水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

アリ・ボンバイエ

2016年06月23日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「アリ・ボンバイエ」

 

 カシアス・マーセラス・クレイ、後のモハメド・アリは、1942年1月17日、ケンタッキー州のルイヴィルという町に生まれた。
 小学生の頃、誕生日プレゼントにもらった自転車を誰かに盗まれてしまう。警察にいくと、犯人を見つけて鉄拳制裁を加えるために、ボクシングを習うよう勧められる。
 カシアス少年はその言に従い、その警官も通うボクシングジムに入った。
 貧しい家に生まれた不良少年が、喧嘩で腕を磨いてボクシング界に飛び込み一攫千金を狙うというタイプのボクサーが、当時のアメリカには多かった。
 しかし、母の愛情を受け、中流家庭に育ったカシアス・クレイは、食事をしっかり摂って、毎日数時間の練習をきちっとこなしていく勤勉さがあった。
 もちろん天性の素質もあった。トレーニングに打ち込む環境に恵まれ、ボクシングに打ち込む真面目な姿勢もあって、彼はデビュー以来快進撃を続ける。
 ケンタッキー州のゴールデン・グローブ(アマチュアのボクシング大会)大会で6度優勝し、1959年には全米ゴールデングローブのミドル級で2年連続優勝を果たす。
 そして1960年9月に開催されたローマオリンピックに出場すると、前年度ヨーロッパチャンピオン、ポーランドのズビグニェフ・ピトロシュコスキを判定で破って優勝した。
 金メダルを得て得意満面で帰国した18歳のカシアス青年を待っていたのは、賞賛の嵐ではなく人種差別の壁だった。
 故郷の英雄として迎えられるにちがいないと、地元ルイヴィルにもどる。アメリカを代表して金メダルを持ち帰った自分なら、白人専用レストランでも問題なく入店できると店に向かった。しかし予想は覆された。「うちはニガーはお断りだ!」
 カシアス・クレイと知っての入店拒否に、「おれの金メダルはレストランで食事する価値すらないのか」と、思わず金メダルを川から投げ捨ててしまったという。
 有名なエピソードだが、これはアリ自身の作り話で、実は家で無くしただけだと本人が語っていたという話もある。しかし、その後のアリの人生を思えば、ただの作り話とも思えない。そしてわずか数十年前、アメリカという国は、徹底した人種差別社会だったのだ。
 この後アリは、すぐプロに転向する。


~ Champions aren't made in gyms.Champions are made from something they have deep inside them.
 A desire, a dream, a vision.They have to have last-minute stamina,they have to be a little faster, they have to have the skill and the will.But the will must be stronger than the skill.

 チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。
 例えば願望、夢、ビジョン。そのためにはどんな土壇場でも耐えるスタミナと、少しばかりのすばしっこさ、そして技術と意志が必要だろう。だが意志の力はどんな技術よりもさらに強くなくてはならない。 (byモハメド・アリ) ~


 白人社会に対する怒りが、彼のボクシング人生を支えることになる。

コメント
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