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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「反知性主義者たちの肖像」の授業(3) 第三段落

2016年04月10日 | 国語のお勉強(評論)

 

内田樹「反知性主義者たちの肖像」(2016年東大国語第一問)

 三段落(6・7・8・9)


6 知性というのは個人においてではなく、集団として発動するものだと私は思っている。知性は「集合的叡(えい)智(ち)」として働くのでなければ何の意味もない。単独で存立し得るようなものを私は知性と呼ばない。

7 わかりにくい話になるので、すこしていねいに説明したい。

8 私は、知性というのは個人に属するものというより、集団的な現象だと考えている。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行う。エ〈 その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力 〉の全体を「知性」と呼びたいと私は思うのである。

9 ある人の話を聴いているうちに、ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったりしたら、それは知性が活性化したことの具体的な徴候である。私はそう考えている。「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。


6 知性とは
   個人において      〈一般論〉
    ↑  ではなく
    ↓ 
   集団として発動するもの 〈筆者の主張〉
    ↓
  知性 … 「集合的叡智」として働くのでなければ意味はない

8 知性とは
   個人に属するもの
    ↑  というより
    ↓ 
   集団的な現象

 人間は集団として
  情報を採り入れ
   ↓
  その重要度を衡量し     ☆衡量 … 重さをはかる・考え合わせる
   ↓
  仮説を立て
   ↓
  どう対処すべきか合意形成を行う

  この力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体
    ∥
  「知性」
    ∥
9「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を
  周囲にいる他者たちに及ぼす力

(四)「その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力」(傍線部エ)とはどういう力のことか、説明せよ。

 まず「その」の指す部分をまとめる。
 人間は、情報を取り入れ、その重要度を勘案し、どうすべきかについてみんなで考えて生きていく生き物だという。
 みんなで考えていく力を活性化させるのが知性であるというのだ。
 それは、ある人の話を聞いたとき、全然関係のないことを思いついて行動に移したくなる、というような形で働く力を指す。
 「知性は集団として発動する」という命題は、一般論、通説とはあきらかに異なるだろう。
 ふつう私達は、できれば知性を身につけたいと思って勉強しているはずだ。
 そして、「自分に」どれくらい身についたかで、その「量」をはかろうとする。
 たくさんの知識を得た、そしてそれを何かの判断に役立てることができた、おれって知性的な人間になった、というように。
 しかし、自分の中で完結しているかぎり、それは知性とは言えないと言うのだ。
 ここに東大の先生のメッセージを読み取れるだろうか。
 いくら偏差値があがっても、そのこと自体がエライというのではないのだよ、という。
 「知性は個人のものではない」という、一般論とはあきらかに逆にニュアンスを解答に盛り込むことが必要になる。


(四)解答例
 人間が集団として情報にどう対処するかの合意を形成していく過程において、集団全体の思考や判断を活性化させようと働く力。

コメント
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