学年だより「キョドる」
見事、東京大学文科三類に合格した堀江貴文氏の大学生活が始まった。
しっかり勉強して進振りで理転して、目標にしていた航空工学専門研究の道を目指すこと。
彼女を作り、明るいキャンパスライフを楽しむこと。
「ここから新しい人生がはじまる」と期待に胸をふくらませて入学した堀江氏は、経済的事情も考えキャンパス内の駒場寮で生活することにした。
戦前の旧制高校時代からの伝統を受け継ぐ、当時すでに築後十年を超える寮は、自治の名のもとにすべてが学生たちで管理されている。
外見は廃墟にも見えるその寮は、寮生以外はほとんど近づこうとしない独特の空間だった。
当然相部屋である(現在は取り壊されているが、私の知っている範囲では、当時の駒場寮は原則三人部屋。学校の教室大の部屋の半分を最上級生が使い、残りの半分以上を次の先輩が使い、一年生はけっこう小さなスペースしか与えられてないのが一般的だったはずだ。)。
堀江氏の入居した部屋の真ん中には雀卓が置かれていた。
「麻雀部屋」とよばれたその部屋には、様々な人間がいりびたり、堀江氏もそのメンバーとなる。 塾講師をやることで、お金には困らなくなった。通学時間はゼロだ。うるさく文句をつける親もいない。毎日のように雀卓を囲み、週末には大勢が集まって焼き肉パーティーが始まる。
「のびのび」した学生生活は、いつしか「堕落」に変わっていった(ちなみに金沢大学泉学寮は、食堂の横にマージャン部屋があり、自室マージャン禁止のルールが徹底されていた)。
理転を目指してしっかり勉強するという目標はどこかにいってしまっていた。
では、彼女をつくるというもう一つの目標はどうだったか。
「失われた6年間」をとりもどそうと意気込んだ堀江氏は、語学も女子が多いといいう理由だけでスペイン語を選んだ。クラスの50人中30人が女子という、中高時代には考えられない環境だ。
しかし、女子とあいさつをかわすことさえできない。
~ 話しかけようとした途端、全身が固まってしまう。声が出なくなる。自分のルックスにも自信がなかったし、田舎の出身だし、東大では勉強さえも自慢にならない。全身コンプレックスの固まりだ。共学の高校を出た友達は「そんなの、普通に話せばいいじゃん」と言うのだが、こっちには「普通に話す」という経験がないのだ。彼らの言う「普通」の感覚すら、わからないのだ。
… 授業が終わって寮に向かって歩いていると、クラスの女の子が声をかけてきた。
「堀江くん、寮に戻るんだよね? 途中まで一緒に帰ろうよ」
頭が真っ白になった僕は、心の中で「無理、無理、無理!」と首を振りながら、なにも言わず足早に立ち去ってしまった……。
… 同窓会などで、当時クラスメイトだった女の子たちに会うと、決まって「堀江くんって、完全にキョドってたよね」と笑われる。キョドっていた、つまり挙動不審になっていた、ということだ。たしかに、自分で考えても明らかに挙動不審だったと思う。 ~