学年だより「贅肉をつける」
「贅沢」「贅言(よけいな言葉)」というように、「贅」とはよけいなもの、必要以上のものを表す。
「やべ、贅肉ついちゃった」という言い方をするが、いったん身につくと、なかなかおちない。
人間の知性も、贅肉のように、気づいたらいつの間にかついているものであるようだ。
知性の贅肉は、むしろぶ厚い方がいい。
~ 内田 贅肉みたいに「やだやだ」と思っているうちに、知性って自然に身についちゃうからね。
橋口 そう考えると知性って「よーしつけるぞ!」と思ってつけるもんじゃなくて、“ついてくる”ものなんですよね。でも今、世の中的には、贅肉は落とそうという傾向にあるからなあ。エッジの効いた文章や一刀両断的な発言を一生懸命よしとしようとしているのと似てる。
名越 そうなのよ。それだめ。身体はシャープでいいけれど、知性は贅肉のようについてくる状態が理想。 ~
人は、すぐに役立つ知識や技術を手に入れたがるものだが、それらはその時々にしか役立たない。
すぐ効果がなさそうなもの、自分には理解不能なものも、とりあえず受け入れてみると、気が付くと贅肉のように身についてくるのだ。
~ 内田 すごい人の文章っていうのは、止める場所が見つからないんだよね。
名越 それにずーっとついていくと、その忍耐力と読解力の錬磨によってどんどん自分の中の未熟な攻撃性がおさまって、成熟されてきて。
内田 読んでうちにリテラシーが上がってゆくんだよ。 … 飲み込んだ文章って、自分は気がついてなくても、そうやってだんだんだんだん血肉化していくから。うどんの味を判定するために、ずるずる啜っているうちに、当のうどんに自分が養われている。
名越 そうなんですよ! だから文章っていうのは、酔っ払って明け方に食べたラーメンのようなほうがいいっちゅうことや。 … 今のラーメンの比喩を、もっと別にかたちで言うと「知性は贅肉のようについてくる」ってことです。 (内田樹・名越康文・橋口いくよ『本当の大人の作法』メディアファクトリー) ~
すぐには役立ちそうにない知識や技術ほど、いったん飲み込んでおくと、後々になって随分役立っていることに気づく。
スポーツでいうと、体幹トレーニングや、オフシーズンの走り込みに該当するかもしれない。他の競技をやってみたり、映画やお芝居を観ることさえイメージ作りには役に立つ。
一見遠回りのように思える勉強が、自分の知の枠組みを大きくするためにはたらく。
大学入試の問題を見てみると、難関と呼ばれる大学の問題ほど、その枠組みの大きさを問おうとしていることも気づく。
この冬休み、定期試験4回分のやり直しは必須(人によっては1年からの9回分)だが、それに加えて自分が興味がある分野や学部の、学問に関する本を手にしてみよう。