学年だより「贅肉をつける(2)」
現在議論が進んでいる大学改革は、「グローバル化に対応する人材育成」が急務であるという問題意識が一つの大きな契機となっている。「新テスト」とよばれる入試改革もその一つだし、学部・学科の枠組みや、研究や教育内容についても新しい形が模索されている。
ただ、その方向性が「グローバル」の観点から見たときに疑問を抱く部分もあるのも事実だ。
日本では、社会に出てすぐに役立つ勉強を大学でもさせようという意見が現在の主流だと言える。 逆にアメリカの大学は、「リベラルアーツ」とよばれる一般教養をみっちり教える。文系の学問、理系の学問というような区別のない、幅広い基礎教養のことだ。
4年間、根本的なものの見方、考え方を学んだ上で、例えば医者になりたい人はメディカルスクールへ、経営学を学びたい人はビジネススクールへ進むという流れになる。
~ ボストン郊外にあるエリート女子大学ウェルズリーカレッジは、ヒラリー・クリントンやクリントン政権時代のオルブライト国務長官の出身校として知られています。ここもまた四年間、徹底したリベラルアーツ教育を行っています。
同校を訪れた際、女子学生が学内を案内してくれました。とても利発そうな黒人の女子学生でした。彼女は「私は経済学を学んでいる」と話してくれたのですが、それと同時に「でも、経営学は学ばない」と言うのです。
なぜかと尋ねると、経済学は世の中の仕組みを分析する上で必要な知識である、つまり人間の教養として必要だから学ぶ。でも経営学は、会社に就職をして働く上で役に立つ学間だから、すぐに役に立ちすぎるので大学では教えない、と言うのです。私はビックリすると同時に、目からウロコが落ちた思いでした。
現代の教養として経済学は学ぶけれど、本当に経営を学びたかったら、大学卒業後、ビジネススクールに行けばいい。こういうことなのです。
日本ではよく大学に対して、社会に出てすぐ役に立つ学問を教えてほしいと言われます。ところがアメリカは意外とそんなことがないのです。すぐに役に立つものを教えるのは専門学校で、いわゆるエリート大学は、「すぐに役に立たなくてもいいこと」を教えるのです。すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐ役に立たなくなる。すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。こういう考え方なのです。 (池上彰『おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』 (NHK出版新書) ~
「長い目」で将来を考えるとかより、まずは目先の大学に受かりたいと思うかもしれない。
実はそのためにも、贅肉的な「知」を身にまとっておくことは有効なのだ。
おおげさな言い方だが、知的生命体としての器が大きいほど、受験勉強的知も身につきやすい。