水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

道徳授業

2013年10月21日 | 日々のあれこれ

 道徳の教科化が検討されているそうだ。過去何度も話題にはなったが実現しなかったのはなぜか。
 教科になると、道徳の教科書を作らないといけないし、教えるためには道徳科の免許状が必要になる。通知表に評価を記入することにもなるだろう。
 そのような技術的問題と、戦前の修身科のように軍国主義につながるとか、国家による価値観の押しつけになるとか、そういう内面的批判とがあって、実現しなかった。
 現状はどうなっているかというと、学習指導要領で、道徳は教育活動全体を通じて行うべきと定められていて、さらに小中学校では週に一回は道徳の時間を設けるようにと決まっている(たしか)。
 でも実際には、週に一回の道徳がきちんと行われていない学校もあるのが実情だし、道徳的とは言えない子どもや若者の行動がずいぶん問題になっている。
 学校教育で、日本人としての振る舞い、生き方、人の道をしっかり教えるべきではないか、それはきちんと教科として道徳を位置づけなければならないのではないか、そうしないと日本はやばいのではないか、という声が各方面からあがっている … というところが現在の状況ということだろう。

 学校って大変だよね。
 日本をなんとかしないといけないんだよ。なんでもかんでもこっちにおしつけてさ。
 勉強はちゃんと教えるし、体も鍛えるからさ、しつけは家でやってくんないかな。
 とりあえず先生の言うことは聞く、という状態の子どもにして学校に送り込んでくれるのは、親の仕事であってほしいよな。

   … なんてことを思ったあなた。先生っ。
 だめですよ、そんなこと考えちゃ。
 学校の先生というのは、基本的にお国のためになる人材を育てるのが、歴史的にみて根本的使命なのですから。
 世のため人のために役立つ、有為の人材をつくりだして、娑婆に送り出すのが仕事なのですから。
 そういう意味では、「国家による価値観のおしつけ」こそが、教員の仕事だ。
 いくら読み書きそろばんが達者でも、他人に迷惑をかけて平気という人間を育成するのは正しくない、という考え方はきわめて真っ当だ。

 で、それと、道徳の教科化とは、また次元のちがう問題なんじゃないかなというのが、ニュースを聞いたときの正直な感想です。
 子どもに「押しつける」べき価値観が揺らいでいるのではないかという疑問。
 そして、道徳教育の方法論があまりに未成熟な段階ではないかと思えるからだ。
 そこが他教科と同列に論じにくいところだろう。
 仮に道徳が授業化されるとして、大事なのは教科書だと思う。
 それは今まであった道徳の副読本のようなものではなく、子ども達が自動的に「道徳的」頭脳をはたらかせてしまうような資料集のようなものであるべきだ。
 向山洋一先生のTOSSの資料集とか、『とっておきの道徳授業』シリーズとか。
 「こういう時、どう思いますか? みんなで話し合ってみましょう」的授業ではなく、ある資料を見せたり読んだりすれば、教員は何も言わずにすむような授業をイメージすれば、開発できるのではないだろうか(最近、学校の先生みたいことばっかり書いてるな … )。

コメント (1)
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