学年だより「笑顔」
NPO法人「九州ラーメン党」代表の浜田龍郎さんは、二十数年にわたり、全国各地の被災地でラーメンの炊き出しを行う活動を続けている。
先の東日本大震災においても、いちはやく現地にかけつけ、17箇所で炊き出しを行った。
あまりにも悲惨な状況を目の当たりにし、一年や二年で片付くようなものではないことを身をもって感じた。継続して支援を続けていきたいと考えた浜田さんは、それ以来、毎年東北地方にでかけ、各地の仮設住宅を訪ねては、交流会や炊き出し活動を行っている。
先月も、宮城県の石巻市、福島県の郡山市に出かけていた。活動を終え、ボランティア仲間たちと、はるばる郷里の熊本県の益(まし)城(き)町にもどった直後、町を大地震がおそった。先週14日のことである。そして16日深夜、本震とよばれる震度7に再び見舞われる。余震はおさまる気配がない。
益城町はほぼ壊滅状態となった。浜田さんの自宅も損壊した。
そんな中、浜田さんは、18日には自宅付近で炊き出しを開始していた。
~ 「たまたま被災者になりましたけど、逆に被災地まで出向く時間をかけず、発生直後から動き出せました」。
雲仙・普賢岳の噴火以来、阪神・淡路大震災、東日本大震災など、全国の被災地で通算8万7000杯のラーメンの炊き出しを続けてきた益城町のNPO法人「九州ラーメン党」代表浜田龍郎さん(71)は19日、スープの仕込みをしながら笑顔で言った。
14日夜の前震、16日未明の本震で、益城町は壊滅的な被害を受けている。浜田さんの自宅もメチャクチャだ。それでも18日から、ラーメンの炊き出しを始めた。地震発生以来、近所の住民たちに200食のラーメンを振る舞った。「みんな食べていない。避難所では家族にパン1個とか冷たいおにぎり1個。温かい食事で喜んでもらえました」。
麺は冷凍麺を常備しており、スープや、わかめ、キクラゲなどの乾物は、いつでも被災地に飛べるように用意してある。水は、良質な湧き水がある。浜田さんが炊き出しを始めると、近所の知人たちが、次々に食材を持ち寄ってくれた。植木町からラーメン店の友人は麺を、近所の農家の友人はネギやトマトを持ち寄ってくれている。 (「日刊スポーツ」2016年4月20日) ~
自分自身が被災民になることを、浜田さんはイメージしていただろうか。
そうなってみて「かえって被災地に出かける手間がはぶけた」と言える心の持ちようは見事としか言いようがない。
他人のために何ができるのか――。それを第一に考える人生を送っていると、かくも人のメンタルは強化されるのかとも、教えてくれる。
もともとは普通のラーメン屋さんだった浜田さんだが、ある出来事をきっかけに、ボランティア活動としてラーメンを届けるようになった。
ラーメンは、生活の糧ではなく、被災地の人に温かいものを届けたい、つかの間でも笑顔をとりもどしてほしいという願いのこもったものになった。