水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

付き馬

2016年01月23日 | 演奏会・映画など

 

 作曲家の後藤洋先生が、志ん朝師匠の「文七元結」を数百回聴かれていると書かれている(「バンドジャーナル」2月号)。
 「文七元結(ぶんしちもっとい)」とは落語のネタで、人情噺の名作として(たぶん)一番有名なものである。
 後藤先生も落語を聴かれるのかとうれしくなったけど、さすがだ、自分は数百回は聴いてない。
 圓生師匠のCD(昔はカセットで)と、志ん朝師匠のを十回ぐらい、喜多八師匠、談春師匠のを2、3回といったところだろうか。
 ライブでは、小朝、遊雀、志らくといった師匠方のを聴いた。ちなみに快楽亭ブラック師匠の「文七ぶっとい」も名作なのだが、詳細をここに書き記すことはできない。せっかくメジャー化してるのに、品位の面で霜栄先生のようなバッシングをうける危険性がある。

 これまでに聴いた落語の中で一番のものは何かと問われたら、はっきりと答えがある。
 コンサートでもお芝居でも、「一番よかったの何?」の問いに明確に一つを答えるのは難しいけど、落語は決まっている。
 2001年の春、池袋演芸場で聴いた志ん朝「付き馬」だ。
 客席数100弱の池袋演芸場だが、それまで満員の風景をみたことはなかった。
 志ん朝が池袋にあがるというだけで、落語ファンは欣喜雀躍し、連日開演前から列をつくった。
 その日高座にあがったすべての芸人さんが、満席の様子におどろき、「こんなことは池袋ではないんですよ」と語った。「いま、志ん朝師匠(楽屋に)入りましたよ」と実況してくれる方もいた。
 でも、どんな方が出演されてたのか、一つも思い出せない。才賀師匠がいたかな。
 いよいよトリの出番、出ばやしがなる。
 いつもどおり少し前かがみで、機嫌がいいのか悪いのかわからないような表情で登場し、深々とお辞儀をされる。
 「いっぱいのおはこびで、おんれい申し上げます … 」
 ああ、書いてたら思い出して泣きそう。
 ネタは「付き馬」。
 まくらの部分はCDとほぼ同じだが、噺に入るとCDとはちがう部分にも気づく。
 マイクを通さない生声は、ハリといい、きっぷのよさといい、単語の意味など関係なく音声としてだけ聴いていても心地良い。超満員の客席はどかんどかん笑う。笑うべき場所でみな一体となって笑う、すぐ笑いを収め次の言葉を待つ。 
 あれほど幸せな落語体験は、おそらくこの先もさすがにできないだろう。
 仕事をやすんで十日間通った落語ファンもいたことを、後に知る。
 おれも有給をとって、せめてあと二、三回行けばよかったかなとの思いは、数ヶ月後に志ん朝師匠が亡くなられてから強くなった。

 たった一日でも行けて、幸せな百人強の一員でいられたことは、自分の宝だ。
 生の高座のすばらしさ、落語という日本の文化のすばらしさを体感できた。
 まがりなりにも言葉がらみでおまんま食べてる者として、糧になった。
 後藤洋先生は、生の演奏会に足を運ばなければならないと述べている。
 ネットでただで手に入るものにろくなものはない、お金を払って会場に足を運べと。
 今も、時折志ん朝師匠のCDを聴く。談春もブラックも聴く。
 それはしかし、寄席や独演会で聴くのとは、まったく別物だ。
 音楽も、CDとコンサート会場とでは、後藤先生がおっしゃるように別のものなのだ。
 ということで、今日はシエナウインドオーケストラの演奏会に出かけます。

コメント
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