学年だより「笑顔(3)」
少年を見て思わず後ずさったことを、浜田さんは後悔した。
重度の障害を持った少年が、ラーメン屋さんのお手伝いをしたいという素直な気持ちからとった行動だったのだ。
自分を恥じるとともに、「人は誰でも人のためにできることがあるんだよ」と教えられたような強い衝撃を受けた。
施設の給食室が完成するまでの約一ヶ月間、ラーメンを出前するたびに、少年をはじめ、多くの子供たちが岡持ち運びを手伝ってくれた。
給食室が完成した後は、施設にいく理由がなくなり寂しくなった浜田さんは、施設の子供たちと職員さんたちを全員店に招待することにした。
20人も入れば満員の店である。そこに50人近くの人が入り、立ったまま目をキラキラさせながらラーメンをすする。
施設の子のほとんどは、外食する経験などなかったのだ。
「おじちゃん、おいしい。ありがとう」と喜ぶ子ども達の様子を見ると、えもいわれぬ感動が浜田さんをおそった。
この出来事があってから、浜田さんは機会を見つけ、いろいろな場所にラーメンを提供しに出かけるようになる。
その過程で多くの人と出会い、仲間が生まれ、志を同じくする仲間とボランティアNPO法人「ラーメン党」を立ち上げることになった。
~ 11年の東日本大震災では、南三陸町、石巻、気仙沼、いわきなど、宮城、福島両県の避難所約20カ所で炊き出しを行った。12年以降も毎年、仮設住宅などで炊き出しを続けている。今年の3月11日にも東北を炊き出しで回り、帰宅した直後の地震だった。
「ありがたいのは、東北からすごいエールがあること」。浜田さんのラーメンを食べた東北の被災者たちから「生きてるか」「何が必要だ」と連絡が入った。すでに、東北の被災者有志が「困った時はおたがいさま」と支援金を募り始めているという。全国の被災地での1杯のラーメンの縁が、熊本に集まっている。
「だからこのラーメンは、東北の被災者のみなさんからの炊き出しです」。復旧、復興へは長丁場になりそうだが「体力が続く限り、ラーメン作ります」と話した。 (「日刊スポーツ」2016年4月20日 ~
自分の作ったラーメンで、たくさんの人が幸せになってほしい。
その目的のために、被災地にでかけていって炊き出しを行うのは、自分の中ではある意味当然のふるまいだ。
えらい、見習いたい、尊敬する … と他人から賞賛を受けるだろうが、浜田さん自身にすれば、自分のやりたいことを普通にやっているだけに違いない。