現代文2こ、漢文1こ。
年度初めの授業は、つい根本的なことを語ってしまう。そもそも漢文とは、そもそも評論文とは … 。 でも「そもそも論」は、国語では大事だ。
ふだん本を読むのなら「○○という小説は面白かった」で終わればいいけど、授業の国語での「読み」は、その経験を転移できなければ意味がない。
ある文章を読解したなら、その時に身につけた読み方を、他の文章を読むときにも用いるようにする。
そんな読み方を教えること。
入試の個別相談をしていると、国語が苦手でなかなか成績があがりませんという訴えを聞くことがある。
不思議と数学や英語のそれはあまりない。国語が圧倒的に多いには、成績をあげる対策がはっきりしないことに第一の要因がある。
英語や数学は、かりに成績が悪くても、何をどうすればいいのかが見えやすい。
国語でそれが見えにくいのは、中学校の授業で「その文章」の読解を行っても、「他の文章」にどう役立てるかが見えにくいのではないだろうか。
「その文章」をわかるために、どんな読み方をすればいいのか。したのか。
一つでも何らかの方法が身につけば、「他の文章」を読む際に役立てられる。
お金に困っている人がいたとき、お金を上げることより、お金をかせぐ方法を教える方が根本的に役に立つのと同じだ。
それにしても、相変わらず今日もいい授業ができた。こんないい授業を公欠で聞けない子が何人かいるなんて。
四月の第二週にもう試合をやってる部活って、なんなんだろ。新しいクラスに慣れたり、勉強の意識を根付かせたりする時期としてとらえるべきなんじゃないだろうか。
そういう意識があまりにないことが、選手の不祥事を生む土壌につながっていると思ってしまうのは、考えすぎかな。