この歳になって猪木vsアリ戦を見直すと、アントニオ猪木というレスラーがいかにクレイジーであったかを思い知らされる。
1976年6月26日のことはよくおぼえている。
その夜おれは東京にいた。(おっ?)
そう、中学生のミズモチ少年は東京の(たぶん)青山にいた。
家出して猪木vsアリ戦を観にはるばる夜汽車に乗ってやってきた … わけではない。だいたいチケット手に入らないしね。
当時、郷里の太鼓保存会子ども部に所属していて、芦原温泉の宣伝チームの一員として、はるばるお江戸にやってきたのだ。そして福井県の施設である青山荘に宿泊し、食堂のテレビでその試合を観ていた。
なんやし、もっと攻めぇま、そこでいかな、という大人の人たちの声を聞きながら。
試合のあった武道館のそんな近くにいても、テレビの試合は遠い世界のものだった。
しかし、子どものころから馬場よりも猪木にひかれ、タイガージェットシンや、大木金太郎、ビルロビンソン戦をわくわくしながら見てきた自分が、それらのプロレスの試合とは何か違うと感じてはいたと思う。
昨夜の放映を見ると、猪木がアリと同じリングに立っているというだけで、ドキドキしてしまう。
あの距離感でアリがいたら、一般人であればピストルを持ってる人より怖いのではないか。
なのに、本気で闘おうとしているばかりか、余裕の笑みまでうかべている。
プロレスがどういう仕組みで行われているものか、その詳細を知るのはずっと大人になってからだ。
プロレス的なだんどりのないリングで、アリと対峙している猪木というのは、ヒクソンを前にした高田とは全然ちがうレベルですごい。後にも先にもこんなレスラーはいない。
当時、凡戦とか茶番とか評する人もたくさんいたが、いったいどこを見ていたのだろう。
青山に泊まった翌日は、銀座のソニービルの前で太鼓をたたいたことを思い出した。
まさか自分が将来、表参道やら晴海通りやらをさっそうと歩くようになるとは、その時は思っていない。あ、なってないのか。