今年も音楽座の方に来ていただいて、1時間ほどワークショップをしていただいた。
体をやわらかくしたり、からだで感じようとしたり、言葉を発するときもまず体を使ってみたり。
「僕らは、考えるより先にからだが動くんです」という、今回のファシリテーター渡辺修也さんの言葉は、「意味や思考を重視しすぎる近代人」批判にも聞こえ、なるほど普段から身体を使っている人の方が、人間の本質への距離感が近いのだろうかと、現代文の評論みたいなことを考えてしまった。
もう一つ、「芸術に携わる者は、いかに真剣に、てれずに愛を語れるか、表現するかが大事だ。それが表現者の使命」という言葉も、修也さん自身の表現者としての矜恃と、同じ表現者仲間たろうとよびかける部員たちへの愛を感じて、胸にひびいた。
部員たちも、そんな本気さを感じ取ったからこそ、楽しみながらも、素直にまじめに取り組んでくれたのだろう。
なんかさ、自分のふだんの指導を、指導するときの姿勢を少し考えさせられた。
もちろんいつでも手をぬかずに本気でやってるつもりだけど、「ま、こんなもんかな」って思うときも正直あるし。
あと、「なんでこんなこと出来ないんだよ! もう、おれがいないとだめだよな」的目線になっている時もあると思う。
そして、部員もそうやって叱られるのにも慣れてる気がして、逆にそうやって俺の存在感を保障してくれているような、なんか共依存の関係になってないかって思ったり。
部員と顧問て、共依存の関係の要素をゼロにはできないとは思うけど。
楽しそうに取り組み彼らを見ながら、つい自分も参加したくなって一緒にやった。
一時間はあっという間だ。みなさんを駅まで送り、戻って試験前最後の合奏。
残念ながら欠席も数名、演奏も課題が多い。でもあきらめることなくやるしかない。