「ルイ・ブラス2016」は、小塚類先生を慕う若者たちによって企画された一回限り(たぶん)の演奏会だ。
太川陽介ファンの集いではない。
若者達といっても中心人物たちは、アラサーかな。全国各地で吹奏楽指導者として活躍されている小塚類先生は、数年前まで中央大学を指導されていた。そのころ薫陶を受けたメンバーたちが集まったのだから、上手に決まっている。本校OBもステージ上にたぶん4人。ていうか彼らが企画の中心だった。
なので、会場がウエスタ川越であり、うちの金管メンバーもショスタコービッチ祝典序曲のバンダとして出演させてもらった。いい経験だったにちがいない。
祝典序曲に、課題曲1と3、ホルストの第1組曲、アルメニアンダンス1&2つまり全曲というプログラム。
こんな上質な演奏で、古典のような作品を生で聴けることをちゃんと自覚していたら、近隣の中学高校さんに強くアピールしておくんだった。うちの子たちに聴かせることができたことをよしとしよう。
次があれば … ってどうかな、ないかな。メンバーがその一回性を自覚していることも、今日の演奏を素敵なものにしていた大きな要因ではないだろうか。
もう、みんな大人で、今日出られるかどうか微妙だった人もいるはずだし、お金もかかっているだろうし。バンダふくめると100人以上のメンバーがよく集まったものだと思う。
企画しきったうちのOBもえらい。そんなOBの基礎をつくったおれもえらい。
OB中心のバンドが上手な理由は、自分たち自身、メンバー、そして指導者について、お互いによくわかっていて、さらにそれを時間の蓄積のなかで相対化できるからだろう。
年をとってみて、こんな簡単なことが何であの時できなかったのだろうと気づくことがある。
ほんのちょっと角度をかえてみたら、何でもなかった、みたいに。
もちろん、楽器だけでなく、仕事でも、人間関係でも。
なかなか気づけなくて悶々とするのが若さで、その経験自体、人の成長には必要だけど、年をとり別の見方ができるようになると、後悔と恥ずかしさがつのるときもあるが、それを受け入れるしかないと思ったとき大人になれる。
すべてを悟ってしまうと、大人どころか神に近づいてしまうので、それもおもしろくない。
その年その年で、あきらめたり、あわあわしてみたり、どうにでもなれと思ったり、どうしようもなくなったりするとこが人生なんだなあと思う自分が歌ったので、「人生ぇってえぇえ、ふしぎぃな ものですねぇ」という歌詞が、昨日農協祭りにおこしいただいた皆様の心にがつんとしみたのであろう。