水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「山月記」の授業(6)最後の場面

2016年06月12日 | 国語のお勉強(小説)

 最後の場面(李徴の人間世界との別れ)の授業

 ようやくあたりの暗さが薄らいできた。木の間を伝って、いずこからか、暁角が哀しげに響き始めた。
 もはや、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬときが、(虎に還らねばならぬときが)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼らはいまだ
虢略にいる。もとより、おれの運命については知るはずがない。君が南から帰ったら、おれはすでに死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。決して今日のことだけは明かさないでほしい。厚かましいお願いだが、彼らの孤弱を哀れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らっていただけるならば、自分にとって、恩幸、これに過ぎたるはない。
 言い終わって、叢中から慟哭の声が聞こえた。袁もまた涙を浮かべ、喜んで李徴の意に添いたい旨を答えた。李徴の声はしかしたちまちまた先刻の自嘲的な調子に戻って、言った。
 本当は、まず、このことのほうを先にお願いすべきだったのだ、おれが人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業のほうを気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
 そうして、つけ加えて言うことに、袁さんが嶺南からの帰途には決してこの道を通らないでほしい、そのときには自分が酔っていて故人を認めずに襲いかかるかもしれないから。また、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振り返って見てもらいたい。自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、もって、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを君に起こさせないためであると。
 袁(さん)は草むらに向かって、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。草むらの中からは、また、堪え得ざるがごとき悲泣の声が漏れた。袁(さん)も幾度か草むらを振り返りながら、涙のうちに出発した。
 一行が丘の上に着いたとき、彼らは、言われたとおりに振り返って、先ほどの林間の草地を眺めた。たちまち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は、すでに白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの草むらに躍り入って、再びその姿を見なかった。


 弧弱 … 身寄りがなく、弱々しいこと。
 飢凍 … 飢え凍えること。
 慟哭 … 激しく嘆き悲しみ、大声を上げて泣くこと。
 懇ろに … 心を込めてていねいに。
 勇に誇る … 強さを自慢する。
 咆哮 … 獣などがほえるの意。確認問題

Q「ようやくあたりの暗さが薄らいできた」の表現効果は何か。
A この異常なできごと、物語も終わりに近づいていることを暗示している。

Q「酔わねばならぬ」の「酔う」とはどういうことか。
A 人間の理性を失うこと。

Q「このこと」とは何か。
A 自分の妻子の面倒をみてほしいという願い。

Q「堪え得ざるがごとき悲泣の声が漏れた」とあるが、この時の心情を説明せよ。
A 自分が虎である事実を冷静に受け止めようとしながら、人間としての生が完全に終わりに近づいていることを予感するとともに、自分のいかんともしがたい運命に対する哀しみが抑えられない心情。

Q「すでに白く光を失った月」とは、何の象徴か。
A 失われゆく李徴の人間としての理性。


問題 「また先刻の自嘲的な調子に戻って」とあるが、この時どのような心理が働いていると考えられるか。

説明 何カ所かでみてきたように、李徴はあまりに自尊心が強い、よって批判をおそれ、自分がきずつくことをおそれる。そのため「どうせおれなんか」と自嘲することで批判を回避しようとする、という心情を確認しました。
 いわば、自嘲は李徴の自己防衛システムであり、予想される批判の先回りを行うわけです。
 ここでは、批判されそうな内容を李徴が自ら語っていてますね。もちろん、袁(さん)はそんなことを言いはしないでしょう。しかし、袁(さん)の顔にそんな思いがかけらでも見えたなら、李徴は耐えられないのです。

答え 本来ならば自分の詩の伝禄よりも家族の生活を依頼するのが人として筋ではないかとの批判を回避したいという心理。


 傷つくことをここまで恐れるのは、それほど肥大化した「自己」「自我」があると言えます。
 自分の詩が認められないままでは「死んでも死にきれない」というほどの自分かわいさ。
 素材は古代中国の不思議な話であっても、そこに描かれているのは、近代的自我をもつわれわれ現代人なのです。

 みなさんもわかるはずですよ。
「自分の好きなことをみつけよう」「やりたいことをやろう」「かけがえのない人生をすごそう」「あなたは他の誰でもないあなた自身だ」「あなたにはあなただけの価値がある」「もともと特別なオンリーワン」って言われて育ってきてますよね。
 そして、「無限の可能性がある」「きっと成功する」とかまで言われ続けたら、勘違いしてしまうよね。
 でも、みんな内心ではわかってるでしょ。たしかに理屈はそうかもしれないが、でもおれは福山雅治にはなれないし、香川真司にもなれないし、億万長者にも、スターにもたぶんなれそうにないかなって。
 それが現実の人生だよね。
 すっごいきれいで気だてもよくて明らかにみんなに人気があって、ちょっと手がとどかないかなという女の子に果敢に告白できないのはなぜ?
 傷つくのがこわいんでしょ。「何言ってんの? あんた自分のことわかってんの?」って言われるのがヤなんだろ。それじゃ、李徴とおんなじじゃん。ちなみに先生はそういうこわさは今まったくなくなりました。アタックしまくりです。ウソだよ。
 先生も李徴なことはありました。その昔、山月記を授業で教えてて、ふと気付くと教室の半分ぐらい寝てて、あとの半分は無駄口たたいてて、「くそ、おれは、こんなとこで教科書読んでる人間じゃない。はやく作家でも役者でもミュージシャンでもなんでもいいからデビューして世の中に認められなきゃ。こんなことやってる場合ではない」って思うと、気がつくと教室を飛び出しいて、いつのまにか手で地面をつかみながら走っていることが何度かあったよ。かろうじて生還して、今はだいぶ大人になりました。
 「自分は他人とは異なる存在だ」という意識がうまれれば必然的に、何者でもない自分の現状とのギャップに人は苦悩するものです。
 考えてみると、東大の文学部を出て、女学校の先生になった後、南洋諸島で教育的な仕事につき、日本にもどって小説を発表するものの、芥川賞の候補になった直後には短い一生を終えてしまった中島敦という作家も、何者かでありたい、あるはずだと思いながら、そうならない自分とのギャップに悩んでいたのかもしれません。

