学年だより 経験値(4)
センター試験が終わった。十分に実力を発揮できた先輩、思うような結果が出なかった先輩、いろいろだろう。その結果をふまえてどう行動するかが受験生には求められる。
かりに全く不本意な結果であったとしても、一瞬落ちこんだあとは、現実から逃げることなく次の行動に移ることができれば、その経験は人を成長させる。
~ 試験の合否が人生のすべてじゃないというのも、その通り。が、だからといって受験に全力で立ち向かわないのはおかしい。そもそも受験とは、公平でオープンなシステムだ。社会に出れば面接や縁故や相性……、自分が評価される尺度は曖昧になっていく。対して受験は、獲得した点数で合否がはっきり決まり、過去の出題も公開されている。ルールが明快な「ゲーム」だ。結果を出すには、地道に努力しさえすればいい。そう、受験で問われているのは、その人に努力を継続する資質があるかどうかだけなのだ。
受験のルールに則って挑戦すると決めたのなら、つべこベ言わず全力を尽くせ。後ろ向きな姿勢では、何かを得ることなんてできないぞ。 (ドラゴン桜受験生応援企画 龍山高校特進クラス担任 桜木健二のことば) ~
人は生きているだけで幸せだ、そのこと自体に感謝しなければならないと、よく言われる。
しかし、だからといって、漫然と日々を過ごすだけなら、それは生に対する感謝を持った生き方とは言えない。
少しでもよく生きようとしてはじめて、その感謝の気持ちは本物になる。
だとしたら、経験の種類よりも、その質をどれだけ高められたかの方が大切ということだ。
何をではなく、結果でもなく、「つべこべ言わず全力を尽くす」経験を積むこと。
むしろ、うまくいかない経験の方が、人を成長させる。
うまくいかない状態に陥った他人の心を想像できるようになるからだ。
「勉強って何のためにするの?」
こう尋ねられたら、今ならこう答えたい。
「元気になったら、一緒に島へ行こうよ」と言える男になるため、と。
友だちが何か困難に見舞われてつらい状態に陥ったことを知ったとき、自分は何ができるか。
「つらさ」の原因は、未来の見えなさと、孤独感だ。
直接自分が何かをしてあげられる場合は少ない。むしろしてあげない方がいいことも多い。
でも、見守っている存在がいること、一緒に未来を描いていると伝えてあげること、それが何よりの力になる。自分がつらい時にしてほしいのはそれではないのか。
それができるようになるためにも、一生懸命勉強するのだ。
「学部・学科案内」を繙いてやりたいこと探しをしても、「会社四季報」を開いて働きたい職種を探しても、経験値はあがらない。目の前にある、現実の経験に懸命に取り組もう。