | 学年だよりなど

 1学年だより「勉強本(1)」


 その昔、受験勉強は精神修養だった。
 若者が、刻苦して励み、全身全霊を傾けて取り組むべき課題であった。
 その結果として合格した高校や大学には、それまでの勉強の延長上としての「学問」が存在する。 受験勉強で身につけた「学力」を用いて様々な文献を読み解き、自分の専門分野の「学問」の道に進んでいく。
 受験勉強も、学問と一続きだから、神聖にして侵すべからざるものであることは言うまでもない。
 効率よく勉強するにはどうしたらいいか、少ない努力、時間、費用でよい結果を手にいれるにはどのようにすべきか、などと発想する若者はいなかった … というのは、もちろん建前だ。
 昔の若者たちも、手っ取り早く勉強を終わらせるにはどうしたらいいか腐心していた。
 しかし、建前は建前として厳然と存在したので、いちおう「四当五落(四時間睡眠なら合格する、五時間寝ているようでは受からないという意味)」と書いたハチマキを巻いてがんばったそぶりをするのが、正しい受験生のあり方だった。
 そういう受験状況に風穴を開けたのが、和田秀樹氏である。
 現在も、受験業界で絶大な地位を誇る和田氏は、1980年代後半『受験は要領』を出版する。
 勉強には、効率のよいやり方がある、その方法に則ることで、才能の有無に関係なく東大にもたやすく合格すると述べるこの本はベストセラーになった。
 とくに「数学は暗記だ」という方法論は、世間に衝撃をあたえたものだ。
 「神聖」なはずの勉強が、「ハウツー」の対象になったのだ。
 ときに日本がバブル景気に踊らされ始めた時代である。
 効率よく勉強した結果、難関大学に入り有名企業に就職できれば、そうでない場合とを比べて、生涯賃金が何億円もかわってくる。
 そう考えると、毎日1時間よけいに勉強することは、時給何千円のアルバイトをしているのと同じだとも述べた。
 勉強はますます「神聖」なる領域から遠のいていく。
 もちろん、そういう一面だけで『受験は要領』を捉えられることは、和田氏の本意ではなかった。
 たかが受験勉強で、青春の一時期をむだに暗いものにしなくていいと氏は考えていた。
 勉強ができないのはたんに方法論を知らないだけであり、人間的に卑下する必要などまったくないという励ましもこめられていた。 
 やみくもに努力するのではなく、人生の貴重な時間の中での受験を見直してみようとするものだったのだ。
 ベースにあるそういう思想は、のちに出版される「新版」では次のように書かれている。


 ~ 受験勉強の環境を整えるというのは、アイドルのポスターをはがして、参考書をそろえることではない。いままでの生活で自分を縛っていた時間から自由になり、「自分」を最大限に活かす、
“自分だけの時間割”を手に入れることだ。(和田秀樹『新・受験は要領』KKロングセラーズ) ~


 しかし一般には、この本は単なる「ハウツー本」として扱われた。

 

 1学年だより「勉強本(2)」

 勉強本は、その後ぞくぞくと出版される。
 和田氏の独擅場だった「勉強法の本」市場にも、新規参入する著者が増えてくる。
 福井一成、柴田孝之、黒川康正、有賀悠 … 。
 和田氏が提起した勉強法をベースにして、心理学や脳科学の成果を盛り込みながら、より精密な本が出版されていった。
 たとえば有賀悠氏の『「図解」超合格術』の目次には、「カコモンノートのつくりかた」「記憶増大のテクニック」「生活革命が学習密度をあげる」「やる気の作り方」「写真を活用せよ」「手帳の活用法」 … といった項目がならぶ。
 当時の勉強本としては、最もよくまとめられていて、その頃の川東生にもずいぶん薦めた記憶がある。
 「志望大学の正門の前でガッツポーズする写真を撮って、部屋にはろう」とか、「エビングハウスの忘却曲線に基づいた復習のタイミング」の話とか、当時読んでなるほどと思った人は多い。
 「勉強するときにキッチンタイマーをかけよう」とか、「日付スタンプを買って問題集や参考書に押していこう」も、この本が嚆矢ではなかったか。
 今はすでに絶版だが、amazonで検索してみると、中古本に1万円の値がつけられている。
 同じ著者の『スーパーエリートの受験術』にいたっては50000円だ。
 買ってみる? 買う必要はありません。
 なぜなら、この二冊を越える本はすでに山ほど出版されているから。
 勉強法ブームとよばれるほど、勉強方法の本が出版される時期が一時期あり、現在も一定の量は出版され続けている。
 さすがに本を書き著すような方々は、過去の名著には目を通されている。
 そのうえで、自分なりに消化し、自分の分野で成功をおさめられ、その修正された勉強法をおしげもなく本に紹介している。
 その著者がその本を書くまでに、どれだけの時間と労力がかけられていることだろう。
 いったい何十万円、何百万円分の本を読まれたことだろう。
 それを思うと、1000円や1500円で買える本はばかみたいに安い。
 「これ!」という一つの方法がつかめるのなら、実は50000円支払っても本当は安いのだ。
 勉強の「方法」がたった一つでも身に付くなら、その価値はお金に換算できない。
 せっかくの夏休みだから、そういう本も手にとってみたらどうだろう。
 食べるものがなくて飢え死にしそうな人がいたとする。
 親切な君は、そういう人を見て、つい持っていたコンビニ弁当を差し出すだろう。
 ただし十数時間後、その人はまた同じように飢え死にしそうな状態になっている。
 本当の親切とは何か。食べ物をあげることではなく、食べ物を手に入れられる「方法」を教えてあげることだ。何を言いたいか理解してもらえるだろうか。

コメント
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