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「山月記」の授業(5) 五段落

2016年06月12日 | 国語のお勉強(小説)

五段落(14) 李徴の分析

⑭ なぜこんな運命になったかわからぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。人間であったとき、おれは努めて人との交わりを避けた。人々はおれを倨傲だ、尊大だと言った。実は、〈 それ 〉がほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつての郷党の鬼才と言われた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは〈 臆病な 〉自尊心とでも言うべきものであった。おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、おれは〈 俗物の間に伍することも潔しとしなかった 〉。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。〈 己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず 〉、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として〈 瓦に伍することもできなかった 〉。おれはしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これがおれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、おれの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、全く、おれは、己の有もっていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭いとう怠惰とがおれの凡てだったのだ。おれよりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、おれは漸く〈 それに気が付いた 〉。それを思うと、おれは今も胸を灼かれるような悔を感じる。おれには最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、おれが頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、おれの頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。おれの空費された過去は? おれは堪まらなくなる。そういう時、おれは、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この〈 胸を灼く悲しみ 〉を誰かに訴えたいのだ。おれは昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもはおれの声を聞いて、唯だ、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹きも月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人おれの気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、おれの傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。おれの毛皮の濡ぬれたのは、夜露のためばかりではない。

語釈 倨傲 … おごり高ぶること。
   尊大 … いかにも偉そうな態度をする様子。
   郷党 … 郷里の仲間。同郷人。
   鬼才 … 人間とは思われないほどの優れた才能の持ち主。
   伍する … 仲間になる。同列になる。
   刻苦 … 苦労すること。
   碌々 … 他人のすることにしたがうさま。
   空費 … 無駄づかい。
   警句 … 物事の真実を鋭くついた短い言葉。
   危惧 … 悪くなりはしないかと心配すること。
   専一に … 他のものを顧みず、一つに専念して。
   空谷 … 人のいない寂しい谷。


Q28 「それ」とは何か。15字以内で記せ。
A28 倨傲で尊大に見える李徴の態度。

Q29 「臆病な」とあるが、李徴は何をおそれていたのか。10字で抜き出せ。
A29 己の珠にあらざること

Q30 「俗物の間に伍することも潔しとしなかった」と同じ意味の語句を抜き出せ。
A30 碌々として瓦に伍することもできなかった

Q31 「己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうとも」しない態度とあるが、その内実はどういうものであったと李徴は述べているか。35字以内で抜き出せ。
A31 才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦をいとう怠惰

Q32 「瓦に伍することもできなかった」のはなぜか。抜き出して答えよ。
A32 己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえ

Q33 「それに気がついた」とあるが、どういうことに「気がついた」のか。50字以内で述べよ。
A33 詩家として名を為すかどうかは、才能の多寡ではなく刻苦して自分を磨くかどうかにかかっているということ。

Q34 「胸を灼く悲しみ」とはどういう悲しみか。文中の語を用いて2点記せ。
A34  1 もはや人間としての生活はできないという悲しみ。
    2 自分の過去が空費されてしまったという悲しみ。


  臆病な自尊心
        ∥
心 己の珠にあらざることを惧れる
        ∥
    才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧
      ↓
行 努めて人との交わりを避けた
     ∥
  進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった
     ∥
    あえて刻苦して磨こうともせず


Q ⑥~⑬で、李徴は自分が虎になった原因をどのように述べているか。
A ⑥ 理由もわからずに押しつけられた 生き物のさだめ
  ⑫ 偶因狂疾

Q この段落では何が原因と語っているか
A 尊大な羞恥心
  臆病な自尊心

   自分の詩を人に見せたい … 自尊心
   自分の詩を人に見られたくない … 羞恥心

「俗物の間に伍することも潔しとしなかった」
              ∥
「碌々として瓦に伍することもできなかった」  尊大
              ↑
「己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえ」    自尊
       ∥
 自分が優れた人間であることを信じる


Q35「臆病な自尊心」とはどのような心情か。70字以内で説明せよ。
A35 自分のプライドを守る気持ちが強すぎるために、
   才能を不足をわずかでも他人に感じさせることを恐れ、
   他人との交渉を避けようとする心情。

