水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ノブレスオブリージュ

2016年01月21日 | 日々のあれこれ

 

 経験値(2)~(4)で取り上げさせていただいたお礼を、勝谷誠彦氏のメールマガジン感想欄にお送りしてみた。
 なんと、メルマガ本体でとりあげていただいたのである。


 ~ 高校の先生の「学年だより」について紹介した。ご本人からメールを頂戴した。そこにはなかったのだが、恐るべき私の工作員の何人かから「それはここではないですか」とリンク先を教えてもらった。文章が好きな人というのは、プロかアマかにかかわらず、よく「いいもの」を読んでいるのだ。(「勝谷誠彦の××な日」2016年1月21日号) ~


 これって、この私めの文章が「いいもの」扱いだよね、プロ中のプロから見て。ふふっ。
 そして、この頁のリンクをはっていただいて、こう述べられる。


 ~ 時に読者は著者が期待していなかったところまで思索を深めてくれる。こういう先生に教えられる生徒は幸せだ。そして、ウェブという道具を手にした先生も幸せだ(笑)。私の母校ではガリ版刷りで先生たちが文章を発信してくれていた。インクまみれになって職員室で刷っていた。「ボールペン原紙」が出て楽になったというのが、私の灘校における6年間の変化であった。 ~


 こうして紹介していただいて、この「日誌」を読んでいただいた方の数が、普段とは桁違いになっている。
 もしかしてメジャーデビューなのか、おれ?


 ~ <センター試験が終わった。十分に実力を発揮できた先輩、思うような結果が出なかった先輩、いろいろだろう。その結果をふまえてどう行動するかが受験生には求められる。 かりに全く不本意な結果であったとしても、一瞬落ちこんだあとは、現実から逃げることなく次の行動に移ることができれば、その経験は人を成長させる。>

 先生にひとこと「もっと大先輩」から付け加えるとすれば「命まではとられないだろう」というほかはない。<現実から逃げる>ことができる子どもたちは幸せである。私自身「命までとられる」可能性がある場所をなんどか潜ってきた。そして畏友・日垣隆さんは「命までをとられる」現場を、いままさに悠々と通り抜けている。センター試験は大学に入る「手段」である。その大学に選ばれて(こういう国では本当に淡々と選ばれて)入学したあとに起きることを、今朝は子どもたちに知っておいて欲しい。 ~


 氏は、パキスタンの大学テロの事件に言及する。


 ~ この悲しさ、切なさはどうか。パキスタンの片田舎(失礼)で集まった<文学イベント参加のため600人近くの訪問者>はどれほど「知」に飢えていたのだろう。それらが普遍的にあるこの日本国という世界でもっとも幸せな国に生まれたことを、子どもたちは知らなくてはいけない。だから、ここで勉強して、それを人類全体に還元するのが「ノーブレスオブリジュ」なのである。幸い、優秀な大和民族はそれをやって来ている。ノーベル賞を受けるのもそうだし、NPOなどで世界に出ていく若者も多い。私は苦手だが。問題はその「意義」をきちんと理解し「日本国の看板」を背負って出ていくことだ。(「勝谷誠彦の××な日」2016年1月21日号) ~


 命まではとられないのだ。しょせん受験においては。
 どこの大学に入るかは、手段に過ぎない。
 毎日勉強三昧できて、「どこの大学に入ろうか」と悩めることが、いかに幸せな状況なのかを考えないと。
 もちろん大人も同じだ。
 自分の子どもが、将来の夢を抱きながら大学に通う姿を見ることができるのは幸せなことだ。
 もちろん学費の工面は、普通の人はみんな大変だろう。
 日常の暮らしでも、大学生活はちゃんとやれているか、人間関係は大丈夫か、就職活動はどうするのだろうかという心配も発生するだろうが、そう心配できること自体が幸せなのだから。
 そんな心配さえできなくなった、スキーバス事故で亡くなった学生さんの親御さんの気持ちを思うとたまらなくなる。
 ちょっと話がずれてしまったが、その気になればいくらでも学べるこの国に生まれた幸せを、生徒さんに伝えられる仕事をしたいとあらためて思う。


 勝谷誠彦氏のメルマガは、月額800円ちょっとで「毎朝」届くので、ぜひチェックしてみてください。

コメント (4)
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