水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

10月23日

2013年10月23日 | 学年だよりなど

  学年だより「説得のツール」

 「単語帳の丸暗記」こそ受験勉強だと心に決めて取り組んでいくうち、堀江氏はその作業にゲームのようにハマっていく。
 センター模試の英語で9割をとり、普通の模試もF判定だったのがEになりDになり、最終的にC判定になった時点で堀江氏は合格を確信したという。


 ~ いま、福岡時代の自分を振り返って思うのは、僕にとっての勉強とは「説得のツール」だったことだ。子どもとは、大人の都合によっていくらでも振り回される、無力な存在だ。しかし、勉強という建前さえ掲げておけば、大抵のわがままは通る。八女(やめ)から久留米の街に出ることも、柔道の道場を休むことも、パソコンを購入することも、そして上京することも。あのどん詰まりの環境から抜け出すには、勉強するしかなかった。誰の目にも明らかな結果を残すしかなかった。
 だから僕は、勉強が無駄だとはまったく思わない。
 無駄に終わる知識はあるかもしれないが、周囲の大人を説得し、自分で自分の道を切りひらく最大のツールは、勉強なのだ。 (堀江貴文『ゼロ』ダイヤモンド社発売予定・「堀江貴文メルマガ」より) ~


 勉強にハマってしまった状態なので、決してそれを苦痛とは感じていなかった。
 また10時間近い睡眠も確保していた。起きている時間のすべてを勉強にあてたのだ。
 それは、中学校時代にパソコンにハマったとき、起業してから仕事にはまり、寝食以外のすべてに時間をコンピューターに向かっていた状態と同じだ。
 ゲームにハマったり、アイドルにハマったりして、勉強がおろそかになると、「おまえは何をやってるんだ」と非難される。
 しかし勉強ならいくらハマっても非難されるどころか、よく頑張っていると評価される。
 「大学に行く」ということにも、同じことが言える。
 やりたいことがないからと学校にも行かず、仕事にもつかずフラフラしていると、「いい加減しっかりしろ」と非難される。 
 しかし大学生という地位を手に入れたなら、社会に対して何も生み出さないレベルではニートと変わらないにもかかわらず、世間はそれを認めてくれるのだ。
 大学に進める、勉強することが許される人は、感謝しつつも、それを積極的に利用すべきだろう。
 林修先生もこう述べている。


 ~ うちは子どもを大学に通わせるのは無理だというご家庭はたくさんあるのですから、先ほども言ったように、大学に行けること自体がすでに特権的なことなんです。大学とは、その特権を生かして、無責任な状態で自由を享受しつつ可能性を探せるという貴重な場所なんです。 (林修『受験必要論』集英社) ~

 

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