Q36「尊大な羞恥心」とはどういうことを述べているのか。
A36 李徴が、羞恥心が強すぎるがゆえに、尊大な態度をとってしまう状態。

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「山月記」の授業(4) 四段落

2016年06月12日 | 国語のお勉強(小説)

四段落(7~13) 李徴の詩業


7 袁《さん》はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続けて言う。
8 ほかでもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業いまだ成らざるに、この運命に立ち至った。かつて作るところの詩数百編、もとより、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在ももはやわからなくなっていよう。ところで、そのうち、今もなお記誦せるものが数十ある。これを我がために伝録していただきたいのだ。なにも、これによって一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、〈 産を破り 〉心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。
9 袁《さん》は部下に命じ、筆を執って叢中の声に従って書き取らせた。李徴の声は草むらの中から朗々と響いた。長短およそ三十編。格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁《さん》は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。
10 旧詩を吐き終わった李徴の声は、突然調子を変え、〈 自らを嘲る 〉がごとくに言った。
11 恥ずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身となり果てた今でも、おれは、おれの詩集が長安風流人士の机の上に置かれているさまを、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。(袁《さん》は昔の青年李徴の〈 自嘲癖 〉を思い出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑いぐさついでに、今の思いを即席の詩に述べてみようか。この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きているしるしに。
12 袁《さん》はまた下吏に命じてこれを書き取らせた。その詩にいう。

  偶 因 狂 疾 成 殊 類  災 患 相 仍 不 可 逃 
  今 日 爪 牙 誰 敢 敵  当 時 声 跡 共 相 高 
  我 為 異 物 蓬 茅 下  君 已 乗 軺 気 勢 豪 
  此 夕 渓 山 対 明 月  不 成 長 嘯 但 成 嘷 

13 〈 時に、残月、光冷ややかに、白露は地にしげく、樹間を渡る冷風はすでに暁の近きを告げていた。 〉人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄幸を嘆じた。李徴の声は再び続ける。


語釈 息をのんで … 呼吸をするのも忘れるほど緊張して。
   叢中 … 草むらの中。
   世に行われておらぬ … 世間の人々に知られていない。
   格調高雅 … 体裁や品格、調子が高貴で優雅であること。
   意趣卓逸 … 詩の内容や趣が特に秀でていること。
   長安風流人士  … 長安に住む風流を理解する文化人。

 詩 たまたま狂気に冒され獣となった
   災いは重なり逃げ出すことはできない
   今日、この私の爪や牙には、誰もかなわない
   その昔、私も君も共に名声が高かった
   私は獣となって草むらの中におり、
   君は立派な乗り物に乗り意気盛んである
   君に会えたこの夕べ、谷や山を照らす明月に向かっても
   長嘯することはできずただ咆哮するばかりである


Q21 「産を破り(財産を失い)」とは、具体的にはどういうことか。30字以内で述べよ。
A21 自分の詩業のために役人をやめ、生活が困窮したこと。

Q22 李徴の詩を聞いた際の袁《さん》の感想を抜き出し、最初と最後5字ずつを記せ。
A22 なるほど、 ~ ではないか

Q23 「自らを嘲る」とあるが、李徴が「自らを嘲」っている表現を11段落から3箇所抜き出せ。
A23 こんなあさましい身
   嗤ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。
   お笑いぐさついでに、

Q24 李徴の詩に表現されている 対比的内容を指摘せよ。
A24 李徴自身の現在と過去
   李徴と袁

Q25 「時に、残月、光冷ややかに、白露は地にしげく、樹間を渡る冷風はすでに暁の近きを告げていた。」という情景描写は、どういうことの象徴と考えられるか。
A25 李徴の身に降りかかった冷酷な運命

 

心 後代に伝わらないでは、死んでも死にきれない
      ∥
  己への詩へ自負(自尊)
            ↓
行 自作の詩の伝禄を依頼する

心 自作の詩に対する批判を回避しようとする思い
      ↓
行 李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲る(自嘲)

 李徴の詩
「此夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷」
    ∥
 虎になった運命はどうすることもできないという嘆き

 

Q26「狷介」かつ「自ら恃むところすこぶる大きい」李徴なのに、なぜ「自嘲癖」をもっていたのか。60字以内で説明せよ。
A26 自尊心が高いがゆえに、万が一ことがうまくいかなかった場合の逃げ道を
   たえず自分でつくっておく必要があったから。

Q27「狷介」かつ「自ら恃むところすこぶる大きい」李徴なのに、なぜ「自嘲」する必要があったのか。60字以内で説明せよ。
A27 物事がうまくいかない時に、他人からの批判を受け自尊心が傷つけられることのないように、
   予防線をはっておくため。


 自尊心が傷つけられることを極力排除したい → 自嘲する
                ∥
 「プライドが高い」ゆえに「自嘲する」 … アンビバレントな状態

 人間の心情 … 基本的にアンビバレントなもの 

 ☆ アンビバレント … 相反する感情が同時に存在するさま。「―な感情を抱く」。両義的・両価的。

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