学年だより「キョドる(2)」
~ いまだから明かす話だが、僕は大人になってからもずっと、女の子にキョドっていた。たとえば、近鉄バッファローズの買収騒動でメディアに大きく採り上げられた2004年あたりも、まだキョドっていた。メディアの前では強がっていたけど、プライベートで会う女の子には相変わらず挙動不審で、うまく話せなかった。経営者となり、多少モテるようになってきても「オレのことが好きなんじゃなくて、オレの持ってるお金が好きなんでしょ?」という猜疑心が拭えなかった。僕自身は、全然モテなかった学生時代からなにも変わっていなかったからだ。 (堀江貴文『ゼロ』ダイヤモンド社) ~
ホリエモンがモテなかった話を延々紹介しているのはなぜか。
同じ男子校暮らしのみんなも将来モテないよ、と言いたいわけではもちろんない。
モテないのは、キョドっていたからだ。
逆にいうと、キョドることなく思い切って声をかけることができれば、モテる可能性は生まれる。
女子の前では徹底的にキョドっていた堀江氏だが、もちろんビジネスではそんなことはなかった。
東大在学中に起業し、時代の寵児と称されるまでになった堀江氏は、時に「強気すぎる」とたしなめられるほどの強引さで日々を過ごすことになる。
堀江氏は、ビジネスにはキョドることなく、思い切ってチャレンジしていった。
~ 転職したいとか、社内で新規事業を起こしたり、起業したいといった希望を持ちながら、なかなか行動に移せない人がいる。
そういう人は、僕が女の子にキョドっていたように、仕事にキョドっているのだ。あるいは人生にキョドっているのだ。
キョドる、という言い回しが通俗的すぎるなら、仕事や人生に怖じ気づいているのだ。仕事と目を合わせることができず、大きなチャンスからは逃げ去り、人生に向き合うと頭が真っ白になる。けれど同時に、仕事や人生と仲良くなることを強く願っている。どう振る舞えばいいかわからず、あたふたしている。まさに、女の子を前にしてキョドっているオタク少年と同じだ。
… それではどうして、キョドってしまうのだろう?
モテなかった当時の僕を考えれば、話は早い。自分に自信がないのだ。そして自信を形成するための経験が、圧倒的に不足しているのだ。
… 仕事も人生も同じだ。キョドってしまうのは、性格の問題ではない。ましてや、ルックスや足の速さなど関係ないし、学歴や収入、社会的な地位とも関係ない。これはひとえに「経験」の問題なのである。 ~
モテたいならキョドらずに声をかけること。成功したいならチャレンジすること。合格したいなら勉強すること。勝ちたいなら練習すること。まずトライしてみないことには始まらない。
自信は経験の積み重ねの中からしか生まれない。