学年だより「経験値(2)」
いま世の中に何が起こり、それがどんな事情なのかについて、テレビや新聞が伝えるのはほんの一部分に過ぎない。世界のすべてを、限られた番組や紙面で伝えることは物理的に不可能だから、そこには情報の取捨選択が行われる。
何を捨てて、何を取るのか、その基準はメディアごとに異なっていて、どのメディアにも「利益追求」という、自己の存在にかかわる根本的な目的がある。
結果として、自己の存在を脅かしかねない「情報」については、意図的に、または無意識に「捨て」られる可能性が高くなる。
マスメディアの情報だけで物事を判断してしまう人間にならないために、さしあたりみなさんは、「中立な」情報など存在しないという大原則だけは覚えておくとよい。
このさき大学で学び、世の中で過ごしていく過程で、だんだんと学んでいけばいいと思う。
逆に考えると、大メディアにあまり登場しない人の発する情報は、物事の本質をとらえるためには極めて有効な情報である可能性が高い。
そんな思いがあるので、テレビでは見かけない評論家やジャーナリストの発信を、意図的に読むようにしている。中でも、自分的に最も大切な人物が、日垣隆氏、勝谷誠彦氏のお二人だ。
以前は、マスメディアでの活躍の場も持たれていたお二方だが、最近はほとんど見かけなくなった。ここ数年はメールマガジンを購読し、その言説に触れている。
二人の思想には差があるけれど、スポンサーの好まない「情報」でも普通に発信してしまう姿勢は共通していて、おそらくそれが表舞台で使われる機会が減少している理由だ。
世界中をかけめぐりながらキレキレの情報発信をしている日垣隆氏が、脳梗塞で倒れられたのを知ったのは年末のことだった。
昨年の11月。グアムのホテルで友人と朝食をとり、今日も絶好調だと立ち上がった瞬間、突然それにおそわれた。海兵隊病院に運ばれ、処置を受ける。一日の半分は死線をさまよい、正常な思考ができるのは日に1時間程度。もちろん身体は動かない。重篤な状態だった。
一命をとりとめて日本にもどると、最初の病院で様々な検査と治療をうける。その後、転院して現在までリハビリを続けている。12月の終わりになって、突然メルマガが頻繁に届くようになり、それを知ったときには驚いた。そういう病気とは無縁の方というイメージがあったからだ。
ジョギングや、腹筋、懸垂運動などを、日垣氏は10年来続けてきた。40代も半ばをむかえた頃、周囲の人々が不健康になっていくのを目にしながら、自分は健康な身体を維持したいとの思いで始めた行動だった。それは、ひとえに「書く」ためである。
自分の親族をさかのぼっても、癌や脳梗塞で亡くなった人はいない。しかし、とにかく書き続ける人生をすごすために、食事にも気を遣ってきた。
「その俺がなぜ」
日垣氏がその思いをグアムの病院のスタッフにぶつけたとき、こう言われたという。
~ 「君だったんだ。この恐ろしい病を乗り越える力が君にはある。生死を分ける戦いにも君は勝ったじゃないか。少しだけでも動けるではないか。何よりも、私のしゃべることが君にはわかっている。已に奇跡は起きている。それが君なのだ」 ~