試合を終えた猪木とアリが、心を通じるようになった話は有名だ。
お互いに挑発を繰り返し、アリにいたっては試合が始まってからもしばらくは猪木を罵倒し続けていた。
中盤からはその声も出なくなる。アリの表情の変化をみればいかに緊迫した試合であったかが伝わってくる。
15ラウンド闘っての引き分け。
まさかアリが負けるわけにはいかないし、猪木の背負っていたものはアリほど大きいとは言えないのが事実だが、背負っていた借金はとんでもないものだった。
この後アリは、自分の試合や結婚式に猪木夫妻を招くようになる。猪木自身のセレモニーにもメッセージを寄せる。自分のテーマソング「アリ・ボンバイエ」をプレゼントし「猪木ボンバイエ」が生まれたが、若い人たちには、むしろ野球応援の曲として知られているかもしれない。
真剣勝負(実際生きるか死ぬかレベルに近い)を経験した二人にしかわからない感情が芽生えたことは想像に難くない。文字通り戦友だ。
友だちになれる人、心から仲良くなれる人というのは、「闘っている」人同士なのではないかとふと考える。レベルは全然ちがうけれど、
「闘い」の方向性ややり方に共通点を感じる人と言っていいのかな。
闘いの相手はそれぞれだ。自分の属する組織、たとえば会社とか地域とか親族とかであったり、対個人であったり、もっと大きく世間や社会であるかもしれない。
といっても、別に喧嘩したりデモをするわけではない。攻撃的というより、むしろ自分を守るための自衛戦だ。 最初から闘う気がなさげな人とは、上辺のつきあいしか出来なかった。
闘うなどという言葉とは無縁のような雰囲気の人であっても、話しているときにふと同じにおいを感じ、気持ちが急激に惹かれていくこともあった。
結局この歳になって仲良くしていただいている人とはそういう方なのかなと勝手に思う。
アリの人生が闘いの連続であったことは言うまでもない。ただ、その敵はあまりにも大きかった。
猪木にしても、表面上はプロレスを色物視する人々との闘いだったかもしれないが、その後の人生まで見てみると、日本社会のシステムそのものに喧嘩をうっていたのだと思える。
「マネー・モンスター」の最後の場面、事件を乗り切ったジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツとの間に漂う戦友感にほっとした。
自分みたいな一般人だって、同世代の君と同じように、いろいろ闘ってきたんだぜとクルーニーくんに語りかけたいし、いっこ下のジョディ・フォスター監督にも心からグッジョブと声をかけたい。