学年だより「アリ・ボンバイエ(3)」
世界中の注目を集めたジョージ・フォアマンとの一騎打ちは、アフリカの新興国家ザイールの首都キンシャサで行われた。
キンシャサ空港に到着したアリは、出迎えたファン達に尋ねた。「殺(や)っちまえ!」は、この国ではなんて言うんだ?」
「ブマイエ!だ」「いいひびきだな、ブマイエ!」
「そうだ。アリ、フォアマンなんか、ブマイエ(やっちまえ)!」
「アリ、ブマイエ!(Ali Bomaye!)」「アリ、ブマイエ!」
この声援は、試合開始前からスタジアムにもひびきわたった。開始のゴングがなる。いつも通りアリは足を使って動き回り、試合のペースをつかむ。
しかし、第2ラウンドに入るとアリは突然ロープ際で動きを止め、フォアマンのパンチを受け続けた。ボディへのパンチは肘で堅くガードし、顔面へのパンチはスウェイでかわす。
劣勢には見えるが、前進しながら打ち込めないフォアマンのパンチは威力が減じられている。
相手に打たせて、体力を消耗させる――。1ラウンドを闘ってみて、今の自分のフットワークでは、そのうち捕まってしまうと判断したアリの作戦だった。
第6ラウンド、7ラウンドと明らかに相手のペースが落ちていることを感じる。8ラウンド、これからは俺の番だと、アリが攻勢に転じた。全盛期を思わせるパンチの連打を、ガードの下がったフォアマンに打ち込む。「アリ、ブマイエ!」「アリ、ブマイエ!」
ついに、若きチャンピオンはリングに沈んだ。ソニー・リストンを倒してから10年、徴兵拒否でタイトルを剥奪されて7年の月日が流れていた。
「キンシャサの奇跡」と今も称えられている試合である。
~ He who is not courageous enough to take risks will accomplish nothing in life.
リスクを取る勇気が無い者は、人生において何も達成することが出来ない。(モハメド・アリ) ~
「奇跡」がおこった1974年の12月、アリはホワイトハウスに招待されている。
ベトナム戦争で失われた政府への信頼回復や、公民権成立後も続く人種差別問題解決のために力を貸してほしいと、フォード大統領からじきじきに頼まれたのだ。
ボクサーとして黒人として、いや一人の人間としての闘いの姿勢に人々は憧れ、アリは時代のアイコンとなった。それは私達一人一人が、生きるという一種の闘いを余儀なくされているからだ。
人生というリングでは誰もがファイターだ。
もちろん、リングに上がらない、パンチも打たない人生を選ぶという手はある。
しかし、それでやりたいことができるだろうか。大切な人を守れるだろうか。
男として生まれた以上、最低限自分のプライドを守るための闘いは避けられないのではないか。
では、そのために身につけるべきものは何か。蝶のように舞うフットワークも、蜂のように刺すパンチも持たない私達が、闘うために身につけるべきものは何か。
答えはわかっているはずだ。